2021年5月4日火曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その324



パンドラ的質問箱では、数年前にいただいた質問をまるでついさっき届いたかのような顔でお答えすることがあります。これもそのひとつです。ひょっとすると、というかひょっとしなくてももうここにはいらっしゃらないような気もしますが、そんなことはないと鼓舞するように自らのほっぺをパンパンと張り倒してお答えしましょう。


ロビンソン来る嘘さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 長年使ってたFacebookをやめようと思ってます。なにか挨拶的なものはいりますでしょうか。誰も気にしてないわと思われるのもなんですし。当方53歳。


かれこれ4年もの月日が流れてから言うようなことじゃないとおもいますが、ぶじFacebookを辞めることはできましたでしょうか。

聞くところによるとFacebookは他のSNSに比べて匿名性が低いせいか、より生々しくつながってしまう傾向があり、しかも年をとればとるほど話題が食事と家庭と病気に偏ってしまい、なぜこんな他人の、心底どうでもいいわりにヘビーな話を毎日のように目にしなくてはいけないのかと苛まれるケースが多いようです。われながら偏見に満ち満ちているので全然そんなことない可能性もありますが、人は年を取ると本当に話題が仕事と育児と病気に限られてくるので、おそらくそういう側面は実際にあるでしょう。同窓会でしかしないような話を、強制的に毎日摂取させられるようなものですね。同窓会の案内を受け取ったことがない僕が言うのもなんですけど。

幸か不幸か、僕は機を逸したというか、素敵なつながりより不本意なしがらみのほうが勝ちそうだと感じたこともあってFacebookにはかつて一度も触れたことがない男ですが、しかしこれはありとあらゆるSNSに共通するありがちな問題でもありましょう。ほっとくと否が応でも形見になってしまうし、SNSは潮時を見てさくっと断つのが肝要だと僕もおもいます。

しかし辞めどきの挨拶の必要性について言えば、芥子粒ほどもありません。なんとなればまさにそういうちょっとした心理的負担のためにこそ、やめようとお思いになっているはずだからです。

いらないものはいりません。それがすべてです。SNSがなくともつながりのある人には直接話をする機会もあるでしょう。それでいいし、それだけでいいと僕はおもいます。

でなければせいぜい、そうですね、「ご愛読ありがとうございました。先生の次回作にご期待ください!」くらいは書き残しておいてもいいかもしれません。意味合いとしては結局そういうことだし、何よりわかりやすい打ち切り感があります。

これに限ったことではないけれど、過剰な礼もまたそれがゆえに礼を失するものです。枕詞としての「申し訳ないけど」とか、語尾にくっつく「させていただく」とか、「FF外から失礼します」とか、バンドや企業にまで敬称をつけるのもそうした過剰な礼であり、ここまでくると敬意よりもむしろリスクヘッジや保険に近いものがあります。

裏を返せば、単なるリスクヘッジやある種の保険としてなら挨拶もアリということです。ただしそこには大した意味も甲斐もありません。何がどう安全なのかはわからないけれども、とにかく安全なことは確かであるというだけです。いつ車にはねられるかわからないから外出したくないという慎重な向きになら僕もつよくオススメするとおもいます。

いずれにせよ、やめたいとおもうSNSから身を引いたところで、どう考えてもこれからの実生活に大きな影響があるわけではまったくないというごく当たり前のことを、まず思い起こしましょう。

評価されるためならまだしも、ただ非難されないために気持ち的なコストを払うことがどこにどうつながって何を得るのか、そしてそもそも礼とは何か、SNSがデフォルトの時代に生きる僕らは常に問われているような気もしますよね。


A. 「先生の次回作にご期待ください!」と書き残して去りましょう。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その324につづく! 

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