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2009年1月30日金曜日
たくましいみずべのいきもの(池袋編 その2)
そのちいさな緑地は、家と家がひしめき合う住宅街のど真ん中にポツンとあるのです。早朝ぷらぷらと散歩をしていて気がついたんだけれど、場所柄ちょっと意外な鳥がここで羽根を休めていることを知り、(以下同文)
チュウサギじゃないか!
メジロとかヒヨドリとかならともかく、デリケートな水鳥が何やってるんだこんなコンクリートジャングルで!
2009年1月29日木曜日
ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その81
ふて寝するペッカリーさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています。)どうもありがとう!
Q: 小林大吾さんのいままでデザインしてきたもので一番のお気に入りのものがありましたら教えてください。あとデザイン集的なものをだせるとしたらだす気はありますか?
お気に入りを挙げるとしたらこれはもちろん、詩人の刻印です。とくに初回限定盤のほうは何度見直しても奇跡的なバランスを保っているとおもう。(通常盤とは縦横の寸法がちがうのです)
年末に必要があって資料の整理をしていたら、ジャケットをつくっていたころの草稿が山ほど出てきたんだけど、余白の些細なちがいだけで数十枚あってじぶんでもびっくりしました。そういえばあの頃は床に大量の紙をまきちらして四六時中唸っていた気がする。図柄それ自体というより、余白とのバランスにいちばん時間を割いていたので、他の人がみたらたぶん、ぜんぶ同じにみえるはずです。それでも最終的に採用したあの1枚がやっぱり正解だったとしみじみおもうし、そこに辿り着いたことにも満足しています。極端なことを言うと、画面を構成する多くの要素が互いにどう絡み合っているかが重要なのであって、何を描いたかはそれほど大きな問題ではないのです。
とはいえ
じぶんを追いこむつもりで意識的にアピールを重ねてはいるけれど、「デザインもやってます」なんて人はこの時代それこそ腐るくらいいるのだし、アルバムのジャケットを本人(達)が手がけるということも、みんな僕ほど鼻息荒く主張しないだけで、わりとよくある話なのです。
回数をこなすごとにめきめきと磨かれていく実感はあるから、この先15年もつづけていればあるいは、その気になることもあるかもしれません。ないかもしれません。ただ、出来は拙くとも、じぶんの感性に誇りを持てるようにはなってきているし、それで十分じゃないかという気もします。こんな質問をいただけること自体、僕にとっては光栄の極みです。
A: ペンで月を漕いでいるあの図柄です。
それから、ふて寝するペッカリーさんは饗宴/eurikaに1票を投じてくれました。どうもありがとう!1年以上かけてまだ1ケタ台で推移しているというのもしょぼくれた話なので、今回からパーセンテージ制に移行します。EXCELばんざい。
1. 三角バミューダの大脱走 23.1%(ウゴウゴ含む)
2. 手漕ぎボート 15.4%
2. 蝸牛の憂鬱 15.4%
2. 話咲く種をまく男 15.4%
5. 饗宴 9.6%
6. アンジェリカ 7.7%(とコロッケひとつ)
6. 女と紙屑 7.7%
8. 腐草為蛍 5.8%
こんなところでRANK関数を使うことになるとはおもいませんでした。知っててよかった。
*
dr.moule*gmail.com (*を@に替えてね)
その82につづく!
