2021年10月29日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その349


原子力炊飯器さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 文字を書く時に「書き順」って気にしますか?


わりと日常の、何でもないことのように思えて、考え始めるとなかなか奥の深い問題です。

完全に合理的な視点で言うと、書き順など何の意味もありません。なんとなれば文字とはあくまで伝達のための記号であり、伝わりさえすればそれで役目を果たしたことになるからです。どういう手順で書かれたかなど読む人には知りようがないし、そもそも文字は連ねてこそ意味を成します。どの文字もメッセージの一要素にすぎない以上、とにかく特定の文字であることが瞬時に判別できればそれでよろしい。

書き順で僕が昔から釈然としないのは「右」と「左」の2文字です。「右」ははらい(上から下)を先に書きますが、「左」は横棒(左から右)を先に書くことになっています。ですよね?

これには一応ちゃんとした理由、といっても合理性ではなく文字の成り立ちから来る理由があるらしくて、聞けばたしかにふむふむなるほどね、と納得はできるんだけれども、人生の折り返し地点をすぎたとおぼしき今になっても、だから何だとおもっているところがあります。

だいたい文字の成り立ちに敬意を払うならフォントだって左の横棒より右の横棒の方が長いはずだけど、フォントによっては長いどころかむしろ短くなっているくらいなのです。成り立ちがスルーされるのなら、それに基づく書き順も当然スルーされなくてはなりません。(ちなみに教科書用のフォントではちゃんと右の横棒が長くなっています)(逆に忌々しい


大昔は文字、とりわけ表語文字は使える人が限られていて、それ自体がある種の神性を帯びていたはずだから、書き順をまちがえることでその神性が損なわれたとしても無理はないし、だから書き順が決まっているのもすごくよくわかる。でも多くの人が当たり前に使うどころか、なんなら書かずに入力で済む現代にその順で書けと言われたらやっぱり何でだよとおもう。好きに書いていいけど、いちおう昔から伝わる書き順はこうだよ、くらいに留めてほしい。

ここまで書いて読み返すと合理性一本槍の強硬な反対派にしか見えませんが、論理的に突き詰めたらそうなるよなというだけで、僕個人はそうでもありません。それはそれ、これはこれです。少なくとも「右」と「左」のように、書き順を知っているものはそのとおりに書きます。

習慣というのもあるけど、すっかりおっさんになって老いが視野に入ってきた今の僕はむしろ、合理的でないものこそ世界を豊かに美しくする、必要にして不可欠な要素だと感じているからです。

気にするほどではないけれど、そういうことになっているならそういうことにしておこう、というゆるい受け止め方はそれが思考停止でなく明確に意識的であるかぎり、取り巻く世界にちょっとした彩りを添えてくれる、と今の僕は考えます。

何しろ合理性はぐうの音も出ない明快な答えを与えてくれるぶん、それ以外は無意味という拒絶も同時に孕んでいます。腹に入れば同じだし、味が変わらなければいいと盛りつけや提供の順に意味を見出さないようなものですね。

意味と無意味のモノトーンできちんと分けられた無駄のない世界と、無限のグラデーションに満ちたカラフルで無駄の多い世界のどちらで生きるかと言われたら、僕は後者を選びます。論破の牛耳る世界ではおちおちゴロ寝もできない。

したがって、書き順があり、それを知っているなら特に不都合がないかぎりそれに従う、というのが僕のスタンスです。知らないものまでそうあるべき、とは微塵もおもわないですけども。


A. 知っていればなるべく従います。




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その350につづく! 

2021年10月22日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その348


げんこつ山のパルチザンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. たいやきくんが「ある朝、店のおじさんと喧嘩」したという、喧嘩の原因が知りたいです。


昭和50年に勃発し、平成、令和と二つの年号を経た今も語り継がれる伝説の大喧嘩、いわゆる「たいやき事変」ですね。何しろもう45年も前のことなので、リアルタイム世代ではないにせよ、かつては冷めたたいやきの1尾でもあった僕の耳にも、その言語に絶する凄惨ぶりは刻みつけられています。あのときそこで一体何が起きたのか、後世への教訓としても改めて記しておくべき歴史のひとつかもしれません。

そもそもの発端は、店のおじさんが「きのこの山、美味いな」と呟いたことにある、と伝承では言われています。来る日も来る日も一枚一枚、せっせとたい焼きを焼きつづける男の、迂闊と言えば迂闊すぎる一言です。たい焼き一筋で数十年生きてきた男が、仮にふと思ったとしても軽々しくそんなこと口にするんじゃねえよ、だいたいたけのこの里こそ至高だろうが!とたい焼きがキレたのも頷けます。

そこで思わず吹き出したのが店のおじさんです。たけのこの里だと?聞いたことねえな、ははははは!たけのこの里か、そんなもんがあるなら出してみろよ、ほら!ははははは、言うに事欠いてたけのこだとよ!こいつァ傑作だ!

