2012年12月30日日曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その111 晦日版




ゴルゴンの超絶美白化粧水「蛇女房」プレゼントキャンペーン展開中です。しめきりの目安は明日、31日の大晦日まで!増刷したので確率上がってます。

温かいコメントをいっぱいもらってじーんと胸ふるわせる年の瀬です。どうもありがとう!

そしてピス田助手の手記がそんなに好評だったとはおもわなんだ。






110回を数えた9月を最後に更新が止まっていたパンドラ的質問箱ですが、あとちょっとだと多寡を括っていた質問がおもいのほか大量に残っていたので(すごい汗でた)、年末でもあるし、ちょうどこうゾロ目で縁起もいいし、大盤振る舞いの超拡大版でお答えします。




クエンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: 大吾さんが質問されて困ることってなんですか?(その質問に対する答えは必要ないです)


ゆるゆると長くお付き合いいただいている方々はすでにうすうす感づかれてもおりましょうが、これはもう、考えるまでもなく、ライブやアルバムについての質問です。質問を募集するとだいたい5つに1つはどちらかが入っています。とくに最近ここに辿り着いてくれたはじめましての方に多いですね。至極もっともなことすぎて返す言葉もありません。「もう活動はされていないのですか」と聞かれることもありますが、「これでフル稼働です」とはさすがに言いづらくていつも難儀しています。


A: 察してください。




イノシンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: 犬派ですか?猫派ですか?アルパカ派ですか?私は猫派です。


じつはこの質問、以前にもお答えしたことがあります。あるのですが、そのときの選択肢にアルパカは入っていませんでした。入ったからといって、うわー困ったなこれじゃ選べないよ、というようなことにはもちろん全然ならないんだけど、せっかくだからアルパカにしておきましょうか。アルパカ、可愛いですよね。ちなみに僕がこの動物を知ったのは筒井康隆の「残像に口紅を」を読んだ中学生のときです。いまだに覚えてるくらいだから、よほどのインパクトだったんだとおもう。


A: アルパカ派です。




オレインさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: ビールに合うさいこうのつまみは何だと思いますか?僕は絶対に茄子の一本漬けだと思います。


僕はそもそも茄子が大好きなので一本漬けに1票入れたい気もするのですが、それじゃアレだから、うーん、なんだろう。おいしいソーセージを食べるとビールが飲みたくなります。すごく。ヴァイスヴルストという白いソーセージが好きです。そんな耳慣れない舶来ものを食べる機会ってあんまりないとおもうけど、その昔住んでいたアパートの近くに、ドイツでマイスターを取得した(!)職人の小さなお店があったんですよね。日々の食卓にのせるにはちょっとハードルが高いから、バイトの給料が出たときとか年末に2、3種類買ってみる、とかそういうことをしてました。しかしまあ、それはまたぜんぜん別の話ですわね。

この質問、いろんな人に訊いてみたいです。


A: 皮をむいて食べる白いソーセージ




グルタミンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: 今年を漢字一文字であらわすなら。


僕はいまだに世間一般とはうまくやれていないようなところがあるので、「辰」でいいや、という投げやりな気持ちがなくもありません。このぶんだと来年は「巳」でお茶をにごすことになるとおもいます。

あるいは「虚」あたりならわりとアリな気もするんだけど、どうでしょうね?僕個人の話でいえば、じぶんでも空恐ろしくなるほど大風呂敷を広げて乗り切る危うい日々だったので、「虚栄」の「虚」です。


A: 「虚」

正直に告白すると、この質問における「今年」とは2011年のことです。




ヒアルロンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: 以前お行儀良く並んでいた6粒の豆たちはいかがお過ごしでしょうか?ちんぷりかえってはいませんか?どーでもいいですが、珈琲豆はグァテマラがたまりません。

そうですね、彼らの辿っていった道のりを想像するに、今ごろは海に出て地球との一体感を噛みしめているのではないかとおもいます。やがては雨となってインドネシアにふりそそぎ、すくすくと育つコーヒーの木を支え、運がよければジャコウネコのお尻からぷりっと吐き出されるコピ・ルアクとして新たに収穫されることでしょう。案外、谷中あたりで売られるかもしれません。

ちなみに僕はコーヒーを焙煎し始めた20年前からずっとマンデリン一筋です。20年もたつとおいしいかどうかよりも「ずっとそうしてきたから」という慣習的な意味合いがつよくなり、もはや味は二の次になってきます。今さら乗り換えたところで舌がぎょっとするだけなのです。たまに別の豆をためしたあとでマンデリンに戻ってくると、旅行から帰ってきたときの部屋みたいな落ち着きがあってホッとします。


A: グァテマラもおいしいですよね。




アスパラギンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: 最近よく思うんですけど誰も見ていない鏡は一体何を写してるんでしょうか。ちなみに俺は物が見えるのは光の反射を受け取る網膜があってこそだと思うので 誰もみてないとなんにも写ってなくて、鏡はのんびりしてんじゃないかと思ってます。


その真偽をたしかめようがないという意味では宇宙のはしっこと同じくらいむずかしく、深遠で、かつどうでもいい問題です。網膜の仕組みをもちだすくらいなら「壁じゃね?」と即物的な解答であっさり退けて牛丼でも食べに出かけてしまいそうなものですが、そこにはおそらく自然科学を学んでも拭いきれない一片のやわらかな信仰みたいなものがあるのでしょう。リチャード・ドーキンスみたいに世界を論理で一刀両断にばっさりやってしまうよりは、はるかに角の取れた心のありようだと個人的にはおもいます。とりあえず吉野家でも行きませんか。

待てよ、と僕がおもうのは、僕らが見ているあいだ鏡は本当にキリッとしているのか、という点です。そもそも僕らは鏡が気を抜いてのんべんだらりとしている状態を知りません。正面から向き合っているときの鏡がだらしなく寝そべっている状態ではない、と誰に言うことができましょう。僕らにはそう見えないだけで、鏡からしたらごろりと横になって頬杖をつきながらぽりぽりお尻をかいている真っ最中かもしれないのです。ことによると鼻をほじったり屁をひるような暴挙に出ていないともかぎりません。とにかく前に立つ僕らの姿を写しておけばよいのだから、裏で何をしているかなんてわかったものではない。ふわっとしてどことなくメルヘンチックだったはずの話がいつの間にか目を覆いたくなるような現実とクロスオーバーしてきて業腹です。鏡の野郎……!

とふくらむ空想に地団駄を踏んでも詮無いことです。ね?だから牛丼食いにいこうぜ。


A: 松屋でもいいです。





アスコルビンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: 大晦日は何しますか?or何食べますか?


本当は夜まで何もせずにただ空を眺めていたりしたいのですが、元旦に料理を持ってこいと実家から厳命されているため、たぶん朝から台所にはりついて、揚げたり煮たり蒸したりしているはずです。5年くらい前まではもうすこしのんびりしていたような気がするのに、ちかごろは意に反してあわただしいから困ります。せめて甘栗は食べたいです。


A: 台所に釘付けの予定です。




グリチルリチンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: 1)「手漕ぎボート」で唄っているのは誰ですか?歌詞も知りたいです。 2)アンジェリカはスナークを捕まえてどうするつもりなんですか? 3)ぴかぴかに研いだ死神の鎌をかついだアンジェリカのお供をしていた奇特な方は誰ですか?大吾さんですか? 4)大吾さんの作品は、詩と音楽とジャケットイラストなどが同時に作られているんでしょうか? 5)ライブの予定はありますか?ぜひ生で聴きたいです。


A: 1) 歌っているのは50年ちかく前のすばらしいシンガーです。"Don't be afraid, do as I say, baby."と歌っています。 2) 何か頭にくることがあったようなので、ひどい折檻をくわえるんじゃないかとおもいます。 3) 僕ですね。 4) これは別々です。回路が異なるのか、同時に進行することはたぶんできません。もうちょっと厳密に言うと、完全に切り離されているわけではなくて、脳内に色のちがう椅子がいくつかあって、そのときどきで少しずつ配置が変わる、というイメージです。陣形、と言い換えてもいいとおもいます。同時に複数の陣形をとることはできないのです。 5) 予定はありませんが、まったくやらないというわけではないので、いずれお会いできたらうれしいです、僕も。どうもありがとう!




デオキシリボ核さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: 2011年で5番目に衝撃だったニュースは何ですか?


これにお答えするにはまず2011年にあったできごとをどうにかして思い出さないといけないわけですが、1番や2番なら格別、5番目となるとそうですね…ちいさいころときどき境内で遊んでいた神楽坂の赤城神社の目をうたがうような変貌ぶりでしょうか。

古色蒼然たる往年のたたずまいは今や影もありません。隈研吾(!)の手によって、本殿がガラス張りで境内には草木が一本も生えていない、シンプルに洗練された清潔感ある超モダンなつくりに一新されています。「歴史のことなんてキレイさっぱり忘れようぜ!」という熱く前向きな意気込みがひしひしと伝わってきて、おごそかなきもちも豪快に洗い流されました。狛犬よりヨークシャーテリア、二拝二拍手一拝よりハンドクラップ、雅楽よりクラブミュージックがよく似合う神社です。


A: 赤城神社@神楽坂の改築




ドコサヘキサエンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: 好きな色があれば教えてください。


A: これも以前にお答えしたことがあります。菜の花色(やや緑みのある黄色)も好きです。




エイコサペンタエンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: もしも羆に生まれ変わるとしたらどんなマタギに撃たれてみたいですか?


鉄砲に撃たれること前提の転生ならむしろ誰か他の人に快くお譲りしたいところですが、そうも言っていられないとなるとやはりマタギを厳選しなくてはならないでしょうね。

クマたる僕がマタギに望む条件を、いくつか挙げるとしたら以下のとおりです。

1. 射撃スキルがゴルゴ13並み
2. 趣味はモンハン
3. クマ語がしゃべれる
4. 前世がクマ
5. じつは女子高生

1はやっぱり、一発で息の根を止めてほしいからです。撃たれたことに気づかないくらいの腕前が望ましい。むかし知人が注射の苦手な看護士に当たって腕を穴だらけにされていたのですが、そういう事態は痛いし怖いしかなしいのでなるべく避けたい。

2には、獲物を見つけて昂る気持ちはそちらで解消していただきたいという願いが込められています。うっかり仕留め損ねても「まあいいや、今日はもう帰ってモンハンでもやろ」ときもちを切り替えてもらえたらうれしい。

3は、ひょっとしたら交渉の余地があるかもしれないというむなしい願望のあらわれです。

4も重要です。マタギに撃たれて亡くなったクマならなお良いでしょう。これから撃たれるクマのきもちは、かつて撃たれたことのあるクマにしかわかりません。そんな前世をもつマタギになら、よろこんでこの身を捧げようという気にもなろうというものです。うまいこといけば「おれには撃てねえ」的なハッピーエンドも期待できます。

5は単純に「え、女子高生?まじかよ」みたいな驚きに目をみはって息絶えるのもわるくないな、という話です。わるくないですよね?


