さて、リリースからぶじに1週間がたち、iTunes Storeで1位を掠め取ったり、南極の基地から購入報告が届いたり、amazonデジタルミュージック「バラエティ・効果音」部門でNHKラジオビジネス英語と並んで3位に食いこんだりしつつ、シェアしようにもしようがない、それ以前にどう受け止めてよいのかわからない、そんな想定どおりの戸惑いがいい具合に浸透したところで
「紙芝居を安全に楽しむために」のことをもう少しだけお話ししましょう。
このテキストはもともと、本当に紙芝居のために書かれたものです。正確にはとあるプロジェクトで紙芝居を作りませんかというオファーをいただき、他にも錚々たる顔ぶれの作家さん方がおられる中で僕がやるとしたらたぶんこういう形ですよねと提案し、実際に書き、さらにこの内容をクソまじめに朗読することでめちゃめちゃおもしろくなることを示すべく自ら手本として録音したのが、つまりこれです。何年前のことだったか、とにかくこの時点では音楽のことは微塵も考えていませんでした。というか、普通は考えないとおもう。
カズタケさんのブログにもあったように、これを
「こんなのあるけど、どうですか」と送ったのは僕です。ただ何しろ
15分もあるので
「これを楽曲に」というストレートな意味では全然なく、むしろ
「この音声をコラージュ的に切り刻んだり貼り付けたりして有効活用できませんか」という意味合いで送っています。再構築ではないけれど、
単なる音声素材として再利用することによって新たな意味や別の印象が生まれたりするのではないか、といった音楽的かつ実験的な期待と目論見があったわけですね。事実、最初に生まれたのはフレーズを切り貼りして数分のコラージュにまとめた、
めちゃクールなダイジェスト版でした(もちろんこれも今後のアグロー案内シリーズに収録される予定です)。
しかしこれに飽きたらず、せっかくだから全編を楽曲にしてしまおうというのも、そしてそれを長い一曲ではなく組曲にアレンジすることも、完全にカズタケさん一人のアイデアです。僕が一聴して「ええええええ」とのけぞったのは、そもそもそういう話ではまったくなかったからだし、それでいて恐るべき完成度に仕上がっていたからです。
この作品に関しては、率直に申し上げて僕は何もしていません。録り直そうかなとは思ったし、実際に録り直してもみたんだけれど、けっきょく最初のバージョンがすごくよく録れていたので、それをそのまま送っています。でもまさかそれがそのまま楽曲になるなんて想像もしていなかった。
もともと僕は文章それ自体にもリズムを求めるタイプなので、書いて詠んだものは常にビートと一定の親和性を示すところがあります。とはいえそれをさらに編集し、インターバルを変え、その上でビートの展開を調整し、なおかつ音楽と朗読を完全に同じ強度に保つ異次元のミックスを施す、といった複雑極まりない作業を一手に担っているのは、あくまでタケウチカズタケ一人です。僕は何もしていません。僕がしたのは数年前に録音したものをただデータとして送信しただけです。
だからこそ僕はこれを他人事のように断言せずにはいられません。これは言葉と音楽という組み合わせでどこまで展開できるかというアプローチと可能性を明確に示すものです。
こんなテキストを書く人は世に数多いるでしょう。こんな朗読ができる人もまた同じように数多いるでしょう。しかしその両方を兼ね備えた人はそう多くはないはずです。こうして生まれた稀有な一皿をさらに稀有なフルコースへと変ずることのできる料理人的音楽家が果たしてどれくらい存在するのか、疑問というほかありません。
僕なんか歯牙にもかけないどれほど偉大な物書きがいようと、また仮にタケウチカズタケ以上のトラックメイカーがいようと、まず絶対にこうはならないと断言できます。「紙芝居を安全に楽しむために」は、それほどの圧倒的な完成度です。
これができるならこの先のアプローチと自由度が驚くほど広がる、他の人がやらないしできないならリリースする意味も甲斐もある、そんな確信にも似た印象を抱いたからこそ、
「アグロー案内」の初回に象徴的なこの作品をぶち込んでいます。誰もが熱狂できるような代物ではもちろん全然ないけれど、たとえばアルバムの一部としてインタールード的に扱うには重みが歴然すぎたのです。
僕がなぜ日頃から自身のパフォーマンスをポエトリーリーディングと呼ばずにリーディングと呼んでいるのか、その理由もまたVOL.2、VOL.3とシリーズが進むにつれ、実感としてわかってもらえるはずです。
VOL.2も着々と準備が進んでいます。どうか今の困惑を抱いたまま、今後を楽しみにしてもらえますように。