2009年1月28日水曜日
たくましいみずべのいきもの(池袋編 その1)
2009年1月27日火曜日
ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その80
えー、かつては自称ハト飛ばし名人として一世を風靡しながら、今は零落してうらぶれた安田さんに業務連絡です。当方でふさふさした茶色いアレをお預かりしています。床に転がってました。大至急ウチまでお越しください。くりかえします。……
*
マルドロールのぬたさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています。)どうもありがとう!ぬた、というのはアレやコレを酢味噌で和えたものです。
Q: どこで息継ぎするんですか?息が続きません。肺活量の問題でしょうか?特に、「話咲く〜」の「エイプリルフールが週に〜」のところからずっと息する間が無い様な気がします。
詩をおぼえるだけでなく、口ずさんでくれているんですね。歌のように楽しむというよりはちょっとした力仕事に近いものがあるとおもうけど、うれしいです。こんなこと訊かれるのたぶん僕だけだとおもう。
ところでこれは肺活量の問題というより、むしろ呼吸のしかたにポイントがあると僕はおもいます。いっぱい貯めてちょっとずつ使う、のではなく、ちょっと吸ってちょっとずつ使うのです。カミソリ1枚分のすきまを目ざとくみつけて、スッと紙片をさしこむような感じと言ったら…ちょっと違う気もするな。「間を盗む」というのに近いんですよね。たとえ0.1秒のすきましかなくとも、ある分はきっちりいただいていく。どこに隙間があるかは、くりかえすうちにだんだんわかってきます。言わば掏摸のメソッドです。そんなたとえかたしなくたっていいようなものだけど。
あるいはひょっとすると僕自身、思っているよりもずっと多い息を一瞬で吸っているのかもしれません。それはわからない。ただ仮にそうだったとしてもそれはそれであり得る話です。何しろいつも必死だから。
話を元に戻して、どこで息継ぎをするのか実際にたしかめてみたところ、どうやら「なんかどうもおかしなあなたの言い回し」でいったん区切っているようです。でもこれ、マラソンの給水と同じでボトルをつかみ損ねることもあり、そういうときはあきらめてその先の給水地点まで突っ走ります。そういう意味ではやはり肺活量も大事と言わねばならないのかもしれないとは言えなくもないような気がしなくもありません。ないよりはあったほうがいいです。何ごとも。
A: うまいこと隙をみつけて、かすめ取るのです。
お役に立てましたか?
*
dr.moule*gmail.com (*を@に替えてね)
その81につづく!
2009年1月26日月曜日
大団円を迎えた2009冬季鍋リンピックのこと
フラインスピンレコーズのライブに多く足をお運びいただいているご家族から、タケウチカズタケとのピンポンダッシュ的インストアライブ@新宿タワレコ終了後に差し入れとして自家製の野菜を数十キロいただいたのです。
数十キロですよ。
いやまったく、ライブそれ自体の話よりもその後の話から始めることになるなんて、いったい誰が予想し得たでありましょう。枕のような白菜を3株、ラガーマンの太ももみたいな大根を7本、その他カブ、ブロッコリー、水菜とこう書けば、いくらなんでも数十キロはないだろうとおもわれるかもしれないけれど、
どの野菜も実がみちみちとつまっていて、本当にそれくらいあるのです。少なくとも電車で持ち帰れるような量では到底ない。差し出されたこの大地の恵みに僕らは目を疑い、感動に身をふるわせ、また思わず天を仰ぎ見たものです。感謝してもしきれない。これ以上の贈りものが他にあるだろうか?何しろこの日、このタイミングで僕らがランプの精に乞い願うたったひとつの望みがあったとすれば、それこそ新鮮かつ大量の野菜に他ならなかったのだから!
僕らはそれを誰にも話していないし、また誰にも知りようがありません。にもかかかわらずなぜこの奇跡は起こりえたのか?そしてたしかに、それはひとつの奇跡であったと今なお思い返して驚かずにはいられないのです。
*
話は10日前にさかのぼります。
タケウチカズタケから志を同じくする人々に向けて一斉送信されたメールにはこうありました。
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> “3種類の鍋(理想は5種類)を正々堂々と披露しあって、
> その味と健闘を称える会”、その名も「鍋リンピック」、
> 4年に1度の祭典を開催したい季節が到来した、
> と思うんですけどぼちぼちやりません?
> 誰かの家で・・・小林大吾の家で。
エントリー鍋:
・豆乳鍋……古川耕(東京)
・水菜と豚肉をひたすら食べる鍋……武内一武(神奈川)
・納豆を入れたチゲ鍋……武内梨永(神奈川)
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なんでウチが名指しなんだという個人的な絶句はともかく、そうして決定した開催日こそインストアライブの翌日、1月25日の日曜日だったのです。
参加メンバー:
01. タケウチカズタケ(SUIKA)
02. タケウチリエ
03. 古川耕
04. 古川睦
05. ALI-KICK(Romancrew)
06. 将絢(Romancrew)
07. DJ TOKNOW(Romancrew)
08. タカツキ(SUIKA)
09. ATOM(SUIKA)
10. 小林大吾
11. ミス・スパンコール
この人数…。
ひとつの鍋ではなく、3種類の鍋を1部屋に持ち込み、総勢11頭の飢えた野獣どもが貪り喰らうダイナミックな祭典…どっさりと供された数十キロの大地の恵みを前に、感激した僕らが天を仰ぎ見たのもムリからぬこととこれでお察しいただけましょう。数十キロの野菜をプレゼントしてもらうことと、11頭もの獣が1部屋につめこまれること、どちらか片方ならまだしも、そのふたつが折よくたまたま重なる機会なんて、そうそうあることではございませぬ。
頭に落ちてきたら脳震盪ではすまなそうな重みをもった立派な白菜の、みずみずしく甘いことといったら、みんなそれだけを生でぱりぱりと食べていたくらいです。ライブを終えたその日の夜に僕が煮た大根は思いのほか好評であっという間になくなってしまいました。2009年冬季鍋リンピックが熱狂と歓喜のうちに幕を閉じることができたのは、何にも増して差し入れいただいたこの美味なる野菜のおかげです。ほんとうにありがとう!
