さて、#アグローと夜 というタグがすっかり #ひざつき製菓 に置き換わってきたことでもあるし、そろそろまた通常運行に戻るといたしましょう。
全自動ケンタッキーさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q. もしハチ公が犬ではなくミミズだったら..もしくはおよそペットとは言えない動物であったら渋谷駅には謎の動物の石像がたっていたんでしょうか。
渋谷駅近くには、ハチ公と同じように待ち合わせのシンボルとして親しまれる、謎というならこれ以上の謎はない石像が設置されています。ちょうど今、長く鎮座していた場所から別の場所に移設の真っ最中だったと思いますが、「モヤイ像」というやつです。
モヤイ像それ自体に謎はありません。ラパ・ヌイ(イースター島)のモアイをモチーフに、新島固有の岩石を彫刻したちょっと大きめのオブジェです。あちこちに寄贈されて日本の各地にあります。
しかしそのオリジナルであるモアイは今もって謎の塊です。モアイだけでなく、ラパ・ヌイにはかつてロンゴロンゴと呼ばれる文字が存在し、この島でしか使われなかった上に現存する資料(木片)がごくわずかしかないため、今も解読されていません。島の歴史からして謎に満ちています。
島の歴史やモアイについては科学的な見地から「たぶんこういうことだろうと思われる」という解釈である程度落ち着いてはいる印象ですが、とはいえ当時のことを書き記した記録が他に何も残されていない以上、あくまで現代の感覚で納得できる解釈でしかなく、それを踏まえてもまだ不可解なことがちょいちょい散見されるので、ピラミッドなんかと同じく、やはり人類史に刻まれた大きな謎のひとつと言ってよいでしょう。とくにモアイは数百年ものあいだ人力で継続的にせっせと拵えるにはどう考えてもデカすぎる上に多すぎるというめちゃシンプルな点からして、なるほどと頷ける説明は全然できてないとおもう。
ことほどさようにモアイが今も本質的には謎であるとしか言いようがない以上、それをモチーフにした新島のモヤイもまた、何だろなこれ程度にはやはり謎であり、したがって新島から寄贈された渋谷のモヤイもまたこの謎を当然まるっと受け継いでいます。実際、何だろなこれというほかありません。
ここでやっと、ぎゅーんと話を戻しますけれども、もし公共の場にミミズの銅像が建てられるならば、多くの人が共感するような美談や人気がその背景にあるはずです。そうでなければ銅像にはなりません。
ミミズやマッソスポラやクマムシが銅像になっていないのはまだ人の胸を打つストーリーを伴っていないからであり、いずれ涙なしには聞けないマッソスポラくんの物語が日本中に広く知れ渡らないともかぎらないのです。そうして建つ像を謎とは、やはり誰にも言えません。モヤイのほうが無限に謎です。
何より、これは強調しておかなくてはいけない気もしますが、「およそペットとは言えない生物」は地球上に存在しません。どうあれ愛情をもって日々をともに過ごすなら、それはペットであり、当人にとっては家族です。
かくいう僕も、今では糠床を愛すべき家族として受け入れています。なんとなれば糠床は、ちいさな森と言っても良いくらい、多種多様な菌の相互作用によってそれ自体が複雑な生態系を成しているからです。手入れを怠って糠床をダメにするのは森が全滅するのにも等しいことであり、同程度の糠床に復元するためには数年の歳月を要することから、僕なんかはふつうに立ち直れなくなるでしょう。何であれ対象が生物であり、かつ当事者が愛情をもって日々を共にしているかぎり、それがペットでないと否定することは誰にもできないのです。糠床の銅像まではさすがに考えたことないですけど。
以上をふまえた僕の結論としては、こうなります。
A. 建っていたでしょう。それも堂々と。
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その436につづく!
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