なぜこんな鼻であしらうような話になっているかというと、きのこの山はたいやきくんが店のおじさんとケンカしたまさにこの年、昭和50年の発売ですが、今もつづく論争の相手であるたけのこの里の発売はこの4年後、昭和54年だからです。今では永遠のライバルであると誰もが認めるたけのこの里は、たいやきくんがキレた時点ではまだ誕生していなかったのです。

かつてたい焼きだった僕には今さら感のある話ですが、たい焼きは未来を見通すことができます。数年後にたけのこの里が華々しくデビューすることはもちろん、数十年後に世界がパンデミックに見舞われることも、スエズ運河が超巨大タンカーに塞がれて機能不全に陥ることも、アップル社が製品の心臓部をインテル製から自社製のM1に切り替え、ユーザーがその性能に驚愕することも、HUNTER×HUNTERの連載再開が定期的にトレンドになることさえ、たい焼きには以前からとうに周知の事実だった、と今ならはっきり申し上げてよいでしょう。

しかしこの時点、というのはつまり店のおじさんがうっかり口をすべらせた昭和50年にはまだ、平成という元号の登場すら想像もできません。ましてやたけのこの里など、苦しまぎれのでっち上げとしか受け止められないのも当然のことです。それでなくともこれからやってくる未来を既定の事実として語ることなどいつの世も頭がおかしいと一笑に付されるものなのだから、たいやきくんこそ迂闊であったと断じることもできましょう。たいやきくんは未来の話など持ち出すべきではなかった、ただムッとするだけに留めておけばこうも後年まで尾を引く問題にはなっていなかったはずだ、と僕を含むたい焼き次世代の間では意見が一致しています。

しかし一度頭に血がのぼると冷静な判断ができなくなるのは人もたい焼きも変わりません。明らかにじぶんのほうが正しいと確信している場合はなおさらです。おそらくたいやきくんも失言には気づいていたとおもいますが、鼻であしらわれて歯止めがきかなくなったとしてもムリはありません。そうした歴史をよく知る僕でも、未来についてうっかり口をすべらせて、あざ笑われたらやはりムキになるでしょう。たいやきくんを責めることはできない。

とはいえ先にも申し上げたように、昭和50年にたけのこの里はありません。ないものを引き合いに出していくら強弁しようと、埒が明くはずもないのは道理です。水掛け論の果てにはやはり、きっぱりとした決別しかありませんでした。

意図せず広大な自由を知ったたいやきくんはそれほど間を置くことなく海水に溶け、後年はちくちくとした胸の痛みに苛まれつつも最後までたい焼きにすべてを捧げた店のおじさんもこの世を去り、そしてたい焼きは平成、令和と時代を変えた今もなお、愛され続けています。きのこの山VSたけのこの里論争もまた果てしない水掛け論として折にふれては物議を醸していますが、その嚆矢がたいやきくんと店のおじさんにあることは、どうか知っておいてください。彼らのためにも。


A. たいやきくんが「たけのこの里」を持ち出したからです。




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その349につづく! 

2021年10月15日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その347


世界でいちばん熱い風呂さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 来年4月から東京で働くことになりました。東京でおすすめの飲食店はありますか?


ここで言う来年というのは2022年のことではありません。質問をいただいた2019年の翌年なので、つまり去年ですね。気がつけば1年半たっていますが、東京での暮らしには慣れましたでしょうか。何ならもう東京にはおられないかもしれませんが、例によってそのへんのあれこれはあまり気にせずお答えしましょう。

しかし東京は広い。

何しろ東京の最南端はおよそ1800㎞南にある「沖ノ鳥島」です。東京から沖縄までの距離がだいたい1600㎞なので、それよりもはるか南ということになります。ついでに言うと最西端も沖ノ鳥島です。どれくらい西かというと、大阪くらい西ですね。

沖ノ鳥島

最東端は南鳥島です。東京から直線距離で1900㎞弱あります。上海に行くほうが近くて早い。

南鳥島

沖ノ鳥島も南鳥島も飲食店どころか人もいない絶海の孤島なので、範囲に入れなくてもいいと言えばいいようなものですが、いつ誰がそこに蕎麦屋を開くかわからないし、いかに東京が広いかの目安にはなりましょう。

本州で言うと東端に流れる江戸川から西の奥多摩までだいたい80㎞くらいですが、東京に住んでいるからといって奥多摩に出向くことはまずほとんどありません。東京と言ってもほぼ山梨であり、仮にこのあたりにおすすめのお店があったとしてもそれなら埼玉や神奈川や千葉のほうがよほど近いし、少なくとも僕なら最寄り駅から電車1本で10分もあれば県境を越える埼玉に行きます。