A: 前世がクマの女子高生







まだまだ残ってるとかそういうちいさなことにこだわらず、質問はいまも24時間365日年中無休でバリバリと受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)



 その112につづく!




例によって今年もとくに何をしたでもないのですが、そのせいもあってかどうか、音楽を求めてではなくデザインや古書、土木(!)といった別のカテゴリからここに辿り着き、そのまま今もお付き合いくださる方がちらほらといてうれしくおもいました。それもこれもかりんとうとか正直いらないスペイン土産とかどうにもならないような話をこりずに延々とつづけてきたおかげです。ちがうか。ちがう気もするな。でもそういう遠く隔たった点と点をむすんでいくような広がりほど僕にとって冥利に尽きることはないし、音楽にかぎらずゆるやかな世界観を全体としてたのしんでもらえているのだとすれば、それはやっぱり感無量であると言わないわけにはいきますまい。どうもありがとう!晦日はいかがおすごしですか!

(手を振っています)

去年の今ごろも書きましたが、これだけのろい足取りだと、やめる区切りもありません。閑古鳥をやたらいっぱい飼うことになってもあんまり気にしないで細々とつづけているだろうし、すくなくとも僕自身はそうしていきたいと望んでいます。もともとちっぽけな無人島で始めたようなことを、大陸規模にするつもりは毛頭ありません。それは誰か別の人の役目です。この島は大海原をひとり漂流して自然と辿り着いた人のためにこそありたい。

ときどきはメリハリもありつつ、でも基本的にはずっとこんな感じです。島はここにあります。もちろん、来年も。

今年も本当にありがとう!みなさま、よいお年を!



長い!


2012年12月26日水曜日

ムール貝博士が扉を爆破しなかった希有な日のこと



何ひとつ思い入れがないこともあって、ひとり部屋でこつこつと仕事をしていたクリスマスの日に、その人物はあろうことか音もなくやってきたのです。


カチリ

ガチャ

「ふーさむさむ」
「あれッ」
「うわッ」
「博士!」
「たまげたな。なんてことだ」
博士が音もなく入ってきた!
「なぜ君がここにいるんだ」
「ここは僕の部屋ですよ!」
「今日はほぼ全世界的にクリスマスだぞ」
「知ってます、それくらい」
「毎年この日は慰安旅行かなんかじゃなかったのか」
「いやいや、そんなことより、あれ?」
「なんだ。あッ靴脱いでなかった」
「ちょっと!靴は脱いでくださいよ!ふつうに!」
「ど忘れしただけだ。うるさいやつだな」
「博士いま鍵あけて入ってきましたよね?」
「つとめて紳士的にな」
「たしかにそこも突っ込みたい点ではありますけど」
「いないとおもったんだよ」
「鍵は?」
「もってるよ、もちろん」
「何で?」
「何でって…つくったからに決まってるだろう」
「合鍵を?」
「合鍵をだ」
「いつの間に!」
「備えあれば憂いなしだ」
「何の憂いです、いったい?」
「鍵がかかってたときの憂いだよ」
「空き巣じゃあるまいし!」
「どこの世界に鍵をあけて入る空き巣がいるんだ」
「それはそうですけど…でも僕が知らない間に」
「君が知ってるかどうかはまたべつの話だよ」
「別どころかむしろ問題はそこだけです」
「わたしだっていつも扉を爆破するわけではない」
「たしかに壊されずに済んだのはありがたいですけど」
「鍵がなかったら爆破するしかないだろ」
「ふつうはあきらめて帰るんですよ」
「ここに鍵があるのはつまりそういうわけだ」
「あれ?」
「鍵があって良かったとよろこぶべきなんだ」
「そうかしら」
「そうとも。だいいち、家主が在宅なんだぞ」
「そうですよ。だから?」
「いったい何を心配してるんだ」
「何って…何だっけな」
「こまかいことにいちいち騒ぎすぎなんだ、君は」
「だってそりゃ…」
「あッ、ストーブが点いてないじゃないか」
「節約してるんです」
「客がいるのに節約もへったくれもあるか。とっとと点けて茶を入れろ」
「そんないっぺんに言わないでくださいよ」
「年寄りを凍死させる気か」
「それが叶うなら僕の日々もずっと安らかになるんですけどね」
「レスト・イン・ピースというやつだな」
「道連れみたいになってますけど」
「まあいい。茶はどうした!」
「わかりました。わかりましたよ」

シュンシュンシュン

コポコポコポ

ズズー

「ああ、生き返った」
ピクニック気分で地獄から帰ってきた人のせりふとは思えない」
「茶葉は安いがあたたまる」
「それ、わざわざ言う必要あります?」
「慰安旅行はどうしたんだ」
「今年は見送られたんです」
「そりゃガッカリだな」
「ガッカリです」
「留守だったらもうちょっとマシな茶を戸棚から漁ってたのに」
「そっちかよ!」
「ひとりでも行きゃいいじゃないか」
「え?」
「ひとりで行ったらいいんだ」
「ひとりで行ったってたのしくないですよ」
「ハッハッハ!」
「え、なんで笑うの」
「いつだってひとりじゃないか」
「またそうやって傷口に塩を塗る!」
砂糖を塗れば治るとでも言うのか!
「そういう話じゃないですよ」
「要は君に主体性がないって話だろ」
「そんなことないですよ。むしろ僕が主体です」
「そうかそうか」
「憐れむような目で見るのはやめてください」
「だったら計画立てて実行すればいいだけの話じゃないか」
「専務が…」
「専務?」
「今年は専務に恋人ができたんです」
「ふーん」
「興味なさそうですね」
「ないよ」
「じつは僕もそんなにないんですけど」
「それで?」
「クリスマスはその人と過ごすって」
「何で?」
「何でって…それは僕もかねてから疑問におもっていたところです」
「なぜクリスマスに恋人が出てくるんだ」
「たぶんユーミンのせいです」
「ユーミン?」
「毎年こんなことを言ってる気がするからこの話はもうやめましょう」
「なんだ、もう終わりか」
「大多数の日本人を敵に回すことになるんです」
「日本人がなんだ。わたしなんか世界中が敵だぞ」
「博士が言うと説得力あるなあ」
「遠慮なくつづきを語るといい」
「あれ?そういえば博士は何しにきたんですか?」
「む?あ、そうだ忘れていた。じつは君にクリスマスプレゼントを…

バタン

むくり

「なんだ今のは」
「びっくりしすぎて心臓が止まったんです」
「ナイーブな心臓だな」
「博士がクリスマスプレゼント!?」
「ホントはこっそり置いていくつもりだったんだ」
「話が意外すぎる方向にねじ曲がってきた」
「サンタっぽいだろ」
「誰がですか?」
「わたしがだよ」
「どのへんが?」
「全体的に」
「まあ、おじいさんではありますものね…」
「失敬なことを言うな!」
「だって他には別に…」
「まあいい。メリークリスマス」
「こんな白々しいメリークリスマス聞いたことない。…何ですかこれ」
化粧水だ
「け…」
「毛じゃない」
「化粧水!?」
「ありがたく受け取るがいい」
「よりにもよって化粧水…?」
「そう言ったろうが!」
「いくら何でも僕らには無用の長物すぎませんか」
「何を言う。男子もお肌に気を配る時代だよ」
「なんかそれっぽいことを言い出した」
「何しろ売るほどあるんだ」
「たしか去年もそんなことを言っていたような気がしますけど」
「新品だぞ」
「誇らしげに言ってるけどそれは当たり前の前提です」
「旧家の蔵から出てきたデッドストックだ」
「それは古物というんですよ!」
「でも未使用だぜ」
「だってこれ何年前のですか」
「四の五の言うな!ぜんぶ置いていくから好きに使え」
「ひとつだって多すぎますよ!」
「わたしもピス田も使わないとなったら、あとはダイゴくんしかあるまいよ」
「体のいい厄介払いだ!」
「ほうぼうで売って歩いたらいいだろう」
「行商をしろと?」
「元手がタダなんだからぼろもうけだぞ」
「だれが買うんです、こんなものを?」
「だからこっそり置いていくつもりだったのに、まったく」
「僕のせいみたいになってる」
「部屋にいるほうがわるい」
「何度だって言いますけどここは僕の部屋なんです」
「用も済んだし、そろそろ帰るよ」
「こんな大量に化粧水を置いていかれても困ります」
「わたしは困らない」
「僕が困るんです」
「それは君の問題だな」
「元凶は博士ですよ!」
「同情する」
「してほしくないです」
「じゃあ撤回する」
「同情する前に持って帰ってくださいって意味です!」
「よいお年を」
「ちょっと。ちょっと!」



いうわけで気づけば今年で5回目を数えるひとり相撲キャンペーンの時期がやってまいりました。

初手から廃れているのでこれ以上廃れようがない、あるかなきかの霞がかった活動に今もゆるやかにお付き合いくださるみなさまにいつもありがとうの気持ちをこめて、ムール貝博士が置いていったゴルゴンの超絶美白化粧水「蛇女房を例によって10名くらいの方に贈ります。モノがモノだけにアレですが、性別は問いません、もちろん。









ご希望のかたは件名にゴルゴンの化粧水」係と入れ、

1. 氏名
2. 住所
3. わりとどうでもいい質問をひとつ

上記の3点をもれなくお書き添えの上、dr.moulegmail.com(*を@に替えてね)までメールでご応募くださいませ。競争率の低さについてはあえて言及するまでもありますまい。

締め切りは例によって12月31日の大晦日が目安です。が、応募がほとんどないこともすごくありうるし、実際のとこ毎年そのへんはボンヤリしているので、うっかり年を越しても大丈夫です。(仮に抽選となった場合でも、いただいたメールには必ず返信しています)