鍋リンピック2009冬 - 公式テーマ
by INC(International NABE-lympic Committee)
しかし天下のロマンクルーがウチに鍋をつつきに来るとは思いもよらなんだ。
2009年1月23日金曜日
箸とお椀を持参する博士の肖像
2009年1月24日(土) 17:00〜
@TOWER RECORDS 新宿店 7F
"UNDER THE WILLOW -ICHIGO-" まだまだリリース記念
タケウチカズタケのインストアライブ with 小林大吾(ポロリもあるよ)
・特典があったようななかったような
・入場無料です!
・六本木TSUTAYAのインストアを告知したときの投稿をサンプリングしています
明日土曜日は17時から新宿タワレコでインストアライブです。いつもの曲をひとつふたつ披露してトンズラこくようなかんじですが、よかったら食い逃げや駆け落ちのついでにでもぷらりとお立ち寄りください。タケウチカズタケとの共作 "Sounds Like A Love Song" のスポークンバージョンをまだお聴きでなければ、ぜひ。きのうのステッカーもいちおうインストアで使われるようなのですが、行けばもらえるという類いのものではないようです。すみません…とあやまることでもないか。ステッカーだし。
*
「おや、博士!」
「やあダイゴくん」
「珍しいですね、自らご登場とは」
「お招きありがとう」
「いや招いてないですけど」
「モツ鍋だろう?」
「モツ鍋?あ、箸とお椀持ってる」
「食器くらいはあったほうがよかろうと思ってね」
「いったい何の話ですか?」
「いい具合にはらわたが煮えたと聞いたぞ」
「煮えたんじゃなくて煮えくり返ったんです!」
「…」
「…」
「同じじゃないか」
「…同じっぽいですね」
「ムダな抵抗はやめてはらわたを出せ」
「ホラー映画みたいなこと言わないでくださいよ!」
「腹がへってしかたないんだ」
「だいたい…あれ、モツ鍋?」
「モツ鍋だろう?」
「何のモツですか」
「だから君のだよ」
「言うに事欠いてともだちのはらわたを!」
「…」
「あ、なんか微妙な顔してる」
「そうだな、つまり…」
「…」
「まあ、一種の愛情表現みたいなものだよ」
「いま強引にねじ曲げましたね、何かを」
「君を食べてしまいたい」
「それは口説き文句ですよ!」
2009年1月22日木曜日
パンダみたいな犬の絵を描いたことのつづき
2009年1月20日火曜日
ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その79
しかし他のアーティストのブログというのはじつにアーティスト然としていて、ピカピカ眩いかぎりです。意識して違いを際立たせようとしているわけではぜんぜんないのだけど、それにしてもこのブログとはパーマン1号とパーマン2号くらいのちがいがあるように思われます。どっちがいいかはまた別の話としても、これはやはり相当な差異であると言わねばなりますまい。どちらもパーマンであることには変わりないのに!
オレだってパーマンのはしくれだぞ!とかそういうことを言いたいわけではなくて、ただ、どうしてこうも違うんだろう?と首をかしげているのです。
わかっています。
告知がないからです。
*
ドキッ!ねずみだらけの水泳大会(ポロリもいるよ)さんからの質問です(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)。2回目?かな?どうもありがとう!
Q: よく考えてください。来年は本当に丑年ですか?
