2026年3月6日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その473


友達以上ルイヴィトン未満さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 大吾さんは日々の生活の中で、良い知らせが来るといった予兆があった事はありますか?(茶柱が立つ以外で)


そうですね、日々の期待値を上げてくれるちょっと珍しい光景でいえば、あります。僕はそもそも茶柱みたいな日常のちょっとしたイレギュラーに目がないので、なんならわりとしょっちゅうあります。

たとえば玉子を割ったら黄身がふたつあった、みたいなことです。それだけで確率の低い何かに当選したような気がするというか、実質そのとおりだし、それが朝ならなおさらです。少なくとも、こりゃ良い1日になっちゃうぜと気が大きくなってしまうのは否めません。

そしてその方向性を延長すると、道に落ちているバナナの皮なんかもその例に含まれます。バナナの皮が道に落ちてるわけないし見たことないとおもわれるかもしれませんが、僕は過去に3度ほど目撃しているので、実際あるのです。歩きながらバナナを食べるだけならともかく、それを路上でポイ捨てするという子どもでも理解できる倫理観の欠如が必要になるため、まず確実にSSRであり、得られる期待値は茶柱よりもはるかに上であると言えましょう。一度だけバナナをもぐもぐする人とすれ違ったことがあって、それだけで血圧が爆上がりだったのだけれど、その皮をどう処理するかまで見届けるべきか迷ったことがあります。今おもえば後をつけるべきだったとおもう。

そういえば今週は、バッグから取り出したうまい棒を食べながら歩き去る壮年の女性を見かけて、すれ違いざまに思わず振り返ってしまったのだけれど、これなんかも僕には吉兆のひとつです。滅多に姿を現さない神様に遭遇したような印象なんでしょうね。彼女はどこであのうまい棒を買ったんだろう?買ったのは1本だけだったんだろうか?そして何味だったんだろう?

他にも町なかで全力疾走する人(スーツ姿だとポイントが高い)、信号がずっと青、空をひらひらと舞うビニール袋なんかも吉兆です。一定の確率で存在することが明らかな四つ葉のクローバーよりもずっと縁起がいい気がしています。

ただ、実際に予兆だったためしはかつて一度もありません。

わかります。わかります。ご質問の主旨としては、「良い知らせの予兆を茶柱以外で経験したことはあるか」ということですよね?

今の僕はこう考えます。たとえば茶柱が立つことは、そもそもそれ自体が希少で、かつ幸運です。その上でさらに何か良いことがあると受け止めるのはいったいどういうことなのか?ひょっとして僕らは、何らかの抽選に当選したのなら、当然その景品があるはずだと考えているだけではないのか?

福引で特等の大当たりが出た、その景品が1本の茶柱だったとして、それを大よろこびできる人はそう多くないでしょう。僕も別にいりません。だからこそ皆これを結果ではなく、もっといいことがある前触れとして解釈しているのです。認知的不協和の回避と言い換えてもよろしい。

だとすれば、こう問い返すこともできます。茶柱の立つこと自体が幸運なのだとすれば、むしろ茶柱の立たないほうが人生におけるなけなしの幸運を消費せずに済み、日常の期待値が上がるのではないか?

ただそうなるとそれはそれで日々が味気ないし、茶柱やバナナの皮や空飛ぶビニール袋に遭遇すればやっぱりうれしいものです。なので実際にはこの先にいい知らせがあるかどうかよりも、いいことありそうと思えるだけで薄暗い日々に光が差す、その心持ちがまた新たな福を招いてくれるのかもしれないな、と近ごろはおもいます、しみじみと。


A. 道端のバナナの皮とか、全力疾走する人なんかが吉兆ということになっています。


ちなみに毎日のように緑茶を飲んではいるけれど、最近の茶漉しは昔の急須とちがって網目が細かいので、茶柱が湯呑みにまぎれこむ余地、じつはゼロなんですよね…。




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その474につづく!