あと、まだ答えていない質問が放置されているのにさらに募集する不義理な点については、僕も気にしないので気にしないでください。


いつもいつも、本当にどうもありがとう。



2012年12月4日火曜日

「甘酸っぱいこどもたち」と呼ぶべき時代の話



秋に色づく桜の葉が好きなのです。赤でもなく黄でもなく、そのどちらもがほどよい塩梅で混じり合って人肌みたいに温かくまろやかな色合いは目にもやさしい、と寒気が来るたびにいつもおもう。桜は咲かない秋もいい。そう感慨にひたっていたのもしかしちょっと前の話で、どちらかといえばもう年の瀬です。梢にわさわさと賑わっていた桜の葉もすでに心許ない。声ばかりが聞こえていた鵯の姿も今やすっかり丸見えです。小春日和に登った木をおりた途端に冬なのだから、これはもうちょっとした浦島効果と言わざるを得ますまい。

思い出したようにひょっこり更新したからといって格別「聞いてー!」というほどのニュースがあるわけでもありません。それはもう、例によって例のごとくです。忘れたころにやってくるという意味では災いと同じだし、かえって更新されないほうが心安らかと言うこともできましょう。うっちゃれば忘れられるというだけで、そもそも人の記憶にのこるような身空でもなし、ときどき息災のしるしをぺたりと残しておけば…


(めんどくさくなってきた)


更新されなかったひと月ふた月の間にもあれやこれやとあったような気がしないでもないけれど、過ぎたことは忘れてかりんとうの話でもしましょうか




このブログをさかのぼること4年以上前(!)、甘鯛のポワレ教授がムール貝博士を訪ねた折に、みやげとして山脇製菓の「レーズン&かりんとう」を持参したことがありました。この投稿に書かれた「今後の予定」が今もそれほど変わっていないことにはひとまず目をつぶっていただきたい。

初めて口にふくんだときのおどろきは今でもよくおぼえているけれど、この「レーズン&かりんとう」はそれまで「甘い」か「そんなに甘くない」のどちらかでしかなかった(←暴論)かりんとうのありように「甘酸っぱい」という概念をもちこんだエポックメイキンな一品でした。

ここにその秘密があるよ!)

何より感心したのは、目新しさ偏重でレーズンという舶来の食材におもねるのではなく、あくまでかりんとうという本来の立ち位置をきっちりキープしていたことです。見た目も味も誰が食べたってかりんとうなのに、かつてこんなフルーティな味わいがあったろうか?レーズンとシナモンも脇役であることをわきまえているだけでなく、主役のさらなる魅力を引き出しています。そもそも僕はかりんとうを好んでカリポリかじるほうではなかったのです(←重要)。新しきを取り入れつつも頑なほど伝統に則っている、それでいて新規のファンを獲得するほどのおいしさに仕上げてしまう…これが新世紀のかりんとうでなくてなんだというのだ!

…という、他にもそんな例があるかどうかたしかめてもいない超局所的ラブコールから数年……。スーパーではあまりみかけることのなかった「レーズン&かりんとう」も最近ではわりとあちこちで見かけるようになりました。すくなくとも池袋界隈では今やハイブリッドなかりんとうとして新たにクラシック認定されたと言ってよいでしょう。


しかし伝説はまだつづいていたのです。


「レーズン&かりんとう」が次世代のかりんとう界を担う気高きプリンスとするならば、その麗しきプリンセス候補として今秋にお目見えしたのがこれだ!




温州みかんかりんとう」…!

もはや「甘酸っぱいこどもたち」とでも呼ぶべきかりんとうの新時代到来を確信しないわけにはいきますまい。

期待を裏切らないブレンドの塩梅もさることながら、ときどきフワッと口中に満ちる蜜柑の爽やかな香りといったらないのです。数ある果実のなかから温州みかんを選ぶあたりが和に寄らず洋に媚びずでまたうまいじゃありませんか。包装のデザインも洗練の度合いがさりげなくて可愛いし、この存在を知った翌日に直営店まで行って2袋買ったさらに翌日また買いに走る始末です。すごいぞ山脇製菓!

考え方とその結実ぶりで言ったら東洋水産のマルちゃん正麺にだってひけをとらない画期的かつ庶民的でハッピーなブレイクスルーだとおもう。ホントに。

ちょっと目先を変えただけで「新しい!」と言い張る安直な向きにはこのかりんとうをベシッと袋ごと投げつけてやりたい。焼きドーナツなんて、揚げずに焼いた時点でドーナツじゃないんだよ!



そういうわけで、年明けのお年賀にはこいつを方々にばらまこうと企んでいるのです。冷えますねしかし。


2012年10月16日火曜日

茜さす小春日和のインタールード


枝ぶりのよい木を目にするとよじ登る習性が大人になった今もなかなか抜けずにいるのです。氷の張った水たまりを踏みたくなるきもちとほぼ同じだから、そこに太い枝があるならみんな登ったらいいじゃないかとおもう。手とか足がよろこぶよ!



とまあそんな具合でよじよじ無心で登っていると、思いがけず女子から「ダイゴすごーい!」と尊敬のまなざしを向けられて一瞬うろたえるわたくし。文字通りおだてられて木に登る気の毒な中年予備軍の是非についてはいずれ然るべき向きから詮議もされましょうが、なにぶんちやほやされることに慣れていないのだからここは大目に見ていただきたい。




2歳児だし。


何だか王女に仕える庭師のようだ。(さるかに合戦のサルではない)



木登りとはべつに、枝ぶりに目を細めながら「こりゃ豪邸ですぞ」「こっちはマンションですかな」とリス的な視点で不動産鑑定をする高尚な趣味もあります。あまり人には共感してもらえないですけど。

2012年10月9日火曜日

左目にこめられた想い、その他の切り抜き



ある朝ミス・スパンコールから送られてきた1枚


待ち合わせだろうか?



写真といえば、撮ったところでろくすっぽ見返しゃしないケータイのフォルダからこんなのが出てきたのです。


ブッキ(©古川耕)という単語はこの耳慣れない文房具のためにあると言っても過言ではありません。あッおまけに3(冊)Pだ!と尾籠なことをとくいげにのたまうのはやめておきましょう。

それにしてもこういうのを嬉々として見せびらかすようになったら先も長くないな、といやにメランコリックなきもちになります。


…待てよ、コレずいぶん前にもここに載せたことがあるような気がしてきた。2回目だったら先も長くないどころかすでに今際の際だぞ!


(まあいいや)


食卓における四葉のクローバー的なよろこび



長年朝食に卵を割りつづけていてもそうそうお目にはかかれない希有な光景です。だからどうということもないけれど、ある種のよろこびを与えてくれているだけに、くずす前のちょっとした葛藤にはえも言われぬものがある。




その日の朝刊に折り込まれていた1枚


ずらずらと並ぶそれなりにお買い得な食料品を流し読みしていくとその下に、飲んでいたお茶を吹き出すくらいにはびっくりするお買い得品が



ふーむと唸るポイントがあるとすれば2つです。

1. 食料品とアダルトグッズが同列であること。
2. とても安い。


これが新聞の折り込みチラシであることを考え合わせるといまいち解せないのはその訴求対象ですが、しかし…


……(←このへんにものすごく多くの行間がある)



(まあいいや)




そしてその夜おそくに再びミス・スパンコールから送られてきた1枚



どうやらすっぽかされたらしい。


2012年10月4日木曜日

プラグ氏にまつわるその後のちょっとした話



【簡潔にして明快な後日談】

あたらしいプラグ氏がやってきました。


それはそれとして、もう数ヶ月前のことになるけれど、長年酷使してほとんどゾンビみたいになっていたヘッドフォンがとうとう朽ち果てたのです。内部で断線してどうにもならないからやむなくあたらしいのを調達しようとしたちょうどその折、ちかく二児の母になんなんとしている妹からメールが届きました。

「部屋の整理してたら使わないヘッドフォン出てきたんだけど、いる?」

ふだんはろくに連絡もとらないし、もちろんヘッドフォンの話なんてしてなかったから、まるでストーキングされていたかのようなタイミングに絶句したものです。そんな都合のいい話ってそうそうあるだろうか?

それほど音楽に散財するような妹ではないこともあって、性能については望むべくもないという気がするけれど、それを差っ引いてもありがたい話です。ないよりはあったほうがそりゃもちろんずっといいに決まっています。渡りに船、夜道でタクシーとはこのことです。ありがとう!ありがとう!持つべきものは妹だ!


…と小躍りしていたのに、いつまでたっても届きそうな気配がない。


住まいが近所ならともかく、ヘッドフォンのためにわざわざ出向くにはいささか距離があるし、はっきり言ってしまえばそれはめんどくさい。それでまあ、もともと棚から転がり落ちてきたぼたもちなのだから、しかたがないと肩をすくめて、けっきょく新調したのです。

それからいくばくかの月日が小川のようにさらさらと流れていきました。

(さらさら)

今ではあたらしいヘッドフォンもエイジングでだいぶ馴染んできたようにおもえます。ありがたいけどありがたいだけだった妹の話はもはや完全に忘れていたと言ってよいでしょう。実際忘れていたのです。


それがふと思い出したように今日とどきました。


まさかのBOSE!(ちょっとした高級品です)


それだけではありません。


妹がなぜこんなものを持っていたのかも唖然とするに足る謎ではあるのだけれど、今の僕からするとそれ以上に愕然とさせられるものがそこには付属していたのです。



標準プラグ。




後手だ。何もかも後手だ。


2012年9月28日金曜日

電気的アスパラガス、あるいはプラグ氏の災難について 後編


【前回までの簡単なあらすじ】

プラグを抜いたら先っちょがなくなっていた。



これを男女の営みにたとえると男性にとっても女性にとってもその恐怖がたいへんわかりやすくてよいのですが、しかしこんなことで有害指定を受けてもつまらないし、もうすこし教育的に配慮したかたちで再現してみましょう。




ある一人の紳士がカプセルホテルに泊まっています。




通常の起床後は言うまでもなくこうですが




実際には起きたらこうなっていたのです。



これだけでも十分に猟奇的でおそろしい話だとおもいますが、不幸なプラグ氏の首についてはこの際しかたがありません。また別のプラグ氏を連れてくればよろしい。問題は彼の頭がぽろっと取れてしまったことよりも、部屋の枕元に生首を放置したままではホテルが機能しなくなる、という点にあるのです。

この状態ではとても次の客を入れる(=別のプラグをさしこむ)ことなどできないし、しかもこのホテルときたらそもそも部屋がこの一室しかありません。

傾けて転がり出てくれるならよいけれど、実際にはこの空間が数ミリの直径しかなく、おまけに内部でしっかりと固定されています。ピンセットもろくすっぽ入らない状態で、いったいこれをどうやって取り出せというのか?