本来はこれこそ真っ先に、それも去年のうちにお答えしておかなくてはならない質問です。年をまたぐどころか、3週間もすぎてしまってすみません。
しかしたとえば巳年を丑年だとおもいこんだからといっていったい何の不都合がありましょう。ミス・スパンコールの母君にいたっては、酉年の年賀状にハトを描いていたくらいです。酉といったらニワトリだよ!と思われるかもしれないけれど、大昔はワニといったらサメのことだったし、長い長い歴史のある時点、ある一瞬においてさえハトでなかったとは誰にも言い切れないのです。
たしかに今年は丑年ではないのかもしれません。そういえば僕もその結論を文献なり資料から導き出したわけではない。しかしだからどうだというのです!ハムラビ法典さえ慈悲深くみえるイスラエルの詭弁にくらべたら、今年の干支なんて大した問題ではないとこの際僕は声を大にして主張するものであります。だって牛、描いちゃったもの。国連の運営する学校を破壊して「まちがえました」で済むんだから、「牛を描いちゃったから丑年」という言い分もバッチリ理にかなっていると僕はおもう。
A: そうあってほしいと、心から願っています。
いろいろ考えてみたんだけど、やっぱり他に言いようがないですよ。
*
dr.moule*gmail.com(*を@に替えてね)
その80につづく!
2009年1月19日月曜日
「銀座・丸の内のOL」に与えられた特権とは
ある日の新聞に掲載されていた通販の広告…
丸の内のOL100人がセレクト?
たしかに「丸の内のOL」という言い回しには、「ハリウッドの住人」とおなじくらい、固定されたイメージを喚起すると僕もおもいます。OLのなかのOLという感じがするし、たまたま職場がそのへんだっただけなのに、まるで熾烈な競争を自らの手で勝ち抜いてきたかのような錯覚をおぼえる気がしないでもない…それとも僕が知らないだけで、その他エリアのOLとは明らかに異なる文化を育んでいるんだろうか?アーミッシュのように?
でも僕はこういう、裏目に出ても表と言い張るやりかたってきらいじゃないです。
何が特別価格だこのやろう、ともおもうけど。
2009年1月17日土曜日
歌うボストンの地方裁判所判事、ミルトン・ライト
消しゴムで代用したあの日から急にアクセスが跳ね上がってふくざつなきもちです、とミス・スパンコールに相談したら「そりゃだって、うんこですから」とこともなげにあしらわれました。決まりきったことだと言わんばかりに。
*
衝撃の初CD化…
Milton Wright の "Spaced" !
ただでさえ珍しい1st "Friends & Buddies" よりもさらに輪をかけて珍しい(LPは市場価格7万〜10万)上に、CD化されていなかったために耳にすることさえかなわなかったミルトン・ライトの2ndを聴ける日が来るなんて!
こんなにきもちの良いアルバムだったのか…。感無量です。
しかしこれを30年前につくった当の本人はいま地方裁判所の判事(!)をやっているというんだから、アクロバティックな着地のしかたがあるものだなあ。
と感心してたら思い出した。そういえば妹のBetty WrightもIQが170ちかくある(数学好き)ってデビューLPに書いてあった!
兄妹そろってどうなってるんだ。
2009年1月16日金曜日
借り物でまかなうインストアライブの告知
そういえばそんなことを言っていたような…言っていなかったような…とメールボックスを確認してみたけれど、そんなメールは見当たらない。しかしそういう話はしたような気もするし、タケウチカズタケのブログにも書いてある…とおもったら向こうは向こうで自信たっぷりとは言いがたい書きぶりで、しかたがないからタワーレコードのイベント情報を検索してみたら、ああたしかに予定されているじゃないか、よかった。よかった。
というわけでインストアライブの告知です。当事者の記憶があやふやでも、天下のタワーレコードがそう言っているのだからまちがいはありません。
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2009年1月24日(土) 17:00〜
@TOWER RECORDS 新宿店 7F
"UNDER THE WILLOW -ICHIGO-" まだまだリリース記念
タケウチカズタケのインストアライブ with 小林大吾(ポロリもあるよ)
*特典があったようななかったような
*入場無料です!
*六本木TSUTAYAのインストアを告知したときの投稿をサンプリングしています
(略)何より、タケウチカズタケのソロライブを観たことのない人にはとくにオススメしたい!何しろ以前新宿タワレコでインストアライブをしたときは、あまりの破壊力に打ちのめされた聴衆が奪い合うようにCDを買い求めたばかりか、サインをもらうために遠くの階段まで異様に長い行列ができたという、ちょっとした逸話を残したくらいです。お店の人も目を丸くしていた。
観ればわかります。日曜日はどいつもこいつもお誘い合わせの上、新宿タワレコに行こう!
