れっきとした仕事上の理由から、百円玉を隅から隅までじっくりと睨め回していたのです。
ヒマだったんでしょと眼光するどく指摘される方もおりましょうが、そんなことはありません。たしかに僕の場合はそれも大いにありうるし、仮にそうだったとしてとくに不都合が生じる話でもないから別にいいっちゃいいんだけれど、実際にはちがいます。なんかむらむらしたとか食べちゃいたいとかそういうフェティッシュな下心でもありません。仮にそうだったからといって憚る理由もないけれど、今回にかぎってはあくまで必要に迫られてのことです。いったい何をどうすると銀色の硬貨を睨め回すようなことになるのかというその必要についてはまた別に一席設けられそうな話でもあるから、ひとまず置いておきましょう。しかしまあ、数十年も生きているといろいろな必要に迫られるものです。
手元にあった5つの百円玉を並べたり、並べ直したり、指でつついたり、ピンと弾いたり、アンニュイなため息をつきながら眼鏡を外して至近距離でためつすがめつしていると、ふとあることに気がつきました。
僕はこれを見て「あれ?」とおもったんだけど、他のと比べたらよりはっきりしたので並べてみましょう。
ポイントはここです。
文字間が妙なことになっています。
字数が同じなのだから、ふつうに考えればそのまま文字を置き換えれば済むはずです。でもそうはなっていません。ひょっとしたらたまたま手に取った1枚だけのイレギュラーかもしれないとおもって手元の5枚を確かめてみると、昭和の年度表記はきちんと整えられています。どうやら「平成」以降の硬貨が(全部ではないにせよ)いささか安定感に欠けるようです。
まさか文字をひとつずつピンセットでつまんで配置しているわけでもないだろうけれど、それにしたって解せません。昔よりも現在のほうがきれいに整っている、というならまだわかります。システムだって50年前に比べたらおそらく一新、すくなくとも改良はされているはずです。でも実際には逆だし、言ってしまえば明らかに硬貨としての完成度が下がっています。そんなことってあるだろうか?
ここからなんとなく察せられるのは、これがピッピッと入力すれば更新される単純かつ機械的な工程ではなく、数十年前と同じく今もなお人の手で直に調整される部分であり、かつその結果は技術に大きく左右されるものらしい、ということです。いくらなんでもたったこれだけの作業に未だ機械化が及んでいないのはちょっと考えにくい気もするけれど、そうでもないと説明がつきません。
もちろん、システムが変わっただけという可能性もあります。昔も今もただ年度を機械に入力するだけなのかもしれない。ただタイプライターだってワープロだって打てばそれなりに整うのに、ぐっと高度に洗練されたはずのシステムが部分的にであれ過去に劣るのだとしたら、それは果たして改良と言えるんだろうか?
また、硬貨の鋳造において毎年更新されるのはこの「年度表記」のみです。ここを書き換えるのにそれほどの時間と労力を要するとはどうしてもおもわれません。仮に文字をピンセットでつまんでゼロから配置し直したとしても、10分あれば事足りるはずです。何もミクロン単位で厳密に調整する必要はないし、おおよその感覚でもそれなりには整います。実際、それでいいとおもう。にもかかわらず結果としてアウトプットがこれなのだから、ふーむと口をへの字にしたくなるのも無理はありますまい。
そうしてなにげなく昭和の百円玉に目を移すと、逆にハッとさせられるのです。今までずっとそれが普通で当たり前だとおもっていたけれど、昭和における硬貨の年度表記とその配置がきちんと整っているのは機械の設定だったからではなく、ひょっとしてアノニマスな職人によるささやかだけれど丁寧な仕事ぶりによるものだったんじゃないだろうか?
平成の百円玉を見るかぎり、可否があるのはおそらく読めるかどうかという視認性のみです。さすがに文字間まで事細かに示したマニュアルがあるわけではないだろうし、とすれば当然チェックもされません。にもかかわらずきちんと美しく整えられているということは、硬貨における年度表記とその配置はこれまでただただ純粋に職人もしくは職員たちが継いできた極小の美意識によってのみ、なされてきたものなのではないか?
「技術を技術たらしめないことこそ技術である」という古いラテン語の格言を思い出します。どちらかといえば意図や技術をいちいちひけらかそうとする悪癖がある僕にとって、この格言はだいじな戒めのひとつとして一応いつも胸に置いているつもりなのだけれど、それをまさか百円玉に改めて教えられようとはまったく、これを胸アツと言わずに何と言いましょう。身近すぎて誰も気に留めないような、これほどちいさな部分にたしかな矜持と美意識がこめられているのだとしたら、そりゃ誰だって居住まいを正さずにはいられないというものじゃありませんか。ヒゲもじゃでガタイのいい職人気質の親父に「これが仕事というものだ」と横っ面をはたかれたような思いです。
やだ……カッコイイ……。
ついていきたい……。
ぜんぶ妄想でしかないかもしれないですけど。