経年による老朽化ならあきらめもつきましょう。あるいは気軽に「まあいいや、ホテルの1軒や2軒」と肩をすくめることができるならそれもよろしい。しかし手に入れたのはついひと月くらい前の話だし、元よりそれをうっちゃれるほど太い腹を持ち合わせてもいないのです。これが恐怖でなくて何だというのだ。


しかし打てる手がなさそうに見えるからといって、手をこまねいているわけにもいきません。ムチャをすればすべてが台無しになるかもしれないけれど、といって何もしなければしないで使えないのだから結果としては同じです。どうせ散るなら華々しく散りたい。


そう開き直ってピンセットの先端をムリにごりごり突っ込んでいたら、今度は「カラン」と妙な音がするのです。

カラン?

というのはつまり何かが転がり落ちた音であり、何かが転がり落ちるとすればそれはもうほぼまちがいなく先の生首であり、しかも「落ちる」ということはそれまで行き止まりだとばかりおもっていた空間の先にじつはさらなる空間が広がっていたらしいことを意味しています。

たぶんこういうことだとおもう。



ますます取り出せなくなった!





とおもって一瞬絶望したんだけど、よく考えたらひとまず生首が枕元にないのだから素知らぬ顔で次の客を入れることはできそうじゃないか…




そういうわけで、カプセルホテルは今日も元気に稼働中です。生首は今も転がり落ちたままだけど、愛さえあれば関係ないよね!





※注:オーディオインターフェイスとそこに差し込んだ標準プラグの話です。

2012年9月25日火曜日

電気的アスパラガス、あるいはプラグ氏の災難について 前編


数日前まで自他ともに認めるほどのアツアツぶりだったのに、どういうわけか一夜明けたらいきなり冷めていて、取りつく島もありません。おねだりするような上目遣いが、今や部屋の隅に転がるわたぼこりでも見下ろすような目つきです。心変わりの理由がちっともわからないまま、うすっぺらい布団にくるまって何となくちぢこまっています。戻ってほしいとは言わないし、終わりなら終わりでそれはしかたがないけれど、せめてきちんと話し合いをもって円満に別れを迎えたい。いくらなんでも冷たすぎるじゃないか?


季節の話です。唐突に秋ですね。


世の中には終わりたくても終われないねじれた関係もあるというのに、じつにあっさりしたことだとおもう。


それはそれとしてある日オーディオインターフェイスからヘッドホンの端子(というか変換プラグ)を抜いたら、先っちょがこんなことになっているのです。



わかる人にはこれだけでその恐怖(文字通りその一端)がおわかりいただけるとおもいますが、しかしやはりひとこと説明申し上げておかねばなりますまい。

オーディオインターフェイスというのは音響機器と編集機器(たとえばPC)を仲介する機械のことです。いろいろな種類とグレードがあるにせよ、楽器の演奏や声をPCに取りこむ場合はまずこの機械を介して行われます。残念ながらというべきかむしろ必然というべきか(←このへんに葛藤が感じられる)、僕にとっての主な用途はレコードの録音とその保存ですが、これは設備の整ったプロの厨房でお茶漬けをこしらえるような使い方であって、あまり大きな声では言えません。

ともあれよほど特殊な大家さんでないかぎり、住居の賃貸には不動産屋を介すのとだいたい同じ構図と言ってよいでしょう。この例で言うと、大家さんがPC、住人が外部音源、インターフェイスが不動産屋、ということになります。

また、こうして取りこんだ音を鳴らすときも、同じようにこのインターフェイスを介して出力されます。ヘッドホンを挿していたのは、つまり取り込んだ音をそこから鳴らしていたためです。

ヘッドホンやイヤホンを音楽プレイヤー等に差しこむ端子(先っちょ)はわりと多くの人が日ごろ目にしているとおもいますが、あれはミニプラグと言ってほぼ再生機器専用の規格です。一般的な音響機器に使われるプラグはもうちょっと大きくて、もやしとアスパラガスくらいのちがいがあります。先に示した画像はアスパラのほうなのですね。

それがこれ。



おわかりいただけましたか?

ではあらためてもう一度、先の画像を見てみましょう。




…おわかりいただけましたか?



じわじわっとこの恐怖が伝わりはじめたかしら、というところで次回につづく。

2012年9月22日土曜日

火災報知器とかけてシイタケととく心の話


うっかり気を抜くと日々がテケテケと小走りで去っていきますね。チャリで追いつけたらいいのにとおもう。

先だって参加したDJではとくに大難もなく、あえて言うなら1ミリくらいの瑕疵ですみました(フェーダーの右と左をまちがえた)。ホントに好きな曲ばっかりかけたので満足です。オープン直後だし、誰もいないと高を括ってかけた1曲目だけ載せておきましょう。

あげてよかった/ペア・スズラン


ふむ…何をでしょうね?



それはそうと、ウチはキッチン脇の壁に火災報知器があるのです。

取り付けたってそのために楽しくなるわけじゃなし、もうかれこれ長いこと住み着いていて1年前までなかったのだからべつに必要も感じていなかったのだけれど、ある次第から設置しなくてはいけないようなことになったので、「そうですか」と是非なく成り行きを見守った結果、今は壁のあらたな出っぱりとしてそこに報知器がしがみ付いています。

「いちおう取り外しができるようになっていますので…」
「はァ」
「火事ではないのに作動した場合は外してください」
「外すと止まるんですか」
「煙を感知しなくなれば止まります」

煙もないのに誤作動した場合はどうするのだ、という思いがふとよぎったものの、そのときはトンカチで粉々にしてやればいいし、根掘り葉掘りたずねて業者を困らせることもあるまいと思い直すあたり、われながら大人になったものだとおもう。だいたいこれはいざというときの備えであって、作動しなくて当たり前の機械じゃありませんか。いちいちほじくり返すほうがおかしい。心配するならむしろ火事を心配したまえよ君、と言われればそういう気もする。


ところがいざ設置してみたら豈図らんや、コイツがまた全身性感帯みたいなビンカンさでのべつまくなしにビービー鳴りやがるのです。たいがいにしろよコノヤロウ、とこれまでに何度堪忍袋の緒を切ってきたかわからない。

もちろん誤作動をしているわけではありません。ちゃんと煙を感知しています。見方を変えれば身を粉にしてせっせと働いてくれているだけと言うこともできる。

ではなぜ煙が出るかというと、ウチはコンロでコーヒー豆を煎っているからです。ロースターという専用の機械を使わずにただ火で煎ろうとすれば、油分をふくむコーヒー豆はその過程でかならず煙が出ます。

ただ換気扇を回せばそれで事足りるくらいの煙です。それに20年来くり返してきた習慣でもあるから、今さら気にもならない。実家にいた10代のころは豆の焼けるにおいに父親が辟易していた(ときどき本気で腹を立てていた)けれど、報知器にしてみたら部屋にどれだけにおいが立ち籠めていようと関係ありますまい。

問題は感知器の性能がこっちの望む以上に良すぎることと、僕が三日にあげずコーヒーを煎る、どちらかといえば特殊なその習慣にあります。三日にあげずということは、つまりそのたびに必ず感知器が大きく息を吸ってビービーわめくのです。

おまけにその音ときたらゾッとするような高音で、わかっていても耳にすると身がすくみます。その上「火事です。火事です」と親切に音声アナウンスまでのっけてくるのだから、どうにもなりません。緊急事態を知らせる警告音なんだからあたりまえだけど、しかしこれを風が心地よい秋口のおだやかな宵に聞かされてご覧なさい。おまけに3日に1度は欠かさず鳴り響くとなったら、ちゃぶ台をひっくり返した挙げ句マシンガンで蜂の巣にしたくなるのも道理といえましょう。もうほっといてほしい。

そういうわけで昨夜もきっちりビービーと鳴り響き、全身の毛を逆立てながら電光石火でベランダにぽいとうっちゃっておいたのだけれど、朝になってふと思い出して窓を開けてみたら



シイタケと一緒に文字どおり干されているのです。


ぜんぜん意図していなかったこともあって、落語のオチみたいな偶然の光景にポンとひざを打つわたくし。

優秀すぎてひどく扱いづらい火災報知器にも、山田くんに座布団をもってきてもらうくらいの価値はあるらしい。



※意味のわからないおともだちは「干す」を辞書でしらべてみよう!

2012年9月10日月曜日

両面こんがりなパンケーキとしての手のひら的告知




あっ



そうだ、ちいさな告知を忘れていた。


もうDJなんてしない!」とめそめそしながら宣言したあの日から1年……。「またやらへん?」と請われて「あ、いいですよ」と手のひらを返すくらいには負った傷のかさぶたもとれ、ふたたびレコードを回す日がやってまいりました。思い返せばあんなに打ちのめされていたのに、懲りないことだとおもう。先のが上の句だとすれば、それを受ける下の句は「…なんて言わないよぜったい」となるはずですが、素知らぬ顔で手のひらを返すのは僕の専売特許でもあるから、たぶんまた素知らぬ顔で同じことを言うでしょう。ことあるごとにくるくる返してきたものだから、今じゃどっちが表でどっちが裏だかわかりゃしません。パンケーキなら両面こんがりとキツネ色に焼けて、いいかんじに食べごろのはずだぞ!


9/15 渋谷 7th floor
UNDER THE WILLOW NITE
OPEN 24:00~
CHARGE 2,000(including 2 drink tickets)

LIVE: タケウチカズタケ solo with DJ TOKNOW /
KO-ney (MPC player) + 砂山“sunapanng”淳一 (Bass) + タケウチカズタケ (Key) SP session/
Resident DJ: TOKNOW(Romancrew)
GUEST DJs: 小林大吾 / Killy Gackley
Food: 音柳食堂

多彩なゲスト陣


ライブゲストには、全編MPC生演奏による「PROPS(NO SEQEUNCE RMX)/KREVA」が、
KREVA本人のブログにて賞賛された若手筆頭のMPCプレイヤー KO-ney を迎え、45trioをはじめ数多くのセッションでその深い音を響かせるベースプレイヤー、砂山“sunapanng”淳一と共にドラムレスの新感覚バンドセッションを……


と告知文にありますが、カタカナとアルファベットばかりでいまいちピンとこない僕みたいな人のために解きほぐすと、本来楽器ではないMPCをプレイする、というのはこういうことです↓




すごいな!