*六本木TSUTAYAのインストアを告知したときの投稿をサンプリングしています
*写真は2008年に同じ場所で行われたインストアライブの写真を流用しています
2009年1月15日木曜日
まっぷたつにされた鴨とストリート大喜利
今年たてた目標のひとつは、「食べたことのないメニューに挑戦する」というものです。一度気に入ったら以後はそればかり注文するじつに保守的な男なので、2009年はひとつ積極的にあたらしい扉を開いていこうじゃないかというわけですね。そう発奮してこないだ古川プロデューサーといっしょに近所のお店で鴨頭の辛口煮(珍味)というのをおもいきって注文したら、文字どおり毛をむしられたカモの頭がそのまま縦にまっぷたつにされて6つ出てきました。
ガッデム。まるでシュワンクマイエルの世界だ。
だいたい、メニューにのってたのは1皿につき3つだったじゃないか。どうして6つ出てくるんだ?
*
And now for something completely different...
*
本日のお題
ex. 拾った財布 を 大事に しよう
画像を加工したわけではなくて、びっくりするくらいキレイに文字が褪せて真っ白になっていたのです。
あるいは初めから空白だったのか?
2009年1月14日水曜日
FKPDの奇妙な手みやげ
2009年1月13日火曜日
驚異的な完成度に思わずうなずく夢の話
2009年1月12日月曜日
公共性を保つ自主規制としての消しゴム
この晴れやかな日にいきなりそんな一文で始まるのもどうかとおもうけど、道ばたにうんこが立っているのです。でもさすがにもうこんなことでいちいち騒ぎ立てるような年齢でもないし、写真を撮ってここに載せるわけにもいかない。だいたいうんこが立っていたから何だというんだ。
たしかに何か劇的なものを目撃したような印象は否めない。かといってそれをためらいなく口にするのも憚られるものがある。いえ、口にするといってもそういう意味ではないというか、あくまで話題にするという意味の慣用句であって、そんな滅相もない!
という感じなのですが
なんだろう?そこに茶柱的な吉兆を見て取るからだろうか?でも相手が相手だけに吉兆と言い切るのも気が引けるし、だからといって逆に凶兆とするには状況がおもしろすぎて、いまいちきもちが定まらない。
この無益なもどかしさを誰かと共有できたらうれしいんだけれど。
でもまあ八方手を尽くして話をきれいにまとめてみたところで、所詮うんこですからな。
(写真はイメージです)
2009年1月11日日曜日
失われた副菜についての小夜曲
2009年1月9日金曜日
ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その78
黒板消しについたチョークの粉を落とすクリーナーがあるでしょう?実際のところ粉が落ちてるんだか落ちてないんだかよくわからない、あの曖昧なクリーナーのことです。
でも黒板消し自体がそもそもクリーナーの一種なんですよね。つまりクリーナーのためのクリーナーというわけです。だとするとひょっとして黒板消しクリーナーのためのクリーナーというものも存在したりするんだろうか?黒板消しクリーナークリーナーのためのクリーナーは?
*
黒板消しクリーナーさんからの質問です(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)。どうもありがとう!
応募の際にはわりとどうでもいい質問をひとつ、とおねがいしたわけですけれども、お送りいただいたなかでもとびきりどうでもよさそうだった質問の第1位がコレです。
Q: 犬派ですか?猫派ですか?
僕は付き合いがわるいので、同じように付き合いのわるい猫というのは鏡を見るようでどうもいただけません。君ちょっとは協調性ってものを持てよ、と注意するそばからじぶんに跳ね返ってくる気がするし、苦々しいシチュエーションばかり思い浮かびます。なんだかんだ言って暮らすなら猫のほうが性に合っている気もしますが、そばにいてほしいのは犬です。
A: 犬派です。
「そうですか、フーン」と受け流してはいけません。犬なのか猫なのか、あのときはっきりさせておいてよかったと胸を撫で下ろす日がいつか必ずくるはずです。
*
dr.moule*gmail.com(*を@に替えてね)
その79につづく!
2009年1月8日木曜日
ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その77
今年の冬はなんだかいつもよりさむくないので、雪なんか降りゃしないな、とおもっていたのに明朝の予報が雪ってまったく、手のひらを返すような気候の変わりように憮然としてしまう。
*
ちょびヒゲ丸さんからの質問です(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)。どうもありがとう!ヒゲといっても味付けノリで代用するタイプのヒゲですね、これは。
Q: 好きなルパンは何世ですか?
