ある日バイクのヘルメットから10円玉が出てきたのです。
ヘルメットというのは基本、頭にかぶるものです。財布の代わりにしたり、これで托鉢をしたりするものではありません。たしかにひっくり返せば物を入れるのにうってつけの形ではあるし、そんな用途があったって別にかまわないけれど、それならそれでもっとマシな代用品があるだろうとおもう。なぜこんなところから小銭が出てくるのかちっともわからない。
頭にかぶっていたのだから、ひょっとして頭からちゃりんと落ちたのではないかという可能性がふと脳裏をよぎります。知らないうちに10円ハゲができていて、頭皮が律儀に10円をひねり出しているということはないのか。あるいは10円玉大のスリキズを負っていて、平等院鳳凰堂が緻密に彫られているようにみえるけれどこれはたまたま模様がそう見えるだけで、実は単なる円形のかさぶたなのではないか。そうおもってどきどきしながら頭に手をやれば特に異常は見当たりません。ひりひりした痛みに耐えてまでかさぶたを10枚あつめても100円にしかならないことを考えれば、どうしたって割に合わないのだからこれはこれでよろしい。というかよく考えたらべつにどこも痛くはないのです。
叩くとビスケットが増えるふしぎなポケットの変異で、かぶると10円が出てくる魔法のヘルメット、という線も夢があります。いい年をしてそんなさもしい夢をみた覚えもないけれど、くれるというならそれはあなた、もらっておくにやぶさかではありません。バイクに乗るか否かにかかわらず、ヘルメットだけは毎日せっせとかぶろうというものです。一週間もつづければ卯の花くらいにはなりましょう。考えてもわからないことは積極的に油で炒めて胃の腑へおさめてしまいたい。
話にはいつも愉快なオチがある、と妄信してはいけません。さんざん紆余曲折したあげくどこにも辿り着かないことも、人生にはときどきあるのです。
*
ピザ枕さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)寝てないで食えってかんじですね。
Q: いつも思ってたんですが、モノクロの人物写真。まるで新聞から切り取ったものみたいに見えますが あれはいつも自分で撮ったものを加工して作っているんでしょうか?教えて下さい。
お察しのとおり、これは新聞です。1920年代から50年代くらいまでの古ーい新聞や雑誌からちょきちょきと切り抜いたものを、さらに加工して使っています。場合によっては、100年くらい前のものもあるかもしれません。うっかり折るとそれだけでぴりぴりと裂けてしまうような古紙ですね。この作業を始めると部屋がちいさな紙くずでいっぱいになります。
なぜそんな七面倒くさいことを好んでしているのかというと、僕はアナログなものに意図せず含まれてしまう「ノイズ」に対して偏愛とも言うべき敬意を抱いているからです。たとえばガラスをつくる上でまだ技術的な問題がクリアされていなかった大正時代のコップにはどうしても製造過程で気泡が入ってしまうんだけど、だからこそ生まれる味わいや趣がそこにはあります。今からしてみれば欠陥でしかないこの気泡が、つまりノイズです。
同じように、技術的な制限によってしか生まれ得ない、もっと言えばぜんぜん望まれていないようなところでしか顔を出さないある種皮肉な魅力が古い雑誌や新聞にもあって、気がつくといつもそんなところにばかり目を向けているわけですね。健全とはちょっと言いづらいけど、でもまあ、しょうがないよな、と肩をすくめるほかありません。
A: 古新聞、古雑誌、ぼろきれ等、ちり紙交換に出せそうなものを再利用しています。
*
質問はいまも24時間無責任に受け付けています。
dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)
その128につづく!
パンドラ的質問箱に出してもいいんですけど・・・この古新聞、古雑誌はどこから入手しているんですか?教えてください!
返信削除・・・あ、あとUnder The Willow Niteお疲れ様でした!楽しかったです!
> 柴田 "Big-Dream" 大夢さん
返信削除えー!
あのちいさな空間にいらしてくださってたんですね。
どうもありがとう!雰囲気よかったですよね、すごく。
古新聞、古雑誌は…探すのもたのしみのひとつですよ!
意外なところでぽろっと出会ったりするのです。