つまりこれとベースとキーボードでセッションをするわけですね。たーのしそう!


「盛り上がるとか気にしないでいいから」
それはそもそもムリな話です
「好きな曲かけてくれたらいいよ」
「そんなら僕ディープソウルとか回しちゃいますよ」
「ええで、全然」


ディープソウルというのはたとえばこういう範疇の音楽です↓


塩っ辛い!

おまけに晩年のジェイムズ・カー、めちゃめちゃカッコいい…!


そういうわけなので、ぜんぜん躍れないレコードをいっぱいもっていこうとおもいます。そして行く先のターンテーブルに付属していようとなかろうと、7インチホルダーは忘れずに持参したい。


可愛いのもかけるよ




それにしてもこのブログが音楽にふれてるのってすごく新鮮な気がするけど、なぜでしょうね?


2012年9月5日水曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その110


しゃちほこバルさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)地下鉄極楽鳥線エドガー橋駅から徒歩3分のところにある、最近注目のスペインバルですね。


Q: 来年"バイクで日本一周"する予定なんですが、「ココだけは行っといた方が・見といた方が・食べといた方がいい!!」という所教えて欲しいです。


や、しまった。これはもっと早くに答えておくべきだったぞ」と後から気がついて脂汗をたらすことがときどき……というかわりと頻繁にあるんだけれど、これもそのひとつです。質問をいただいたのが去年の年末で、今はといえばそろそろ秋のにおいが立ちはじめるころですから、控えめに考えても一周どころかすでに三周目に突入されているような気がします。しかしまあ、歩みののろさでいったら三輪車にもひけをとらないブログです。そのへんはうやむやなかんじであんまり気にしないでください。

それにしても日本一周とはまた夢のある話ですね。バイクとはいえ、こまめに回っていたらどれくらいの日数を要するのか、想像もつきません。人生をゆさぶるような出会いや体験はありましたか?

僕自身はさほど旅人気質でないこともあって、オススメできるほど多くの土地を知りません。知らない土地をぶらぶらとねり歩くのは好きだし、おもわず感嘆の声を上げるような景勝地や万人の舌を唸らす美味もいくつか経験しているとおもうけれど、それだってたかが知れています。何かあったかしらと首をひねったら、茨城県にある友部というサービスエリアが真っ先に思い浮かんだくらいです。せっかく日本を一周するんだからもっと他にこう、ファンタスティックな物とか場所がありそうなのに、しようのないことですね。

ちなみになぜこのサービスエリアが印象にのこっているのかというと、露店で売られていた今川焼があまりにおいしくて、食べ終えたそばから踵を返してけっきょく20個も買って帰ったからです。「なぜこんなにおいしいのですか」と訊ねたら「小麦粉を3種類ブレンドしてるんだけど、それでかな」と威張るでもなく控えめに照れ笑いを浮かべたおじさんの人柄も忘れがたい。そう、とにかく皮がおいしかった。いくら粉モノ好きとはいえ、20個も買ったのは後にも先にもこのときだけです。ただし、同行した友人2人は「ふつうじゃん」とにべもなかったことを公平に記しておかねばなりますまい。

しかし僕にとって大事なのは、こうしたちいさな驚きです。おおきな驚きにだけ目をとめるくせをつけてしまうと、あちこちに転がっているちいさな驚きを見逃してしまいます。地平線まで広がる大草原も、ベランダの端っこにちんまりと生きる苔も、その美しさにちがいはないのに、ともすると感動を「機会の少なさ」でランク付けしてしまいかねません。そしていったんランク付けをすると、以降ちょっとした感動では物足りなくなっていきます。僕としては死ぬまでちょっとしたことでいちいち不思議を感じていたいのです。(※話をすり替えようとしています

そうした視点で見渡せば、それこそ日々は驚きの連続です。ある一日に見かけた風景を例に挙げましょう。



近未来っぽいけどよく考えたらべつに未来ではない電気店



マンションの一室すぎてどうしても入る勇気がでなかった書店



初めて聞くのにものすごい既視感をおぼえる丼



この視点さえキープできれば、どんな土地でも目いっぱい楽しめることうけあいです。


……


という具合にうまく煙に巻いてもいいのですが、そんなひねくれたことを言ってもはじまらないし、一箇所だけ挙げるとするなら、大阪の舞洲という人工島にあるゴミ焼却場(大阪市環境局舞洲工場)をピンポイントでオススメしましょう。


かのフンデルトヴァッサー(Hundertwasser)が設計した、なんてことは知らなくてもかまいません。「ゴミ処理場?これが?」とただ呆気にとられて立ち尽くせばそれでよいのです。見る価値あるよ!


A: 大阪市環境局舞洲工場


それからこれはおまけみたいな話ですが、僕の母親は旅先でかならず油揚げを買ってきます。「なんで?」と訊いたら「食べればわかるよ」と言われました。なぜ油揚げなのかよくわからないけど、彼女曰く顕著に土地ごとのちがいが出るらしい。原料はどこだって同じのはずなのに、ふしぎですね。






質問はいまも24時間受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)



 その111につづく!

2012年9月1日土曜日

池袋で力尽きた1匹の魚について考える午後




ある日、ベランダからふと下を見やると…





魚が1匹、駐車場に寝そべっているのです。




どうもアジのようにみえるけれど、日本人にはなじみ深いごくごくありふれた魚だし、アジならアジでそれはべつによろしい。問題は海から遠く離れたアスファルトの上に魚がゴロリと寝そべっていることは一般的に言ってあまりない、ということです。

似たようなケースに、「路上におけるバナナの皮問題」があります。ある種の文化的プロパガンダによってわたしたちはそれを一見して何でもない光景のひとつとしてスルーしがちですが、以前にもここですこしふれたように、路上にバナナの皮が落ちている状況というのはよくよく考えてみるといささか腑に落ちません。そこに至るまでの過程を巻き戻してみましょう。

 バナナの皮が落ちているということは、まず間違いなくそれを食べた人がいるはずです。しかし歩きながらバナナを頬張る人を見かける機会はほとんどありません。仮に「ただ見たことがないだけ」だとしても、アイスやお菓子にくらべて一房に何本もくっついてくるバナナは、どうしたって買い食いには不向きです。

もちろん、「好きだから」という単純にして明快な理由は十分に考えられます。べつに買い食いがしたかったわけではなくて、野菜その他を買うついでだったかもしれないし、ただバナナが欲しかっただけかもしれない。それは当然、ありうることです。ミス・スパンコールもちょいちょいバナナを買ってきては真っ黒になるまで放ったらかして、そのたびにガミガミとやかましく叱られています。

しかしさらにその皮を路上に捨てていくとなると、厚顔無恥が必要という点でこれはちょっとハードルの高い行為です。ただでさえさほど多いとも思われない、歩きながらバナナを食べる人々が、みな例外なくその皮を道にポイと捨てていくとは考えにくい。該当する人の数はさらに減るとみて間違いありません。ですよね?

にもかかわらず、よいですか、経験的に言って道にバナナの皮が落ちているのを見かける確率は、人が歩きながらバナナを食べ、かつその皮を捨てる確率よりもはるかに高い気がするのです。



脱線しすぎて何の話だったか忘れてしまうじゃないか。



だからえーと、つまり1匹の魚がアスファルトに寝そべっているというのは、これのさらに上をいく希有な光景である、と言わねばなりますまい。

買ってきた魚を1匹だけ落とすのも釈然としないし、どこかのネコが昼食に与えられたものだとしたら拾わずに去るのもへんだし、過程がちっとも想像できない。

空からカエルや魚がポイポイ降ってくる現象なら古代ローマの時代から記録されているそうじゃないか、と仰る碩学の方もおられましょうが、あいにくこっちはそんな科学的な講釈なんかより、ただおもしろいものをみつけたからああでもないこうでもないとヤイヤイ言いたいだけなのです。

みずからの足(ヒレ)で水を求めて方々をさまよいつづけたあげく、池袋の片隅でとうとう力尽きたのだとすれば、どうです、これくらい気の毒な話もないでしょうが?人なら海と同じ濃度の塩水を用意することもできるのに!



とまあこんな具合にヤイヤイと騒ぎ立てる9月です。早いですね。


2012年8月28日火曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その109



カルミンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)

これまでにいただいた質問にもまだぜんぶお答えできていないのですが、前回の投稿でいただいたコメントには今、きちんとお答えしておかなくてはいけないような気がするので、急遽予定を変更してお送りしています。

カルミン、おいしいですよね。



Q: 私は1人になるのが怖いです。周りの目を気にしてしまいます。どうすればいいでしょうか。



カルミンさんとは正反対に、僕は大勢の人といっしょにいるのがとても苦手です。どこでどんな顔をしていたらよいのかわからなくていつもハラハラしているし、人からするとちっとも気を遣う必要のないところでひとり身構えては、かかなくてよい汗をせっせとかいています。アウトプットは真逆でも、ある種の恐怖という意味ではおそらくカルミンさんと変わりません。周りの目を気にしてしまう、という点も同じです。ふしぎですね。僕もじぶんで困ったことだとおもうし、カルミンさんも同じようなきもちで途方に暮れているのだとすればそれはもう、すごくよくわかります。しかもこういうのって、平気な人には本当に何でもないことだから、なかなか伝わりづらいんですよね。「気にしなきゃいいのに」とか「考えすぎだよ」とか言われてしまう。でもそもそも気にしたくてしてるわけではないから、あっさり切り替えることができるのなら初めから苦労はしません。人にはできるのにじぶんにはできない劣等感みたいなものだけが、ただしょんぼりとのこります。

ただ、もしお尋ねの意味が「駅のように人の多い場所で、連れもなく一人でいるのが怖い」ということなのだとすれば、話はまたべつです。気の逸らし方くらいなら何とかいっしょに考えられそうだけれど、しかしこれは僕なんかよりその道の権威にゆだねるべき問題という気もします。