「飲食店」という括りもまた大雑把です。はっきり言って東京は食に関しては完全にアミューズメントであり、日本全国はもちろん世界中のありとあらゆる食が網羅されている分、東京ならではと言えそうなものがそれほど目立ちません。ここでしか食べられないというより、ここに来れば何でも食える土地であって、むしろどんな希望にも無数の答えがある、と受け止めたほうがよいでしょう。考えようによっては楽園だし、また考えようによってはこれほど気が遠くなる話もありません。特にこだわりがなければ評判の店行っときゃまずだいたい美味いというのが、東京においては真理です。基本が自炊で外食することがあまりない僕が言うのもなんですけど。

とまあ、さんざん御託を並べてきたところで、わざわざそのために足を伸ばす甲斐がある、安田タイル工業の専務と主任イチオシのお店を紹介しておきましょう。

ひとつは銀糸町にある「亀戸餃子」です。メニューは餃子しかありません。たしか一皿300円くらいで、最低でもひとり2皿以上注文しなくてはいけなかったはずですが、とにかく味も雰囲気も体験としてここでしか味わえないものであることは間違いないので、一度行ってみてください。よほど慣れていないかぎり、カップルで行くことはオススメしません。ただ黙々と餃子を食って、食ったら出る店です。店のペースに飲まれると次から次へとわんこそばみたいに餃子がひたすら出てきます。ひとりで行くのがいちばん楽しめるんじゃないかとおもう。

もうひとつは駒沢大学にある「かっぱ」です。ここもメニューは煮込みとごはんしかありません。選べるのはごはんの量だけです。亀戸餃子と同じくここも主導権は完全に店側にありますが、雰囲気はよりシビアなので、やはりただ黙々と煮込みとごはんをかきこんで、食ったら出る店です。まちがってもデートで行くような店ではありません。

どちらも、よし、今日こそは行ってみるぞと鼻息荒く出かけて満喫したりしょんぼりしたりする甲斐はあります。すごく美味しいし、何なら安田タイル工業とは何かということについても、ちょっと理解が深まるかもしれません。


A. 「亀戸餃子」と「かっぱ」がオススメです。




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その348につづく! 

2021年10月8日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その346


ウニむさぼるスタジオジャパンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 運命の人に出会うにはどうしたらいいですか。


現在の僕はある種の運命論者です。もちろん宇宙の隅から隅まで、初めから終わりまですべてきっちり定められている、とまではさすがにちっともおもしろくないのでまったく考えていませんが、「人生にはあらかじめ決められた小さなポイントがある」とざっくり考えているところがあります。

小さなポイントというのは実際のところ、こっちの道から行こうとか、昼は何を食べようとか、それくらいのささやかなものです。要は選択なんだけど、それを「選択している」ではなく「選択することになっている」と考えるわけですね。

小さなポイントはそれ自体が分岐点になることもあれば、単に伏線のひとつでしかないこともあります。またその集合は気がつくとちょっとした川になっていて、おいそれとはその流れを変えることはできません。

これまでの道のりを振り返ったりするうちに漠然とそう考えるようになっていったのだけれど、この考え方が胸に根を下ろすようになったのは、あのときこうしていればという後悔がまったくなくなることに気がついたからです。何しろ「そう選択する」と決まっていたのだから、悔いる意味も甲斐もありません。責めるべきは自分ではなく、僕がそう選択することを決めた得体の知れない何者かです。人生が冴えないのはおれのせいじゃないという予防線にもなるので、今ではすっかりこのスタンスが気に入っています。

さて、そんな部分的運命論者である僕からすると、いただいた質問は「運命ナメんな」と一蹴せざるを得ません。なんとなればこの質問は、あらかじめ定められているはずの運命の人に出会えない可能性を示唆しているからです。八百長で勝つにはどうしたらいいかと訊ねるのに等しい奇妙さがあります。ほっといても、何があろうと、どんなあり得ない行動をとろうと出会ってしまうから運命なのであって、出会えないならそれは運命でもなんでもありません。というか、出会えないならそれこそが運命です。もしくは、「おかしい……この人じゃない……この人であるはずがない……」と感じるのに縁が切れないとしたらそれがまさしく運命の人です。

昔から疑問におもうことだけれど、運命の人という言い回しにはどういうわけかポジティブな響きがあります。運命である以上そもそも100%ニュートラルでそこにはポジティブもネガティブも同じだけ含まれるはずなのに、なぜ都合よくポジティブにだけ受け止められるのか不思議でなりません。前回、暗殺よりも不幸と言われた結婚に身を投じたリンカーンの話をしましたが、運命というならそうして娶った妻もやはり運命の人です。

まったくもってポジティブではない超ネガティブな可能性もポジティブと同じくらい厳然と存在する以上、運命の人のことなど考えないほうが賢明であると僕は断じます。夢をみるほどの甲斐ははっきり言って全然ありません。忘れるほうが無難です。考えうるかぎり最も相性の合わない誰かを運命ですと押しつけられることほどの絶望が他にあるだろうか?