カリオストロ派にはたいへんもうしわけないですが、僕はもう圧倒的に元祖アルセーヌ・ルパン派です。「813」と「続・813」ほどびっくりさせられた小説はない、と言い切ってしまいたい。とくに上巻となる「813」のラストは、事件そのものの解決とは直接関係がないにもかかわらず、超ド級のどんでん返しが待っていて、初めて読んだときは文字どおり椅子からひっくり返ったものです。まだ前菜だというのにメインディッシュ級の食材を惜しげもなくふるまうこの太っ腹ぶりはどうだ!物語としてただただ破天荒におもしろいし、それでいて下巻にはこの驚きを上回るビッグバン的結末が用意されているのだから、読み終えてしばらく開いた口がふさがりませんでした。呆れるほど大胆に大風呂敷を広げながら、最後にはキュッと美しく結いあげてしまうルブランの鮮やかな仕事ぶりといったら、それこそアルセーヌ・ルパンその人の手際とくらべても何ら遜色ないと僕はおもいます。熟練した名人芸とはこういうものかと、つくづく感じ入らずにはいられません。
いつの間にかルブランの賛辞になってしまった。
僕個人の印象で言うと、ルパンの魅力をより堪能できるのは、「バーネット探偵社」という短編集です。黒々とした闇を内に湛えて心理的にも容易にはとらえることのできない、アルセーヌ・ルパンという男の複雑な機微が見事なまでに描き出されています。「んもう、ルパンたら!」と身悶えすること必至です。軽妙洒脱なふるまいによって、一見するととてもそうは見えないところがポイント。どうしたらこんなふうに人物を描写することができるんだろう?
*
世界の王になれる器を持ち、実際そういう野心も否定しないアルセーヌとくらべて、3世はむしろ徹底してアウトサイダーであること、より自由であることに信条を据えているように見えるけれど、どうでしょうね?権力に対する受け止めかた、向き合いかたが決定的にちがう気がするのです(少なくともアルセーヌにおいては、それがあることを自然として受け入れる準備ができている、ということです)。だとすれば、受け手の期待からしても後者がヒーローになりうるのに対し、権力を拒絶ではなく「内包」するという点で前者は決してヒーローになり得ない…つまりより悲劇的です。だからというか何というか、勝利の代償として失うものがいつもちょっと大きすぎるし、そのたびにアルセーヌときたら心底打ちのめされています。かわいそうに!そうしてたぶん、そこが好きなんだとおもう。まったく同じ理由で、だからこそ3世のほうがスキ!という人もいるでしょうね。僕はそもそもじぶんの人生において自由を至上の命題としてはいないのです。
A: 1世です。断固として。
とはいえ、おちこんだときに元気をくれるという意味ではもちろん僕もルパン3世を支持します(しかもそれは、見ようによってはルパンよりもはるかにアウトローな銭形警部の存在によってです)。しょげ返ったところにアルセーヌの傲岸不遜な知能を見せつけられても困るし、そんなのますますじぶんがいやになるだけですよ。
*
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その78につづく!
2009年1月7日水曜日
うつくしい苔、あるいは配信に悩むアイザックへイズ
だから何なのだと詰られれば、顔を真っ赤にして「うるさい!」と返すほかないのだけれど、苔がスキです。(キャッ)それは僕にとって「地上で最もうつくしいもの」のひとつでもあります。
ベランダのすみっこにひっそりと息づいているのをみると、このままベランダが苔で覆われてしまえばいいのにとおもう。
*
そういえば年末から「1/8,000,000」の楽曲(?)がitunes store(?)で配信(?)されているらしいのですよね。デジタルで音楽って買ったことないから何がどうなっているのかちっともわからない。はてなマークがいっぱい並んでいるのは、どれも僕の日々とは完全に切り離された単語ばかりだからです。だいたい、ポータブルプレイヤーでさえipodではなくiriverだし、ipodもかっこいいなとおもうのだけど、気づいたらなんとなくそういうことになっていたので…と書いたそばから「ちょっとイイわね…」という気になってきた。熟れた柿みたいに空からポテッと落ちてきたりしたらとてもうれしい。
なんの話だっけかな?