ちなみに気の逸らし方というのはたとえば、頭に手のひらでせっせとハムスターを丸めるイメージを浮かべながら、できればそのままそそくさと喧噪から遠ざかる、というようなことです。遠ざかることができないなら、心理的な峠を越えるまでひたすらころころとハムスターを丸めましょう。「ハムスターを丸めること」についてはこちらを参照してください。なんの慰みにならなくても怒ってはいけません。気を逸らす、というのは基本その程度のことです。

そしてまた仮に、「周囲と異なる行動をとったり考え方を持つことに恐れを抱いている」のだとすれば、それをムリに矯正する必要はありません。ひとりになるのが怖いならなるべく誰かと行動を共にすればいいし、合わせられる歩調なら合わせておけばよいのです。じぶんが心安らかでいられる状態をキープすることに、何の問題がありましょう。生物としてのあり方ならそっちのほうがよほど正しい。肝心なのはどんな手段であれ生き延びることです。

それでもなお、「一人でも平気でいられるようになりたい」とお思いなのであれば、僕にも言えそうなことがひとつだけあります。

それは、「みずからポイポイと未練なく捨てていかないかぎり、一人になることは想像しているよりもはるかにむずかしい」ということです。先にもお話ししたように、僕とカルミンさんでは考え方や世界の受け止め方がだいぶ異なります。しかしだからといってそのために距離がより遠くなることはありません。ですよね?つながりとはいつも、それぞれの思惑とは案外べつのところで保たれていたりするものだし、だとすればそう簡単に一人になんかならないのです。

とはいえ、「だから大丈夫」とかるく太鼓判を押してしまうことには僕も抵抗があります。何となれば、僕らひとりひとりの世界は思いのほかちいさいからです。ひどく現実的な例で言うと、15年くらい前の僕はすべての暮らしが半径2km以内にほぼすっぽりとおさまっていました。そこでつながりを持っていた人の数はたしか両手にも満たなかったはずです(職場の先輩含む)。もしこの数人にそっぽを向かれたらたぶん、僕は世界の終わりを実感していたにちがいありません。地球には509,949,000km²もの面積があって、そこで暮らす人の数といったら70億を超えるにもかかわらずです。だから「きっと誰かが近くにいるはずだよ」とも経験上ちょっと言いづらい。いたとしても本人が実感できないのであればいないのと同じです。

なので、そうですね、万がいち孤立を感じて不安に苛まれるようなことがあったら、またここに来てください。一時的な避難場所くらいにはなるかもしれないし、避難場所があればそこでは周りの目を気にせずにすみます。要は人の目が届かない土地に一軒の家を確保しておけばよいのです。別荘みたいに。



A: 周りの目が届かない土地に一軒の別荘を建てましょう。



もし的外れな話をしていたらごめんなさい。カルミンさんの日々が涼やかに紡がれていきますように。





質問はいまも24時間受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)



 その110につづく!

2012年8月22日水曜日

ときどき引っぱり出してよしよしと愛でたくなる謎



ちっともほしくないものを押しつけられた腹立ちまぎれに、その不可解な点をさんざんあげつらっておいて何ですが、「話のタネにしかならない」という意味でいえばウチにもそういうものはいくつかあるのです。

言うまでもないことですが、僕は無益それ自体を否定する者ではぜんぜんありません。無益だからこそ生まれる価値があることを知っているし、こよなくとまでは言わないにしても、どちらかといえばそれを愛好するほうです。でなければ日帰りの鈍行電車で東京から新潟までガタゴト揺られつづけたあげく駅から日本海を眺めてそのまま直帰というような、何の益にもならない計画を立てるはずがない。ですよね?

「君がそんなだから、相手もそんなのを寄越すのだ」とおもわれる向きもありましょう。言われてみればたしかにそのとおりです。「何だかよくわからないけど、これをあげるとしたらアイツだな」と人から思われているなら、それはまったく自業自得であって、他の誰のせいでもない。

しかし何だかよくわからないものに対する許容範囲がわりと広いほうだからといって、それを手元においておくかどうかはまたべつの話です。同じ謎でもときどき引っぱり出してはよしよしと愛でたくなる謎がある一方で、いらないものはどうしたって全然いりません。すくなくとも僕にとってへんな形をした輪ゴムは後者にあたります。何しろへんな形をしていてそれがいまいち判然としないというだけのことです。見せびらかすほど大層な謎ではない。

あるいはちっちゃな女の子が「みてー」と持ってきたら「あ、可愛い!」といっしょにたのしむこともできそうだけど、いくら可愛いからといってそれを手にして悦に入るのがいい年をしたおっさんだったらどういうことになるか、ちょっと想像してご覧なさい。「つらいときはいつでも言ってね」とありもしない哀しみに同情のまなざしを向けられること必至です。おっさんにはおっさんの、ある程度はキープしておかなくてはいけないおっさん像というものがある。

ではときどき引っぱり出してよしよしと愛でたくなる謎、言うなれば手元に置かれる資格を持った謎とは具体的にどういうものなのか?一例を挙げてみましょう。




これは酒屋さんが御用聞きの際につかう袋です。一升瓶が2本入ります。御用聞きというのはサザエさんでよく見かける「ちわー、三河屋でーす」という、おなじみのアレですね。昔は醤油なんかも瓶だったから、配達には重宝していたんだとおもいます。今もふつうに使ってるんだろうか?一升瓶を2本入れて運ぶシチュエーションてそう多くはないような気がするけれど(とくにこのご時世)、下戸は酒屋にぜんぜん用がないからよくわからない。

しかしそんな蘊蓄はどうでもよろしい。問題はそこに書かれている文字です。




あえて言葉にするまでもありますまい。百歩ゆずって胃腸薬に美味を求める人がどれくらいいるのかという点に目をつぶってもなお、まだここにはキャッチーにして深淵なる謎がごろりと寝そべっています。名は体を表すというけれど、この場合両者にはほとんど文化レベルの隔たりがあると言わねばなりません。

しかし、「よし、これでいこう!」とその名に決定されるまでの一見するとふしぎな経緯や、薬を美味と謳ってまで届けたい熱意をあれこれとプロファイリングしていけばそれだけでひとつの物語をつむいでいくことになります。

言い換えれば手元に置いておきたい謎とは「物語性が高く、かつその正解が容易に想像できない謎」ということになるのです。

わたくしがあの輪ゴムを歯牙にもかけない理由がこれでおわかりいただけましょう。あれにはたぶんシンプルな正解があって、知っても「へー」とはならない気がする。


ただ、前回の投稿にいただいたコメントを読んでいるうちに「そういうことではないのだ」というきもちになってきたのもたしかです。ああでもないこうでもないといじくり回した僕がまちがっていたというか、野暮だったとおもう。あの黄色いヒトデみたいなやつについては、それでもやっぱりひとこと言わずにはおれないですけども。


ふと、東名高速道路の横浜青葉ICそばにある「Golf」という名のラブホテルをおもいだして、ぼんやりと時間をつぶす夏の夜です。


2012年8月17日金曜日

それとは別の何だかよくわからないもの 後編


<前編のあらすじ>

輪ゴムっぽいような気もするけど、パッケージに「リストバンド」と書いてあるのでこれはひょっとするとファッションとしてのあたらしい何かかもしれないというある種の期待をこめて開封してみたダイゴくんがそこで見たものとは……


やっぱり輪ゴムであった。




すくなくともリストバンドということばの響きから連想される形状とは、それこそ天文学的な隔たりがあります。事件の謎を解くどころかあらたな謎に直面してふりだしに戻るようなものです。ミステリーならここから俄然おもしろくなってくるとおもうけど、僕はちっともおもしろくない。

輪ゴムと呼ぶにはその実用性を初手からかなぐり捨てているような印象がなくもないですが、これはおそらく何らかのシルエットを模しているのです。そうおもってみるとなんとなく形がわかるような気がしてきます。ペガサスとか、ティンカーベルっぽいのもある。かなり豊かな想像力を必要とする点をのぞけば、それなりに凝ったつくりをしているような気がしないでもない。リストバンドのことはもう忘れましょう。

ファンタジーの世界をモチーフにした輪ゴム、というところまでは辿り着いたとみてよさそうです。それがわかったからといってどうにもならないことには変わりないですが、しかしそうすると左下にある黄色いヒトデみたいなやつは何だろう?



たぶんいっしょくたにされて歪んだだけだとおもうけど(そうなると初めからわかりきってるのになぜそうまでして輪ゴムなのか?)、それにしても不可解なかたちです。

とおもったらパッケージの下部にその絵が描いてありました。




歪んでなかった。


むしろ驚くほど忠実に再現されています。にもかかわらずそれが何だかわからないというのはいったいどういうことなのか?


しかしもうやめましょう。これ以上は心がささくれ立つばかりです。結論としては「何だかよくわからないものは、開けてみたらある程度わかったような気がするけれども、それでも最終的にはやっぱり何だかよくわからない部分がちょっとだけ残った」ということでまず問題ありますまい。これはもう、心置きなく堂々とうっちゃっていいものだとおもう。実用性はみごとに失われているし、誰がこれと何を交換してくれるっていうんだ?


とおもったらミス・スパンコールが姪っ子にやるといって持っていきました。行き着くところに行き着いたという気がする。


【教訓】大人からちびっこへのプレゼントは必ずしも良かれと思って用意するものばかりではない。


それにしてもスペインでは壮麗な景色の数々を堪能したと言って自慢げに写真を見せびらかしていたのに、なぜ土産となったら何だかよくわからないものばかり買ってくるのか、理解に苦しみます。いちど腹を割った話し合いを持たねばなるまいとおもう。


2012年8月14日火曜日

それとは別の何だかよくわからないもの 前編



重くて固い上に、表面もゴツゴツしていて岩みたいな、たぶん乾燥した無花果を押し固めたようなものの中にアーモンドが入っている何か」で思い出したけれど、そういえばこのとき、これといっしょにもうひとつ別の何だかよくわからないものを土産として受け取っておりました。




そうして目をぱちくりさせながら「これは何?」とたずねれば、「さァ…」と首をかしげながら「小銭が余ってたから」と身もふたもないことを言うのです。「重くて固い(中略)何か」のときはそれでもいくらか好意が感じられたのに、こっちは好意どころか気持ちのきの字も見当たりません。なるべく使い切りたいという気持ちはわからないでもないけれど、ユーロが余ったのならそのコインを記念としてくれればいいじゃないか?そしてなぜその何だかよくわからないものを他の友だちではなく、僕に寄越すのか?

