そういえば、と思い出したように言うのはこれがひと月くらい前の話だからですが、うっかり掃除機で靴下をズコーと吸いこんでしまったのです。
靴下はウチにあるなかでもいちばんの古株で、ちり紙交換で言うところの「ボロ切れ」に相当するようなくたびれようだったから、そこに未練はありません。実際よれよれだししょぼしょぼだし、来るべきときが意外なかたちで唐突に来たというだけの話です。もし掃除機に口があったら「てっきりゴミだとおもいました」と悪びれずに言うでしょう。たしかにその見解には同意せざるを得ないだけの説得力がある。僕自身、「いいよいいよ気にすんなよ」くらいのきもちでおりました。あとはただその、かつて靴下と呼ばれていた袋状の布をひっぱり出してねんごろに弔うだけです。
そうおもいながら鼻歌まじりで掃除機の吸込口をはずし、延長管をはずし、ホースを本体からはずしたのだけれど、くだんの(元)靴下がどこにもない。すくなくとも本体まではまだ辿り着いていなかったらしい。はずした延長管を望遠鏡のようにのぞいてみれば向こうの景色が丸く見えます。となるとこの伸縮自在のホース部分のどこかに丸まっているわけだな、と見当をつけて再度本体につないで手元のスイッチを入れると、ホースが喉を詰まらせたように苦しそうな音を立ててギュウと縮むのです。このままスイッチを入れっぱなしにしておけばいずれ耐えきれずにスポンと本体へ引きずりこまれそうにおもわれます。よし、それを待とう。
ところが一向にそうなる気配がありません。ホースがますます縮むばかりで、事態(というか詰まった異物)が動いているようにはぜんぜん感じられない。空気の通り道がふさがれたことによる聞き慣れない稼働音が、だんだん断末魔の叫びにおもえてきます。ちょうど押すことも引くこともできないような絶妙の位置で、よほど頑固に丸まっているらしい。
こうなったら直接押し出してみようとスイッチを切り、長い棒を持ち出してホースにつっこんだそのとき、たいへんなことに気がつきました。手元に当たるホースの先には短いパイプが取り付けてあって、ここにスイッチがあります。そしてもともとこの部分は、くの字に成形してあるのです。
くの字に曲がっているということはつまり棒が貫通できないということであり、棒が貫通できないということはつまり異物を押し出すことができないということであり、異物を押し出せないということはつまりそれを取り出せないということであり、取り出せないということはつまり、のびきった靴下のためにこの掃除機まで粗大ゴミになるということです。
わーそれは困る!ときゅうに半ベソになって棒をホースにむやみやたらと突っ込みます。ちょうどビンに入れた玄米を棒で搗いて精白するような塩梅です(わかりにくいたとえだな)。待てよ、これもし棒の先が靴下に当たってるとしたらそれが刺激になってすこしは動きやすくなっているのではないか。というのはつまりこれで電源を入れれば案外スポンと本体に吸いこまれるのではないか。ありうるありうる。まちがいない!そうひとりで合点してさっそく本体につなぎ、スイッチを入れてみたところ
とてもしずかです。もういちどスイッチを切って、ふたたび入れてみても変わりません。しんとして、夜のしじまがひときわ染み入るようにおもわれます。なにかのまちがいだろうとおもって30分おきに何度かスイッチを入れたり切ったりしてみたけれど、動くものといったら風にそよそよとゆれる窓際のカーテンくらいで、あとは柱時計の振り子がコチコチと無機質にひびくばかりです。
米を搗くように棒を出し入れしたせいで、どうやら内部の配線を断ち切ってしまったらしい。
(ショックのあまり床に寝そべっています)
20年ちかく一度も故障せずにもくもくとゴミを吸いつづけた我が家における家電の最長老を、まさか「棒の出し入れ」という字面からして不適切なやりかたで手討ちにしてしまうとは、あまりの無念に言葉もありません。こんなの拷問で死に至らしめたようなものじゃないか!掃除機なしにこれからどうやって掃除をしたらいいんだ!あのパワフルな吸引力あってこそ掃除のしがいもあったのに、もう部屋を片づける気になんてならない!このままじゃ積もりに積もったふわふわのほこりでピッグペンみたいになってしまう!
(寝そべった床から立ち直れずにいます)
それでまあ、しばらく絶望してたんだけれど、いい機会だからためしに掃除機なしで暮らしてみようと思い立って、クイックルワイパーと雑巾(とバケツ!)で掃除をすることにしたら、別段なんの支障もないのです。前よりすこし手間がかかってるはずなのに、どういうわけかあんまり気にならない。あと、雑巾がけしたあとの達成感がすごい。
そうか、べつに困りはしないのか…じゃあ買い替えなくてもいいか。掃除機を替えるくらいならいっそ棕櫚の箒にしてしまうか。という結論にさいきんようやく至りました。なくても困らない家電を当たり前のように使いつづけて、それなしではいられないような暮らしになっていたというのも、おもえば奇妙なことです。ふーむ。さすがに冷蔵庫とか洗濯機はあるとすごい助かるけど、まさか掃除機まで暮らしに不要とは思いもよらなんだ。
なくても困らないものって思っていた以上にいろいろとあるものだなあ…とこれが質問箱の前置きのつもりで書き始めた話だったことなどすっかり忘れてうっちゃったまま、文化鍋でコトコト米を炊くすずしい夜であった。
(今度こそ)159bにつづく!
2 件のコメント:
あまりにも掃除機のイラストがかわいいので、もう壊れてしまったこの掃除機に愛着がわいてしまいました。
> とくさん
僕もきもちの整理に時間がかかりました。
何しろ20年の付き合いですからね…
現物はとくに可愛くもなかったですけど。
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