2009年1月5日月曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その76


"AMAZING NIGHT" を知っている!という方からおたよりをいただきました。おお…やはりいらしたのですね。ありがとう!ミス・スパンコールもホッとしたようです。メールには「ちなみにわたしは今も昔もサンリオ派です」とありましたが、そのきもちはよくわかります。そうですよね。僕もそうおもう。ありふれた日常にまで浸食してきてその顔を見ない日はないリラックマより、メルヘンの世界から決してはみ出すことのないシナモンのほうが、僕にしてみればよほど好印象です。


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さて、2008年中にいただいた数々の質問に、ようやくお答えするときがやってきました。びっくりするくらいどうでもいいようなものから、たっぷり1日は考えこんでしまいそうなものまで、とにかくありとあらゆる質問がほとんど去年1年分と同じくらいストックされているので、なんというか、じつに助かります。今年はこれで乗りきりたい。


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ローラースルーゴーゴーさんからの質問です(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)。どうもありがとう!「ゴーゴー」というのは平成になって失われたファンシーな語感のひとつですね。



Q: 自分で書いた文章で、「詩」と「メモ」の区別がつきません。「ああ、これは詩になってる、確かに詩だ」という確信を持ちたいのです。そのメモ文章を、詩と呼ぶにはなんか気後れします。なんか根本的に違うのでしょうか?詩を書こうと思ってかかれるのですか?



いちばん手っ取り早い解決方法は、「名前(あるいはタイトル)をつける」ことです。ふつう、メモに名前はつきません。ですよね?たとえ1行しかなかったとしても、それ以上引くことも足すこともできないのであれば、それは名前をつけられてしかるべきです。要は自分がアウトプットしたものに対してきちんと向き合う、ということですね。

それからこれはとてもだいじなことだとおもうんだけど、きもちを書きとめることと、詩を書くことをごっちゃにしてはいけません。すくなくともじぶんのなかで確固たるルールができていないと、この両者は大抵ごっちゃになってしまいます。なぜそれを詩と呼ぶのかと訊かれたときに、自分なりの答えを持っていないのであれば、それを詩と呼ぶことはできないはずです。

映画「デッドマン」に、詩人ウィリアム・ブレイクと間違えられた主人公が、銃を構えながら "...You know my poetry?(これがおれの詩だ)" と言ってズドンとぶっぱなすシーンがあったけれど、僕の言いたいことはだいたいこの1コマに集約されています。



A: そのメモすべてに、名前をつけましょう。



ちなみに僕の場合は、「このフレーズは何物にも代えがたい」と感じたときのみ、それは詩になります。烙印のように痛みを伴い、じゅっと焼きつけられて消えない種類のことばです。痛みと言ってもネガティブな意味ではありません…と言ってもちょっとわかりづらいかもしれないけれど。



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dr.moule*gmail.com (*の部分を@に替えてね)



その77につづく!(と言えることがうれしい)

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