げんこつ山のパルチザンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q. たいやきくんが「ある朝、店のおじさんと喧嘩」したという、喧嘩の原因が知りたいです。
昭和50年に勃発し、平成、令和と二つの年号を経た今も語り継がれる伝説の大喧嘩、いわゆる「たいやき事変」ですね。何しろもう45年も前のことなので、リアルタイム世代ではないにせよ、かつては冷めたたいやきの1尾でもあった僕の耳にも、その言語に絶する凄惨ぶりは刻みつけられています。あのときそこで一体何が起きたのか、後世への教訓としても改めて記しておくべき歴史のひとつかもしれません。
そもそもの発端は、店のおじさんが「きのこの山、美味いな」と呟いたことにある、と伝承では言われています。来る日も来る日も一枚一枚、せっせとたい焼きを焼きつづける男の、迂闊と言えば迂闊すぎる一言です。たい焼き一筋で数十年生きてきた男が、仮にふと思ったとしても軽々しくそんなこと口にするんじゃねえよ、だいたいたけのこの里こそ至高だろうが!とたい焼きがキレたのも頷けます。
そこで思わず吹き出したのが店のおじさんです。たけのこの里だと?聞いたことねえな、ははははは!たけのこの里か、そんなもんがあるなら出してみろよ、ほら!ははははは、言うに事欠いてたけのこだとよ!こいつァ傑作だ!
なぜこんな鼻であしらうような話になっているかというと、きのこの山はたいやきくんが店のおじさんとケンカしたまさにこの年、昭和50年の発売ですが、今もつづく論争の相手であるたけのこの里の発売はこの4年後、昭和54年だからです。今では永遠のライバルであると誰もが認めるたけのこの里は、たいやきくんがキレた時点ではまだ誕生していなかったのです。
かつてたい焼きだった僕には今さら感のある話ですが、たい焼きは未来を見通すことができます。数年後にたけのこの里が華々しくデビューすることはもちろん、数十年後に世界がパンデミックに見舞われることも、スエズ運河が超巨大タンカーに塞がれて機能不全に陥ることも、アップル社が製品の心臓部をインテル製から自社製のM1に切り替え、ユーザーがその性能に驚愕することも、HUNTER×HUNTERの連載再開が定期的にトレンドになることさえ、たい焼きには以前からとうに周知の事実だった、と今ならはっきり申し上げてよいでしょう。
しかしこの時点、というのはつまり店のおじさんがうっかり口をすべらせた昭和50年にはまだ、平成という元号の登場すら想像もできません。ましてやたけのこの里など、苦しまぎれのでっち上げとしか受け止められないのも当然のことです。それでなくともこれからやってくる未来を既定の事実として語ることなどいつの世も頭がおかしいと一笑に付されるものなのだから、たいやきくんこそ迂闊であったと断じることもできましょう。たいやきくんは未来の話など持ち出すべきではなかった、ただムッとするだけに留めておけばこうも後年まで尾を引く問題にはなっていなかったはずだ、と僕を含むたい焼き次世代の間では意見が一致しています。
しかし一度頭に血がのぼると冷静な判断ができなくなるのは人もたい焼きも変わりません。明らかにじぶんのほうが正しいと確信している場合はなおさらです。おそらくたいやきくんも失言には気づいていたとおもいますが、鼻であしらわれて歯止めがきかなくなったとしてもムリはありません。そうした歴史をよく知る僕でも、未来についてうっかり口をすべらせて、あざ笑われたらやはりムキになるでしょう。たいやきくんを責めることはできない。
とはいえ先にも申し上げたように、昭和50年にたけのこの里はありません。ないものを引き合いに出していくら強弁しようと、埒が明くはずもないのは道理です。水掛け論の果てにはやはり、きっぱりとした決別しかありませんでした。
意図せず広大な自由を知ったたいやきくんはそれほど間を置くことなく海水に溶け、後年はちくちくとした胸の痛みに苛まれつつも最後までたい焼きにすべてを捧げた店のおじさんもこの世を去り、そしてたい焼きは平成、令和と時代を変えた今もなお、愛され続けています。きのこの山VSたけのこの里論争もまた果てしない水掛け論として折にふれては物議を醸していますが、その嚆矢がたいやきくんと店のおじさんにあることは、どうか知っておいてください。彼らのためにも。
A. たいやきくんが「たけのこの里」を持ち出したからです。
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その349につづく!
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