発売から8ヶ月ちかくたった今ごろになってこんな話を持ち出すのも気が引けますけれども、アルバム「小数点花手鑑」には「安田タイル工業のかなり重要な会議(抜粋)」という不毛なスキットが収められています。「世界をぴかぴかしたタイルで敷きつめたい」「タイルは神が与えたもうた最大の何かである」を合い言葉にもっぱらタイルの、もしくはタイル状の、でなければ便宜上ただそう呼んでいるものの普及につとめてきた安田タイル工業の専務と主任が、これからのタイルとそのあるべき形について真剣に語り合っている様子をICレコーダーで隠し録りしたものです。
くわしくは実際にアルバムをお聴きいただくとして(宣伝)、この会議の録音には2人のこんなやりとりが残されています。
主任:そうですね、いくつかあるんですが、まずひとつには(タイルの)食用という方向性を考えてまして…
専務:しょくようってのは?つまり食べるってこと?
主任:そうです。あのタイルのつやつやしたコーティング部をですね、シュガーグレイズドと言いますか、糖蜜のカラメル化で…
専務:溶けるんじゃないの?
主任:いえ、今はあの、お口で溶けて手に溶けない方式が定着してまして…
専務:溶けないんや。
主任:溶けないですね。
専務:それで、お腹がすいたときに剥がして食べる。
主任:そうですね、張り替えの需要が増えるという点ではそれも見逃せない利点のひとつなんですけれども……
タイトルに(抜粋)とあるとおり、録音は2分ほどでフェイドアウトしていますが、500部限定で製作された「小数点花手鑑 特装版」にはもう1枚「パン屋の1ダース」というCDが付属しており、ここにはこの不毛な会議の続きが収められているのです。ちょっとだけ抜き出してみましょう。
専務:土台の陶器部分についてはどうなの?
主任:はい。えー、ここに資料が……
専務:ウェハースとかにするわけにはいかないでしょ、やっぱり。
主任:それについても検討を始めてまして……
(中略)
主任:そうですね、最初はいろんなのを試……ひょっとするとあの、ウェハースも……
専務:あ、ウェハースいけるんや。
主任:ウェハースが水に弱い、というのもまあ、現時点での話なので、50年後のウェハースは……
専務:ああ、そうかそうか、技術開発が進んだ後のウェハースは……
主任:全然あの、船の材料になるようなウェハースもできてるかもしれないですし……
ああでもないこうでもないと議論を重ねていますが、要は「お風呂とかに貼ってあるタイルが食べられたらいいよね」「そのためにはまず水を克服しないとね」という話です。
さて、ここからが本題ですが、先月この議論に終止符を打ってしまうほど衝撃的なニュースがイギリスから流れてきていたのをご存知ですか。
photo: KFC UK
→Edible Coffee cup in KFC Tests in Britain :New York Times
言わずと知れたフライドチキンの総本山であるKFCが、シアトルズ・ベスト・コーヒー(Seattle's Best Coffee)のイギリス上陸に伴うお披露目キャンペーンの一環として「食べられるコーヒーカップ」を開発した、というのです。
コーヒーカップの形をしたお菓子、ではありません。実際に容器として熱々のコーヒーが注がれる、そのカップがぜんぶ食べられるつくりになっています。これだけでも十分インパクト大なんだけど、安田タイル工業的に目を瞠らずにいられないのはその材料です。
→an edible cup made from wafer coated in sugar paper and lined with heat-resistant white chocolate.
"sugar paper" で「?」となるけど、画像からしてもおそらく砂糖でコーティングしたウェハースを耐熱のホワイトチョコでくるんである、ということでまず相違ありますまい。
砂糖のコーティングを施したウェハースで耐水性を高めて陶器の代わりにする……食用タイルにおけるウェハースの採用はまだまだ先の話だとのんきにかまえていた安田タイル工業にとってはまさに青天の霹靂です。専務と主任が「濡れてもふやけなくて食べるとおいしいタイル」について喧々諤々の議論を繰り広げていたとき、海の向こうではすでにこれを凌駕するプロジェクトがリアルタイムで進行していたのだから、そのショックは言葉に尽くせないものがあります。ひょっとして船の材料になるような丈夫でおいしいウェハースも、50年後どころか世界のどこかでとっくに実用化されてたりするのではないか?
いずれにしても安田タイル工業にとって一刻を争う事態であることだけはたしかです。早急に主要メンバーを招集して会社の未来図を描き直さなくてはなりません。時代を先取りしていると得意になっていた「食べておいしい丈夫なタイル」の発想がすでに手遅れだったなんてまったく、つくづく井の中の蛙ぶりを痛感させられます。広げたはずの大風呂敷も今やハンカチにしか見えません。世界は広い。