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2011年8月27日土曜日
ストーリーテリングそれ自体の破壊力とは
世の中には「うまく説明できないけど、ただひたすらおもしろい小説」というのがあって、こういうのをこそ夏休みの推薦図書にしてほしいとときどきおもうのです。
ハインラインの「夏への扉」のとなりにヘンリー・ジェイムズの「アスパンの恋文」が並んでたっていいじゃないか?
気を持たせるようなことを書いておいてアレですけども、星の数ほどもある他の物語とくらべて、際立つ要素は何ひとつありません。胸を射抜かれて忘れがたい強烈なキャラクターもいなければ、ちゃぶ台をひっくり返すようなエピソードもありません。乱暴に言ってしまえば、ちょっとした場面が点々とつらなっているだけです。最後の最後でハッとさせられはするけれど、それでさえ物語の最重要部分ではぜんぜんないし、その巧みな着地ぶりに心を奪われはしても、そのためにおすすめしたいとはちっとも思いません。
文章が魅力的、というのともちがいます。ここで言う魅力とは単に「好き嫌いの俎上に載る」というような意味合いですが、そもそも翻訳だから、それについてはよくわからない。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。ただこの話について言うかぎり、そこもあまり重要ではないのです。ここに綴られている文章のすべては、あくまで物語のためだけにある。逆に、役割という意味でならこれくらい完璧な文章もない、と言えるかもしれません。
舞台は1軒の古い屋敷です。ジェフリー・アスパンというひとりの詩人を巡る物語ではあるけれど、当人はすでに世を去っているので出てきません。登場するのはたったの3人…屋敷の女主人とその姪、それからここを訪れた異邦人の男で、主人公は彼です。物語は彼の独白で進められます。
彼らの行動や思想から何かを学んだり糧にすることも、おそらくありません。引用するほどのインパクトを持たないささやかなアクションだけが、糸を紡ぐみたいにしてするすると引き出されていきます。ごくごくわずかに謎めいた心理が作用することをのぞけば、ここには至極まっとうな帰結しかない。言い換えれば教訓や共感からいっさい切り離された、「物語としての物語」なのです。
だいたい、あらすじを読んでも「フーン」てかんじで全然そそられないんですよね。
にもかかわらず(にもかかわらずです)、一度ページをめくったら最後、その指を止めることはまずできません。少なくとも僕は途中でやめることができなかったし、ある種のグルーヴ感に満ちた群を抜くおもしろさは、読んでいるこっちがびっくりするくらいです。何てことない話のように思えるし、展開もおだやかなのに、どういうわけかつづきが気になる。
「文学にとって根源的で不可欠な欲求を充分に満たしてくれる」と解説にもあるとおり、「ストーリーテリングそれ自体の破壊力」を実感するにはうってつけの一冊と言えましょう。すごく読みやすいし、わりと短いし、言うことないです。憧れてしまう。
ただ一方でこれ、読んだ人同士で語り合ってもいまいち話がはずまない気もします。うまく説明できないのと同様に、何をどう語らったらよいのかちっともわからないのです。共有しづらいというかね。
でも傑作であることに疑いの余地はない。
そういうこともある。
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