メアリ・ポピンポンポピピピンポピンポピンポンピポピンズさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q. それ以上でもそれ以下でもないという言い回しがありますけど、よくよく考えたら「それ以上」でも「それ以下」でもないとなると何もない状態(空集合)になってしまいますよね!?それ以上でもそれ以下でもないものって一体なんなんでしょうか?
メアリ・ポピンポンポピピピンポピンポピンポンピポピンズさんの仰るとおり、法律や数学では以上・以下というとき、「それ自身を含む」ことになっています。以上でも以下でもないならそもそもそこにそれはありません。しかしそれがないなら話だって始まっていないはずです。初めからなかったのだとしたらそれまであると思われていたものは一体何だったのか、これはたしかに由々しき問題です。
おでんの玉子を例にとってみましょう。王子ではなく玉子のほうです。玉子と言ってもたまこという名ではなく調理された食材としてのたまごです。何でもいいといえば何でもよいので別に王子でもたまこでもかまいませんが、善良なる多数のプリンスとたまこさんにとってはいい迷惑だとおもうのでここでは便宜上たまごで統一しておきましょう。できればつゆといっしょに崩しながらいただきたい、ぽくぽくした食感が魅力の、おでんの王子も玉子さんもきっとお好きなあの玉子です。
「おでんの玉子以上でもなければ、おでんの玉子以下でもない」とおでんの玉子について人が語るとき、そこにおでんの玉子はありません。少なくともそう語った瞬間におでんの玉子は消え失せています。ないもののことをさもあるかのように語るんじゃないよとおもわずにはいられませんが、しかしもしそう語らずにいたらおでんの玉子は何ごともなくこれから美味しくいただくおでんの玉子としてそこにあったはずです。したがって、おでんの玉子がおでんの玉子でなくなったのは、「おでんの玉子以上でもなければ、おでんの玉子以下でもない」という発言の直後であると推察されます。そう言いさえしなければ、おでんの玉子は依然としてそこにあり、胃袋の中で消化されるその最期のときまで、おでんの玉子として生涯を全うできたにちがいないのです。「それ以上でもそれ以下でもない」というフレーズは、「アブラカダブラ(この言葉のように消えてなくなれ)」という古代の冷徹な呪文に等しいものがあります。
おでんの玉子でないならそれは一体何なのか?
僕がおもうに、それはおでんの大根、もしくはこんにゃくです。なぜそうなのかと言われればそうあってほしいくらいのことでしかないですが、お気に召さなければ白滝でもかまいません。おでんの玉子がおでんの玉子でなくなってしまうのはもちろん悲しいことだけれども、大根ということであれば僕としてもやぶさかではありません。大根はおいしい。つゆが芯までしみているならなおさらです。
どうしてもおでんの玉子でなければならないという人も、案ずることはありません。必要ならちくわぶを箸にとり、「ちくわぶ以上でもちくわぶ以下でもない」と唱えればよいのです。ちくわぶはきれいに消え失せるものの、一定の確率で、というのはつまりそこにはつみれとかはんぺんがあるからですが、そこにおでんの玉子が現れます。ちくわぶが三度の飯よりお好きなら何か別の具材を指定すればよろしい。
では質問に戻りましょう。ここで僕らが得た結論を言い換えるなら、「それ以上でもそれ以下でもないもの」というのは「それ以外の何か」である、ということです。「以外」という単語は法律上でも数学上でも「それ」を含みません。そして「それ以外の何か」には、この世に存在するありとあらゆるものすべてが含まれます。もちろんおでんの玉子も例外ではありません。ただそのときその瞬間だけ、この世から消え失せるだけのことであり、決して永久に失われるわけではないのです。
A. それ以外のすべてです。
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その309につづく!
この言い回しを聞くたび
返信削除「なるほど、それ以外の全てか」
と脳内変換していたら、簡単な話が面倒くさくなったりその必要もない深みが出たりして面白そうです。
> 某さん
返信削除いつも何も考えずに書き出すので、導き出された結論に僕自身も
「へーなるほどなあ」と他人事のように感心しています。
KBDG