なんの話でもないのか。
去年亡くなったアイザック・ヘイズの作品に「Hot Buttered Soul」というエポックメイキンなアルバムがあるのだけれど、収録されているのはたったの4曲です。そのうちのひとつであり、アルバムの目玉でもある「By The Time I Get To Phoenix」のカバーは19分もあります。しかもヘイズが「バイザタ〜イム…」と歌い始めるのは8分も半ばをすぎてからです(イントロだけでゆうに3曲分はある)。
岡本太郎の「明日の神話」とか、横山大観の「生々流転」とか、万里の長城とか、大雑把に言うとだいたいそんなかんじの一大叙情詩であります。わざわざそんな例えかたしなくたっていいようなものだけど。
これ、配信だけで買うとしたら30秒試聴しても肝心の歌はおろかビートさえ入ってこないので、どこがどう「By The Time I Get To Phoenix」なのか、これまたサッパリわからない。丸1日煮込んだコンソメスープの、湯気だけ眺めるようなものです。においも届かない。いやまったく、リリースから40年もたっているのに、いまだに枠からドッカリはみ出してしまう強烈な作品を残して逝くなんて、つくづく足の長い偉大な音楽家だとお思いになりませんか、マドモワゼル。
つくづく偉大な音楽家です。(2度言う)
という具合に今日の更新はうまいことアイザックへイズ追悼のお話にぶじ着地と相成りました。バーイ!
*
なんだこの終わりかたは
2009年1月5日月曜日
ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その76
"AMAZING NIGHT" を知っている!という方からおたよりをいただきました。おお…やはりいらしたのですね。ありがとう!ミス・スパンコールもホッとしたようです。メールには「ちなみにわたしは今も昔もサンリオ派です」とありましたが、そのきもちはよくわかります。そうですよね。僕もそうおもう。ありふれた日常にまで浸食してきてその顔を見ない日はないリラックマより、メルヘンの世界から決してはみ出すことのないシナモンのほうが、僕にしてみればよほど好印象です。
*
さて、2008年中にいただいた数々の質問に、ようやくお答えするときがやってきました。びっくりするくらいどうでもいいようなものから、たっぷり1日は考えこんでしまいそうなものまで、とにかくありとあらゆる質問がほとんど去年1年分と同じくらいストックされているので、なんというか、じつに助かります。今年はこれで乗りきりたい。
*
ローラースルーゴーゴーさんからの質問です(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)。どうもありがとう!「ゴーゴー」というのは平成になって失われたファンシーな語感のひとつですね。
Q: 自分で書いた文章で、「詩」と「メモ」の区別がつきません。「ああ、これは詩になってる、確かに詩だ」という確信を持ちたいのです。そのメモ文章を、詩と呼ぶにはなんか気後れします。なんか根本的に違うのでしょうか?詩を書こうと思ってかかれるのですか?
いちばん手っ取り早い解決方法は、「名前(あるいはタイトル)をつける」ことです。ふつう、メモに名前はつきません。ですよね?たとえ1行しかなかったとしても、それ以上引くことも足すこともできないのであれば、それは名前をつけられてしかるべきです。要は自分がアウトプットしたものに対してきちんと向き合う、ということですね。
それからこれはとてもだいじなことだとおもうんだけど、きもちを書きとめることと、詩を書くことをごっちゃにしてはいけません。すくなくともじぶんのなかで確固たるルールができていないと、この両者は大抵ごっちゃになってしまいます。なぜそれを詩と呼ぶのかと訊かれたときに、自分なりの答えを持っていないのであれば、それを詩と呼ぶことはできないはずです。
映画「デッドマン」に、詩人ウィリアム・ブレイクと間違えられた主人公が、銃を構えながら "...You know my poetry?(これがおれの詩だ)" と言ってズドンとぶっぱなすシーンがあったけれど、僕の言いたいことはだいたいこの1コマに集約されています。
A: そのメモすべてに、名前をつけましょう。
ちなみに僕の場合は、「このフレーズは何物にも代えがたい」と感じたときのみ、それは詩になります。烙印のように痛みを伴い、じゅっと焼きつけられて消えない種類のことばです。痛みと言ってもネガティブな意味ではありません…と言ってもちょっとわかりづらいかもしれないけれど。
*
dr.moule*gmail.com (*の部分を@に替えてね)
その77につづく!(と言えることがうれしい)
2009年1月4日日曜日
そのキャラクターはどのくらい認知されていたのか?