というもやもやした個人的な葛藤はさておき、土産としてもらった以上はそのままうっちゃってもおかれません。すくなくともこれが何であるかくらいは僕も知っておきたいし、うっちゃるならそれが何であるかを知った上で堂々とうっちゃりたい。

その見た目と「Funky Bandz」と銘打ってあることからして、どうやら輪ゴムっぽいぞというところまではなんとなくわかります。輪ゴムで不快な思いをしたことはないし、どちらかといえば便利な道具という認識だからそれならそれでまあよろしい。そもそもスペイン土産として輪ゴムはアリなのかという根本的な是非についてもこの際ふれずにおきましょう。そこから異議を唱えていては話がちっとも進まなくなってしまうからです。

よくみると左上に「Collect & Trade」と書いてあります。「集めて友だちと交換しよう!」ということらしい。言われてみればカラフルだし、パッケージもファンシーだから、子どもならそうした用途も大いにあり得ましょう。子どももいない30代半ばのおっさんはこれを誰と交換したら良いのかというやりきれない点については、ひとまず今後の課題として脇に置いておきたい。

問題は右上にある文字です。「Wrist Bands」と書いてある。


リストバンド?


たしかに、輪ゴムを手首に巻くことは往々にしてあります。必要以上に巻いているおばちゃんを見かけることだってある。しかしだからといってそれをリストバンドと呼ぶかどうかはまた別の話です。日ごろ輪ゴムを手首にかける機会があるとすればそれはまちがいなく一時的な便利のためであって、それ以外の理由はありません。

待てよ、だとするとこれはファッション的な意味合いをもったちょっとあたらしい輪ゴムなのではないか、と僕は考えます。輪ゴムをファッションとして考えるのではなく、ファッションとしての輪ゴムを考える、それはたしかに逆転の発想です。輪ゴムじゃなくても良さそうなものだけど、そんなつまらない揚げ足取りをしてもしかたがありません。一見の価値くらいはあるような気がする。

そうして中身を引っぱり出してみたらみたで、今度はまた別の大きな壁にぶち当たるのです。


後編につづく。

2012年8月11日土曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その108



4ヶ月もの間、3日とあけずこまめに更新しつづけたピス田助手の手記が幕を下ろしたとたん、ピタッと無沙汰になるあたりがまたこのブログらしゅうございますが、さりとてこのままフェイドアウトするかといえばもちろんそんなことはございません。もともと爪に火をともして暗がりをうろうろと徘徊するようなつましい活動に、フェイドアウトもへったくれもないのです。落ちぶれるといっても椅子から転げ落ちるくらいの落差でしかないのだから、これもまたここでは常の一部ともうせましょう。

それはそうと、あれだけの超ロングランヒットを記録した(わけではない)ピス田助手の手記が、じつはパンドラ的質問箱の単なる一回答にすぎなかった事実を、よもやお忘れではありますまいな!


ミッション・インヴィジブルさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)これはたぶん、透明人間になったらあんなことやこんなことをしてイヤンまいっちんぐ、というようなことの専門用語ですね。どうもありがとう!



Q: 食べることが好きな一人間として聞きますが「好きそうだから」というシンプルこの上ない理由で頂いた例の「いちじくとアーモンドを固めた鈍器のようなもの」は食べて見ましたか?またどのように食べて見ましたか?そして肝心なその味は?



ふむ…これは去年の12月にこのブログで紹介した「重くて固い上に、表面もゴツゴツしていて岩みたいな、たぶん乾燥した無花果を押し固めたようなものの中にアーモンドが入っている何か」のことですね。よろしい。お答えしましょう。






A: じつはまだあるのです。



たぶん保存食なので、世界の終わりがきたらガリガリ齧ろうとおもう。




【とってつけたようなご挨拶】ムール貝博士言行録は今後も半死半生をモットーに、累々と死屍を積み重ねてまいります。全国津々浦々にかろうじてちらほらと見受けられる総勢約8名くらいの小林大吾ファンのみなさまにはまったくもって面目ないことですが、これも因果とあきらめてしぶしぶお付き合いくださいませ。ヤッホー。



質問はいまも24時間受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)



 その109につづく!

2012年7月25日水曜日

重圧に熱を出して2日間も寝こむ冴えない男の話



たいへんご無沙汰しております。

当ブログの管理者たる小林大吾本人の登場としては、ムール貝博士のパンドラ的質問箱の記念すべき第100回目で迂闊にもポロリと落命して以来じつに5ヶ月ぶり(!)になるのだから、部分日食よりもその頻度が低いライブを披露したときくらいとっとと更新すればよさそうなものなのに、それができなかったのは日曜にライブを終えて帰宅した途端、きゅうにガチガチと歯の根が合わなくなり、烈火のような高熱に見舞われて身動きもとれないまま、60時間ちかく延々とうなされつづけていたからです。


本当です。


月曜と火曜の記憶がほとんどなくて、いつの間にか水曜日であることにいささか愕然としております。いったいわたしに何が起こったの……?




そういうわけで何だかもう一切合切が夢だったかのような心境に包まれております。僕がライブに積極的でない理由が、この冴えない事実ひとつによく表れているのではないかとおもう。

とはいえ、ツイッターやブログにいただいたコメントからしてそれが夢でなかったことは明々白々です。すぐにお返事できなくて本当にごめんなさい。何しろ本当にぶっ倒れて虫の息だったのです。こういうときこそ打てば響くようなコミュニケーションを積み重ねておきたいとつねづねおもっているはずなのに、どうもそのへんの詰めがいつも甘くていけません。いい年こいて何熱なんか出してんだよとは誰より僕がいちばん呆れているところです。




ともあれアイララセッションズvol.6、ふたを開けてみればボンヤリ想像していたのをはるかに上回る大入りで、始まりから終わりまでまろやかな雰囲気に満たされたすばらしいイベントでした。プロデューサーである御大古川耕をして「泣けた」と言わしめたあの温かさは他の何にも代え難いものがあります。あんなによろこんでくれた古川さんを見たことはかつてありません。そのうるうるとした表情に僕ももらい泣きをしそうになったくらいです。もっとも大きな心配の種であったはずの僕がどうにか無事にやり終えたことだけでなく、イベント全体がとにかく本当によかったとしきりに申しておりました。

水のなかにどぷりと引き込まれてそのまま溺れてしまいそうになるtotoさんの頑丈にしてやわらかなあの世界観、どこまでも艶やかで時にタンと軽く跳ねるようなステップを踏むエイミちゃんのうるわしい歌声、らんちゅうのぴちぴちした演奏とその隙間を縫うようにして泳ぐタカツキ先輩……とくに彼は始終とぼけたいつもの振る舞いと裏腹の格好良さに胸を射抜かれた人も多いのではありますまいか。

ご来場いただいたみなさまもふくめて、あの場にいた全員がひとりでも欠けていたらきっとあんな素敵な夜にはならなかったはず、そう心からおもえる夜でありました。え、何?みんな友だちなの?ってくらいのあの一体感を誇らずに何を誇ろう。セッションの最後、「500マイルの未来に咲く花」にみた会場全体のボルテージの高さは忘れられません。

それから、ピス田助手の手記最終話にコメントとしてライブの感想をいただいているのですが、これがまたあまりに感涙ものだったのでこちらで再度お返事とともにご紹介させてください。



・毛だもの。さん
アイララセッションズにて。 ふだん《二ヒルなんだけど実は世話好きなしゃべる絵本》という架空のキャラクターをイメージしながらCDを聴くのですけれど、ご本人を目の当たりにしたライブではまた一味違い、舞台役者のように動き、また大道具、小道具も駆使する。『テアトルパピヨン』の蝶をミラーボールで表現したのには声をあげそうになりました。視覚にも訴えてくる表現・・・。     totoさんにも感じたのですが、この詩という枠を越えた表現をなんと呼べばいいのか、それともじぶんが無知なだけでこれらを含めて詩という表現なのか。ともかく、あんぐり口をあけて見入ってしまいました。 長くなりましたけれど、本当にライブみられてよかったです。ひとりでひっそり聴く楽しみもあるのだけれど、こんな機会でもなきゃ『手漕ぎボート』のサビをみんなで合唱することなんてないですもん。(来られなかった方には自慢するみたいで申し訳ないけれど、今度はぜひこの感動を共有しましょう・・・暑苦しかったらすみません) では次回のライブ、音源リリース、気長に待ってます。もちろん手記の続編も!

情景がありありと目に浮かぶ、心のこもりまくった感想をどうもありがとう!僕はステージからしか見ていないので、ああ、そんなふうに観えてたんだ…とおもうとすごく新鮮です。その場にいるみんなのきもちがちょっとずつ連鎖して、僕の望んでいた以上の何かが生まれていたのかもしれません。あと、『手漕ぎボート』のサビをみんなで合唱というのはちょっとにわかには信じられないのですが、こ、これは本当ですか…?そ、そんな夢みたいな話が?僕もそっちにいたかった…!

(また泣く)

またお会いできる機会が巡ってきますように!


・おーのさん
新世界でのライブとても良かったです。 もっと聴きたかったのが本音で、あの場に居たほとんどのお客さんも同じように思っていたはずです。 絵を描きながら聴いていたあの曲を生で聴けて光栄でした。 これからも聴き続け、ささやかながら応援してます。

絵を描きながら、というのはときどきいただく感想のひとつなんですよね。じわりとした実感がこもっていて、うれしいです、すごく。あの曲って、どの曲だろう…?初めての人も、そうでない人も、みんながひとつになれるあの感じは望んでも生まれるものではないので、堪能してもらえたのならこれほどうれしいことはありません。どうもありがとう!


・f.kさん
大吾くんへの思慕を遂げるために秋田から遊びにむいたのですが、えいみさんに惚れて地元へ帰ることになりました。ふたりの人を一度に想うのはとても辛いです。イベントのかえり道に何回じゃなく後ろを振り返ってしまうくらい名残惜しく楽しい夜でした。安田タイル工業にも夏休みがあったらいいなあ! なんだか後から思い返してATOMさんのコップは私の身体をさけようとして落としたんじゃないかと考えていました。もしもそうだったなら本当に申し訳ないです。また必ず遊びにいきます。

秋田からいらしてくださったなんて……!それだけで伺える思いのつよさに涙腺が破裂してあたり一面が水びたしになるばかりか、みるみる溢れて満ちたその水面にぷかりと箱船を浮かべたくなろうというものです。(何を言っているのかよくわからない)どうもありがとう!何より、エイミちゃんを好きになって帰るあたりに胸ふるえるものがありました。わかる!緩急あって撓まないあの伸びやかな歌、本当にステキでしたものね…。ATOMさんのことなら気にしないでください。あの人はいつもだいたいあんな感じです。Bygones!


