2013年7月17日水曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その162



ミンキーモーモーさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)夢の国からやってきた牛のことですね。


Q. 好きな人ができてもなかなか上手くいきません。魔女のリセットボタンまでとはいかないけれど、やり直したいことがちらほら。はたから見ても情けない男だなあと。大吾さんにとって格好良い男とは?


これはつまり、恋愛における、という条件の下でのご質問ですよね?

なぜわざわざ但し書きを添えたのかというと、同性からみてステキだとおもえる人が、異性にとっても同じように魅力ある相手とは必ずしもかぎらないからです。また、至近距離の相手にだけ関係してくる、限定的な属性もあります。両方をクリアする希有な例もあるにはありますが、そんな高望みは「生まれ変わりたい」という結論が遅かれ早かれ導かれるだけなので、樽に入れてふたをして漬物石でも乗せておきましょう。

僕がカッコいいなあとおもうのは、相手(恋人でも、妻でも)に対する思いが、ちょっとしたことからひょいと顔を出すような人です。ちょっとしたこと、というのは本当にちょっとしたことで、誰がみてもそのきもちが正面からどしーんと伝わってくるような大きなことではありません。うっかりすると見過ごしてしまうくらい、ちいさなことです。一例を挙げましょう。

日本列島の右側をぐらぐらと揺さぶられて都市機能が完全にマヒしたあの夜、出先から6時間かけてテクテク家まで徒歩で帰った友人と話していたときのことです。なにしろ妻子ある人だし、これ以上ない非常事態でもあるから、「やっぱりお子さんいたら心配ですよね」と僕が言ったら、「いや、奥さんもだよ」と何気なく(いいですか、何気なくですよ)付け加えるのです。

ごくごくふつうの愛情に見えるこれのどこがそんなに?とあるいは思われるかもしれませんが、ここで重要なのは「話の流れ上、それを付け加える必要はべつになかった」という点です。その場で話をしていたのは僕らふたりだけであり、奥さんがそばにいたわけではありません。どちらかといえば「子どもがいること」に焦点が当たっていたのだから、「そうだねえ」と返されたらそれで済んでいたはずです。それでなくとも彼が日ごろ奥さんを大事にしているのはずっと前からわかりきっています。にもかかわらず、さらっと付け加えずにはいられない、この意味の大きさ!相手のいないところで相手をおもいやるきもちが、言わなくてもいいタイミングで自然と口をついて出るのだから、普段の彼がいかに愛情を注いでいるか、他のどんなエピソードよりも却ってはっきり伝わってきます。彼らをみていると他にもそんな例はいくらもあって、気づくたび「カッコいいなあ」と思わされるのです。それに奥さんもまた同じように応えているというか、互いに響き合っているようなところがあって、そこがまたいいんですよね。(ちなみにこの話を聞いて「いいなあ!じぶんもそんな相手がほしい」と口走る人は、じぶんもそうでなくてはいけないという視点がすっぽ抜けているので、うまくいきません)

それからもうひとつ、さらにミクロな例を挙げると、「便座を持ち上げて小用を足したあと、便座を元の位置に戻す人」というのがあります。これは(至近距離にいようといまいと)女性の存在を前提とした行為です。男性にとっては必ずしも毎回下げる必要はないですが、女性にはそもそも上げる理由がありません。なので、これが自然にできる人はそれだけでちょっと印象が変わります。変わりませんか?仮に言われて後から身についたものだとしても、それはそれで相手のきもちをきちんと汲んでいるのだから同じです。

ちいさい話ですね。どうでもいいといえばどうでもいいような気もする。でもこういうミクロな部分から窺い知れる気心もあったりするのです。いくらなんでも大げさすぎるんじゃないかともおもうけど、こういう話は針小棒大でちょうどいいくらいなので、まあよろしい。いちおう念のため断っておくと、便座を下げないからと言ってそれが減点対象になるという話ではありません。どうなのと言われたらどっちだっていいよと僕も答えます。うわ、ホントにちっちゃいな!とのけぞってもらえればそれでいいのであって、あんまり深く考えてはいけない。

たまたまどちらも男女が同じ屋根の下に暮らしている場合を例に挙げましたが、でもこういう心持ちは相手の有無にかかわらず、たぶんどんな状況にも当てはまります。一見なんでもないような所作や言葉から人に対する豊かなおもいやりが垣間見える人というのは、男女問わずそれだけですごくカッコいいです。

それから、言うまでもなく恋愛というのはうまくいかないことのほうが圧倒的に多いです。僕もやり直したいことはいっぱいあります。情けなくなったことなんて、多すぎて正直思い出したくもありません。情報公開を求められたらそのほとんどが黒塗りになるでしょう。誰にどんな正論を言われようと、「うるさい!」の一言ではねのけて、その黒塗りを死守するだろうとおもう。

僕にできたのは、なるべく同じあやまちを繰り返さない、ということだけです。それでもやっぱり繰り返したりするんだけど、でもそれがわかっていなかった前よりはずっといいはずだし、そう信じたい。何であれ、より良くなるためにはうまくいかないことこそが必要不可欠だと僕にはおもえてなりません。それに僕が女性なら、失敗をあまりしたことのない人より、失敗を多くしてきた人のほうをえらびます。ぜったい、大事にしてくれるとおもうから。

かけがえのない伴侶と巡り会えますように!


A. 便座を持ち上げて小用を足したあと、便座を元の位置に戻す男です。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その163につづく!


3 件のコメント:

  1. さりげない優しさにどれだけの人が気づくのか?なんかのドラマで見たのですが、洗濯しといてあげたよ!じゃなく、洗濯してる姿を相手にわざと見せつけないと相手には感謝されないぞ!と。

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  2. 僕はさり気なくというのが昔から苦手で、他人のためになにかをしたら、フリスビーをとってきた犬のように褒められるのを待つタイプです。なんなら、褒めろとワンワン吠えるタイプです。
    なので、なるほど便座を下げる男はたしかにかっこいい!と思いました。
    思っただけで、そうなれる気はしませんが。

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  3. > 匿名さん

    気づかなくていいんです。
    そういうことが自然とできる人は
    そもそも感謝とか見返りを気にも留めません。

    しかし「洗濯しといてあげたよ」は
    えらい上から目線でちょっと困りますね。


    > 赤舌さん

    もちろん便座にかぎったことではなくて
    あくまでもそれくらいささやかな部分
    (とりわけ、誰も気にしていないところ)から
    垣間見える本質の豊かさ、みたいなことですね。

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