両側に幼馴染の部屋がある設定
サマージャンボ刀鍛冶さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q. 折れない心の保ち方を教えてください
自分が行きたい所を相手に伝えてもなかなか意見が通らない状況を繰り返していたらいつの間にか自分の意見を言わないようになってしまいました。厄介なコトに意見の衝突が浅い友達や知人レベルならいいですが「パートナー」なので縁を切るには切れずにいます。このことを話すと婿入り前に立ちはだかる父親よろしく「折れずに意見を伝えて立ち向かってこい」と言われてしまいました。
言ってもどうせ聞く耳を持たないから言わない、というのは長年連れ添った夫婦でもよくある話です。だとするとこれは心の保ち方の問題であると同時に、じつはふたりでどう生きるかという問題でもあるのかもしれません。
僕自身のことを申せば、ふたりの間に起きた問題はどうあれ常にふたりの問題であるというスタンスです。
たとえば脱いだ服は洗濯機に入れてほしいけどいつも脱ぎっぱなしのまま置いてある、という問題があったとしましょう。悪いのはもちろん、脱ぎっぱなしにする人です。多くの場合これは脱ぎっぱなしにする人の問題だと受け止められるし、何ならこの悪しき習性をどう改めさせるかみたいな話になります。
しかしこれが問題になるのは、それを問題として受け止める人がそばにいるからです。一人だったらどれだけ脱ぎ散らかそうと誰も文句は言いません。脱ぎ散らかすのをやめてほしいと願う人がいるからこそ問題になるのだとしたら、これはやはり厳然として、ふたりの問題です。
ふたりの問題ならば、当然ふたりで解決しなくてはなりません。世間のあちこちで耳にするように、相手が変わればいいとかどう変えるかとかそういう問題では全然ない。ふたりで暮らしていく以上は、たとえ片方が100%悪かったとしても、同時にもう片方もまたそれを受け止めて変わる余地をもつ必要がある、と僕は考えます。(変わる必要ではなく、変わる余地をもつ必要、であることに注意)
要は「本当にどうしても絶対に、何がなんでも譲れない部分だけは伝えてお互いそれに従い、それ以外はなるべくお互いに受け入れる」ということです。
先の例で言うと、仮に服を脱ぎ散らかさないでほしいと望む側が僕だった場合、僕にとってそれは困るは困るけど本当にどうしても絶対に譲れない部分かと言ったら全然そんなことはありません。なので受け入れて、僕が服を洗濯機に入れます。そして脱ぎ散らかすことについてはもう考えません。枯れ葉が落ちるのと同じくらいふつうのこととして受け入れます。
とはいえこれをそのままいただいた質問に当てはめると、ふたりで解決しよう!ということにしかならないので、ここはひとつ折り合いをつけて、ふたりで解決するときの片方の気の持ちようを考えてみましょう。
もし行きたいところを伝えても意見が通らないことが絶対に承服できないのだとしたら、あしらわずにきちんと耳を傾けてほしいと伝えます。これは意見が通る通らない以前の話です。そして気持ちを強く持てばいいとかそういう話でもない。お互いに敬意を払えるかどうかの話です。
一方、や、まあそこまででもないか、とおもえるなら、それはそのまま受け入れましょう。諦めるという意味ではありません。そうではなくて、どこまで踏みとどまるかの線引きを自分でする、ということですね。
戦いとして挑めば当然そこには勝敗が生じます。敗戦がつづけば心が折れることもあるでしょう。でもこれは戦いではないし、あくまで折り合いです。勝とうとさえしなければ、負けることもありません。ひいては心をぽきりと折られることもなくなる、と僕はおもいます。
もちろん、折り合いもへったくれもない、相手がまったく聞く耳を持たない専制的な人であっても、やっぱり好きで離れられないパターンも往々にしてあります。何ならそれはそれでどうにかこうにかやっていったりするので、一概にこうあるべきとは言えません。
つまりこれは、今あるちいさな幸せをこの先も保つにはどうしたらいいか、という話でもあるのです。人それぞれとは言え、お互いを思えば着地点は必ずあります。据わりのいいところを探してみてください。
A. 戦いとして挑まないことです。
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その400につづく!