・赤舌さん
ライブ観にいけなくて無念です…。超無念です。 がんばってください。

アレ……?いらしてましたよね……?気のせい?まあいいや、いつもホントにありがとう!




さて、次回のライブは例によって未定です。終われば三日も寝こむ体たらくだし、個人的にはこうなるともう次は来世じゃないかなという気がしないでもないですが、それはそれとして日曜日にご来場くださったみなさまには何とお礼を申してよいかわかりません。タカツキさん、エイミちゃん、totoさん、らんちゅう、新世界のみなさま、どうもありがとう!


おかげさまで熱下がりました。冴えないことですな、まったく。




2012年7月19日木曜日

ピス田助手の手記 最終話: 尾ひれにも似たエピローグ



ひさしぶり、というにはあまりにも長い月日がたちすぎて(たぶん1年以上)、もはや懐かしいと言っても過言ではない小林大吾の希有なライブインフォ↓


7月22日(日) @西麻布新世界
アイララセッションズ#6 -Words Canal-
アイララ、エイミアンナプルナ+ランチュウ、小林大吾、toto
開場17:00 開演18:00
料金2,000(ドリンク代別)
当日2,500(ドリンク代別)


http://shinsekai9.jp/2012/07/22/ilala6/


今さらこんなことを申し上げる身勝手は重々肝に銘じておりますれど、今となっては部分日食よりもその頻度が低いささやかな晴れ舞台でございます。みなさまどうか万障お繰り合わせの上、のしのしとご来場くださいませ。








シュガーヒルの自然的良心ともいうべき一級河川を、窮屈そうにずりずりと強引に這い進んできたのはたしかに戦艦だった。ほとんどビルみたいな規格外のサイズ感から察するに、途中にかかっていた橋という橋はすべて破壊しながらやってきたにちがいない。もちろん、こんなものの出所は聞かずともわかりきっている。まるで死の100円ショップだな、とわたしはムール貝博士を他人事のように思い浮かべた。

甲板には目を射る過剰な明るさにつつまれて、ひとつのシルエットが浮かび上がっていた。全身を甲冑でかためた中世の騎士みたいな人物が長い槍をもち、厳粛なオーラを漂わせながら仁王立ちでこちらを睨みつけている。

Sweet Stuff の正面までくると騎士は合図をして戦艦を停め、どこからか拡声器をおもむろに取り出すと、びりびりと周囲の空気をふるわすようなバリトンでこう言った。「あーあー。本日は晴天なり。本屋さんは閉店なり。わたしの美声が聞こえるかねシュガーヒル・ギャングの諸君。わるいことは言わない。娘を返してもらおう」
「パパ!」スワロフスキは口の回りをクリームだらけにしながら笑顔になって立ち上がった。「パパー!」
「ああ」とアンジェリカは思い出したように言った。「そっか。忘れてた」
「パパってまさか」わたしは転げるようにして庭に駈け戻った。「甘鯛のポワレ教授か?どうしてここが?」
「ここに来る前にあたしが話したから。話さないわけにはいかないでしょ。何も知らされてなかっただろうし、責任あるなとおもって」
「なんて間のわるい人だ」とわたしは言った。「もう話はついたのに」
「わたしの慈悲が届くようなら、シュガーヒル・ギャングの諸君」と甘鯛のポワレ教授はいまいちど拡声器で叫んだ。「すみやかにその耳をわたしに預けることをおすすめする。今すぐに娘を返すのならば、今回だけは見逃してやらないでもないと言わないこともないような気がしないとは言い切れない保証がどこにもないわけではないとも限らんぞ」
「返すも何も、とんちんかんな男だね」とシュガーヒルの大姐御はため息をついた。「腹を決めてきたんなら、そんな高みからこわごわ見物してないでさっさと降りてくりゃいいじゃないか」

右手に槍、左手に拡声器を掲げたまま、甘鯛のポワレ教授は微動だにしなかった。こちらの反応をうかがいながら次に何をどう切り出すか、思案しているようにもみえた。それからふと、言い忘れていたかのような調子であわてて付け加えるのが聞こえた。「べつに重たくて動けないわけではないぞ」

「動けないんだね」とシルヴィア女史はもういちどため息をついた。「あんな重たい甲冑を着込んでくるからだ。頭に血がのぼってるんだ。言ったって聞きゃしないよ」
「沈黙をもって答えとするというのならば、それはそれでよろしい」と教授は色気のあるバリトンでおごそかに宣言した。「主砲射撃用意」

その命令が伝わると同時に、戦艦に据え付けられた物々しい砲塔がきりきりと左に回転し、1本の太くりっぱな砲身とその丸い口が照準を Sweet Stuff に合わせて、真正面からこちらにまっすぐ向いた。攻撃すればスワロフスキもその対象にふくまれてしまうというのに、駆け引きも何もない。すべてを抜け目なく計算していたアンジェリカとはちがって、日ごろ権謀術数になじむ機会のないポワレ教授はただ引くに引けないようなところまできもちが追い詰められてしまっていたらしい。唯一説得力をもって止めることができそうなアンジェリカまで何も言わずに黙っているところをみると、シルヴィア女史と同じく聞く耳もつまいと匙を投げているのかもしれなかった。ブッチはより戦艦に近い位置で賢いハンス号といっしょにぷるぷるとふるえている。わたしは半ばやけくそみたいな面持ちでつぶやいた。「どうしたらここから帰れるんだ……?」

拡声器をかまえた甘鯛のポワレ教授の無鉄砲な「撃て!」という声より先に、飛び出したのはいつの間にかスワロフスキと同じく口の回りをクリームでべたべたにしたみふゆだった。あまりに速い所作だったので例の脇差しが一閃したかどうかも判然としなかったが、おそらくこの時点で砲弾は賽の目に刻まれていたのだろう。縦横に切り込みの入った状態でみふゆの頭上を通貨した砲弾の先には、いつの間にかアンジェリカがいた。全身をバネのようにしならせたアンジェリカは、コンキスタドーレス夫人から拝借したと思わしき扇子でこれをパァンとそのまま真正面にはじき返した。砲弾は戦艦の上方に向かって飛び散ると、花火のようにパチパチとささやかに爆ぜたのち、音もなく暗がりのなかへ溶けていった。まばたきひとつする暇も与えられない、刹那のリアクションだ。拡声器をかまえたまま身動きの取れずにいるポワレ教授から、追加の攻撃命令が出されることはもはやなかった。




今度こそ話はついた。語り尽くして、絞り出せる水はもう一滴もない。わたしはアンジェリカの運転する賢いハンス号に同乗して送ってもらうことになった。もちろんブッチもいっしょだ。ブッチはアイスノンの貴重な卵についても、めでたく独占契約をむすぶことができた。これからは週に一度、運がよければ天竺鶏の冷たい卵がひとつふたつ、ブッチの店に並ぶことになる。わたしも味わってみたいというようなことを言ったら、ブッチはこの日生んでクーラーボックスに収めておいたぶんを気前よく譲ってくれた。パンツ一丁であちこち連れ回されただけの甲斐はあったろうとわたしもおもう。

死神の鎌を手にしたコンキスタドーレス夫人とみふゆはタクシーを拾うと言って、Sweet Stuff で別れた。考えてみれば、この日いちばん多く危険を退けてくれたのはみふゆなのだ。彼女がいなかったらすくなくともわたしとブッチは2回くらい黒焦げになっていたにちがいない。たった1本の脇差しでこうなのだから、太刀を持たせたらいったいどうなってしまうのだろう?興味を示していたフォーエバー21に寄ってやれなかったことだけが、今となってはなんとなく心残りだ。

ちゃぶ台を食事が終わってからひっくり返しにきた甘鯛のポワレ教授は、あの重たい甲冑を身に着けたまま、スワロフスキと手をつないでガシャンガシャンと足をひきずりながらむりやり徒歩で帰った。なぜ脱がなかったのかと言えばそれはつまり、脱げなかったからだ。人のことを言えた義理ではないけれども、いったい何しにきたんだろうとおもう。町なかに持ち出した巨大な戦艦の派手な不始末を、結局その後どう片付けたのかわたしは知らない。個人的には撤去するよりいっそ船体をくり抜いて水を流したほうが手っ取り早いような気もする。

まろやかな宵の風を浴びて走る帰路の車中で、わたしはアンジェリカにたずねた。「もういちど訊くけど、本気で結婚するつもりだったわけ?」
「もちろん」とアンジェリカはハンドルを切りながら即答した。「何で?」
「何でってこともないけどね、それは」思いもよらず問い返されて、わたしは言葉を詰まらせた。「しかし、そういうもんかね」
「そういうもんでしょ。何だってそうだけど、なるとなったら四の五の言わずにそれでやっていかなくちゃいけないんだから。けっきょく反故になって逆にヘンな感じがするくらい」
「愛情を忘れてるとおもうんだよ。だって、結婚なんだぜ」
「あとから芽を出す愛情もあるでしょ」
「割り切るもんだな!」
「ははは」とアンジェリカは楽しそうに笑った。「ピス田さんてそんなロマンチストだったっけ?」

わたしはアンジェリカに奪われたスナーク・ノートのことを言わなかった。どのみち帰ればいやでも知ることになるのだから、今ここで消えかけた火に油を注いでもしかたがない。あの神秘の生ハムも屋敷に置いてきたことだし、うまくすればそれも、すでにその驚くべき味わいを経験済みのイゴールが火消しに役立てるだろう。

喧噪の Sweet Stuff から遠く離れて初めてわたしは、地の果てまでも追いかけてくるようなその強烈な甘いにおいに気がついた。あまり考えたくないことではあるが、シュガーヒル・ギャングの面々とは近いうちにまたお目にかかりそうな気がする。ふと訪れたやさしい沈黙の合間に後部座席を振り返ると、ブッチが地鳴りみたいな大いびきをかきながらアイスノンといっしょに眠りこけていた。



END





ピス田助手近影