かつて "AMAZING NIGHT" というキャラクターグッズのシリーズがあり、これをミス・スパンコールはとても愛していたというのです。グッズを企画販売していたのは、リラックマやたれぱんだで知られる サンエックス である、ということまではわかるのだけれど、それ以外はまったくといっていいくらい不明で、検索さえ1件もヒットしません。
20年くらい前の話だというし、そもそもそんなキャラクターは存在しなかったのではないか?と一時は幼いころの淡い思い出まで全否定に傾きつつありました。そんなもんはぜんぶ気のせいだ!だって誰も知らないじゃないか、グッズさえ手元には残ってないんだぜ、というわけですね。
そう、事実きのうまでは証拠と言ったら彼女の記憶ひとつしかありませんでした。僕らはそれをたしかめようがなかった。
ところがここにいたってとうとう証拠物件が、ミス・スパンコールの禍々しい密林のような生息区域(コッポラの「地獄の黙示録」をイメージしてください)からかろうじてひとつだけ発見されたのです。
これが問題の証拠物件
拡大
回転
さらに回転
現時点で判明している事実は以下の4つです。
1. 「サンエックス」のキャラクター
2. 80年代後半に販売されていた
3. シリーズ名は「AMAZING NIGHT」
4. キャラクターの名前は「WILTON」「SPENCER」「TIPIP」「PETER」「PUPP」「BONY」
当時AMAZING NIGHTにのめりこむちびっこは他にも大勢いたんだろうか?検索にも引っかからないばかりか、現物を見てもいまいち疑念が拭いきれない。「あ、知ってる!」「好きだったコレ!」という人いますか?よくよく思い返してみればハンギョドンが好きだった僕にとってはこんなの別にどうだってよいのであった。
dr.moule*gmail.com (*を@に替えてね)
ちなみにミス・スパンコールがとりわけ愛していたキャラクターがこれ↓
しかしよりによってこの、どことなく焦点の定まらないボンヤリしたキャラクターを好むあたり、ミス・スパンコールの感性は小学生のころからほとんど変わっていないらしい。
2009年1月3日土曜日
新年のご挨拶、ならびに「中間色」という肩書きについて
あけましておめでとうございます。
今年は初夢にBLOWFLYが出てきて唖然としました。2 LIVE CREW の親父世代にあたる元祖ダーティラッパーです。たしかに大好きなんだけど、正月の夢に颯爽と登場すべき人ではない。
ミス・スパンコールは「しょこたんに負けた」と言っていましたが、何で負けたのかは本人にも判然としないようで首をかしげておりました。とにかくしょこたんとなんらかの勝負をしたことはたしからしい。
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年賀状が届いたというメールをちらほらいただいています。けっきょく出すのがずいぶん遅くなってしまったので、1日にお届けできなくてすみません。よろこんでもらえたら何よりです。
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そういえば年末にNHK-FMで詩人の刻印から曲をかけてもらえるというので母親にその旨を連絡したら、どうやら友人と車のなかで聴いていたらしく、パーソナリティの方がいろいろと小林大吾についてお話ししてくれたこともあって「やっとあんたのことを説明できた」と胸を撫で下ろしておりました。いつも「息子さんはふだん何をなさってるの?」という質問に苦慮していたそうだし、残念ながら僕もそれに関しては同じようにろくな解決策を持たないので、つねづね気を揉んでいたのです。
一言で伝えられる肩書きがないことには今も変わりがないけれど、それでも何というか、息子のことをそれなりによろこばしく話してもらえるというのは幸せなことです。すこしだけ、孝行ができたみたいでよかった。
何しろ父親にいたっては友人に僕を紹介しようとして「DVD出してるんだ」と言い出す始末です。たぶん彼も、僕がふだん何をしているのかよくわからないんだとおもう。サンタさんに「わかりやすい肩書き」をお願いしといたらよかった。
やることなすこと、何色とハッキリ定義できるような色のものではないんですよね。考えてみたら詩人としてつくってる曲もぜんぶ、中間色というか、ヘンな色ばっかりだ。
中間色か…変わった肩書きだな…。
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ともあれ、今年ものびのびとよろしくおねがいします。望まれていることがあるとすればそれはやっぱりアルバムだとおもうので、古川Pに見捨てられないうちに3枚目を出すつもりです。知らない間にどんどん階段をのぼって、日を追うごとに遠い存在になっていきそうなんだもの。さすがにちょっと駆け出さないと追いつかないという気がしてきた。