2007年12月28日金曜日

空から降ってくる人間をよけるには


「手漕ぎボート/helmsman says」にも、墜落した猫舌の少女が出てくるけれど、それよりもずっとシビアでひりひりした話。

 *

雑踏ひしめく白昼の池袋駅前でひとり、ビルの屋上から吸い殻みたいにポイと身を投げた女性について、ほとぼりの冷めた今もときどき思いを巡らすことがあります。

この話で僕が認識している事実は次のシンプルな3つです。

1. 女性は池袋パルコの屋上からとびおりた。
2. 雑踏でひとりの男性が巻き添えになった。
3. ふたりとも亡くなった。

迷惑といえばこんなに迷惑なことってちょっとない。

でも僕が今もおもいだすのは、あまりにきのどくな男性のことではなくて、世界のなんでもない日常にゴリッとした痛みをなすりつけていった女性のほうです。本来なら持っていたはずの「同情の余地」をみずからすりつぶしてしまったやりきれない結末に対して、考えてしまうことがいっぱいある。結果としてみんなの同情はすべて巻き添えになった男性にあつまっていたし、それはもちろん当たり前の結果ではあるのだけれど、一方でそうした一辺倒な反響そのものが、却って僕の感じるやりきれなさに色濃い輪郭を与えていくことにもなっているのです。この話が胸の奥底に澱として残ってしまったのも、そのためだ。

・ひとつめ。
ビルの上からとびおりたということは、突き落とされたのでないかぎり、そうせざるを得ない心理に追いこまれていたのですよね。他人にとってはそれがびっくりするくらいちっぽけな事情であっても、そこにはたしかな絶望があった。そして同時に、ここにはまだおおきな同情の余地がある。
・ふたつめ。
白昼の雑踏を実行場所に選んだということは、少なくともひとり以上の誰かに意識を向けてもらう必要が彼女にはあったということです。不特定多数の人間に自分の存在をアピールしたかったのかもしれないし、ある特定の誰かに見せつけたかったのかもしれないけれど、起こしたアクションの対象が何であれそれはこの際横っちょに置いてかまわない。人知れず命の灯を吹き消す方法が他にいくらでもあることをおもえば、この選択肢にはわりあいしっかりした意図があるとおもう。「こんなリアクションがほしい」と望んでいてもおかしくないし、だから意図を望みと置き換えてもいい。
・みっつめ。
赤の他人を巻きこむことまで計算に入れていたかどうかは誰にもわからない。ただ場所が場所だけに、巻きこんだらそれはそれでより大きな効果を生むかもしれないと考えていた可能性はありそうです。未必の故意というやつですね。そう考えると、ある特定の誰かに向けたアクションだった可能性がずいぶん高くなる。
・よっつめ。
その結果は?

話題にはなった。簡単に言うと、でもたぶんそれだけだった。

じぶんの命を絶つことと、それ以外の命を絶つこと、してはならないことを2つも重ねてしまったのだから、彼女にはもう同情の余地がほとんどない。でもですね、深海に沈んだ(と考える)本人にとっては、ありえない道を選択するだけの水圧が確実にのしかかっていたにもかかわらず、救われるどころか最後の最後で海底に向かうなんて、そんなやりきれない話があるだろうか?誰かが大きく「害」とペイントした扉を後ろ手に閉めて終わる人生って、いったいどういうことなんだ?

だれがどう控えめにみたって、きのどくなのは男性だ。僕だってそう思う。いくらなんでもあんな幕切れはない。じゃあ彼女は?

でかすぎる迷惑にはちがいないけれど、それだけで片づけてしまったら、彼女と同じ思いを抱いている人を止めるとき、なんの教訓にもならないじゃないか?考えたってどうにもならないのはよくわかる。知らないことが多すぎるし、失われたものが戻ってくるわけでもない。でも思いを馳せるだけでも経験値の足しにはなるとおもうし、ひょっとしたら僕もあなたも、いつかどこかで巻き添えを食らわずにすむかもしれないのだ。

 *

なぜ死んではいけないのか?
あなたが始めた人生ではないからだ。
なぜ殺してはいけないのか?
それがあなたのものではないからだ。

そして残念ながらあなた自身でさえ、
あなたの所有物ではない。
(ピザがピザの所有物にはなり得ないのと同じだ)

八方塞がりだとおもうかもしれないけれど、
そうじゃないなんていったい誰が言ったんだ?

どこもかしこも通行止めだ!
そっちはどう?
ああそう、だろうとおもったよ。

 *

完全な密室にとじこめられてるとき、
脱出に必要なものって何だろう?

愛されていようといまいと、
希望があろうとなかろうと、
だいたいへたをすると良心でさえ
脱出にはあんまり意味がないのだ。

知恵しかないんだ。
そうしてそれなら、誰でも持ってる。
だからいっしょに作戦を練るんだよ!

 *

ただまあもちろん、世界には魚やカエルが降ってきた例もあるし、空から降ってくる人間の避け方を訓練するのもひとつの手ではある。どっちを選ぶかは僕ら次第だけれど、それにしてもものごとの上っ面だけをぺろりとなめて、甘いとか辛いとか単純な味覚に還元してしまうモノの見方ほど、つまらないものはないと僕はつくづくおもう。

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