なので改めて、自身に問いかけましょう。本当に出会ってしまっていいものだろうか?出会わないほうがよほど幸せだった運命を受け入れる準備はできているだろうか?運命である以上、出会いは確定事項でまず不可避です。でもせめてそれが運命であることを知らずにいることができたら、まだ出会っていない、もしくはきっとこの人がそうだと最後まで信じ続けることができるんじゃないだろうか?

部分的運命論者である僕にとって、運命とはどろどろ流れる溶岩のようなものです。触れるのはいつでもそれが通りすぎたあと、冷えて固まってからのほうが焼け爛れなくていいとおもいます。


A. 忘れるほうが無難です。




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その347につづく! 

2021年10月1日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その345


チューインガム宮殿さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. もうダメだと思ったとき、自分はもうどうしようもないと思ったとき、気持ちを切り替えるような発想、もしくは言葉などありますか?


こう言ってしまっては身もふたもないですが、僕は基本的にどうしようもないが服を着て歩いているような男であり、もうどうしようもないと言われちゃうと確かにそのとおりだけどそれは「鼻がひとつしかない」と同じでそれこそ他にどうしようもないじゃないかというスタンスをかれこれ数十年貫きつづけてきた男です。

なぜかわからないけど見た目はわりとしっかりしているように見えるらしくて、それがまた生きにくさに拍車をかけつづけています。どう考えてもしっかりしていたらこんな一寸先は闇の日々を送っていないし、なんだかよくわからない書類が何年もしつこく送られてきたりしないし、だいぶいい年になってから国民健康保険に加入して安堵の涙を流したりしません。僕がしっかりして見えるとしたらそれは、ふつうなら絶望して梁に結ぶロープを探しかねない状況がそもそもデフォルトで、今やずらりとぶら下がった色とりどりのロープを暖簾のように手でかき分けながら暮らすくらいには慣れたからです。

したがって、人が日ごろから人であることを意識しないのと同じく、僕がもうダメだを意識することはほとんどありません。むしろ雨のそぼ降る晩なんかは屋根のある部屋で布団にくるまって朝まで誰にも邪魔されずに眠れることを今でも当たり前に思えず、心からありがたいと感謝しているところがあります。ダメじゃないときがどんな感じなのか、言われてみれば僕もすごく興味があるし、知りたい気がする。

それはまあそれとして、せっかくなのでひとつおすそわけしましょう。目にしたのが10代の半ばだったこともあって、今も変わらず心に残る一編です。たしか一度オントローロ(という独演会をかつて開いていたことがあるのです)でも読んだことがあります。どちらかというとそれによって立ち直るというより、心理的な痛みを和らげてくれるような印象ですね。

「This will make you feel better」というタイトルで、詩の形をとってはいますが、ユナイテッド・テクノロジー社が1970年代の後半から1980年代前半にかけてウォール・ストリート・ジャーナル紙に掲載し、多くの反響を呼んだ広告のひとつです。



これですこしは気が楽になるだろう


落ちこんだときは
この人のことを考えよう
彼は小学校を
中退した
雑貨屋を営み
破産した
借金を返すのに
15年かかった
妻を娶った
不幸な結婚だった
下院議員に立候補した
2回落選した
上院議員に立候補した
2回落選した
のちに語り継がれる
スピーチは当時
誰も聞いていなかった
新聞や雑誌では
毎日のように叩かれ
国民の半分に嫌われた
にもかかわらず
想像してみよう
この不器用で
よれよれの
冴えない男に
世界中でいったいどれだけ多くの人が
目を開かされたことか
彼はじぶんのサインを
シンプルにこう書いた
"A. リンカーン"



This Will Make You Feel Better


If you sometimes
get discouraged,
consider this fellow:
He dropped out
of grade school.
Ran a country store.
Went broke.
Took 15 years
to pay off his bills.
Took a wife.
Unhappy marriage.
Ran for House.
Lost twice.
Ran for Senate.
Lost twice.
Delivered speech
that became a classic.
Audience indifferent.
Attacked daily
by the press
and despised
by half the country.
Despite all this,
imagine
how many people
all over the world
have been inspired
by this awkward,
rumpled,
brooding man
who signed his name
simply,
A. Lincoln.


A. リンカーンのことを考えたりします。


ちなみに彼の結婚がどれほど不幸だったかというと、暗殺されるほうがまだマシと言われたほどだそうです。リンカーン…。



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その346につづく!