2023年11月24日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その408


銀河鉄道モニョるさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 唐揚げのムネ肉を許せる人間になるにはどうしたらいいでしょうか?


思えば鶏のムネ肉はじつに不遇な部位です。こうするとパサつかない!とか、こうするともっと美味しくなる!と加工後を持ち上げられることはあっても、加工前のすっぴんでちやほやされることはまずありません。生まれながらにして将来のスターダムが約束されているモモ肉に比べると、著しく不均衡な扱いです。磨けば光るのは確かだし、それはそれで身につまされてグッとくるけれども、不断の努力を積み上げてもまだモモ肉の圧倒的スター性に匹敵するとまでは言い切れないあたり、ぶさいく村の住人である僕としては落涙を禁じ得ないものがあります。鶏肉の話とはいえ、他人事ではない。

モモ肉がイケてる、というのはわかります。実際、モモ肉はイケている。それはもう、悲しいほど厳然たる事実だし、ぶっちゃけ僕も大好きです。イケメンには見るだけで得られる滋養があります。その点に異存はありません。

しかしムネ肉が許せない、というのは100%とばっちりです。自身の肉、というか身に置き換えてみるとわかりますが、その理屈でいくと吉沢亮とか平野紫耀がモモ肉だった場合、ムネ肉である僕らはただムネ肉であるというだけで存在を全否定されることになります。モモ肉が好きなら素直にモモ肉の話をすればいいのに、なぜわざわざ無関係の僕らムネ肉を引き合いに出して全否定されなくてはならんのか、これがとばっちりでなくて一体何なのだと断固たる態度で強く抗議せざるを得ません。こうなるともはや我々の明日を賭けたレゾンデートルの問題であって、唐揚げどころの話ではない。

それでもなお許せない、あくまで堅固な向きもあるでしょう。それならそれで仕方がありません。許さなくてもいい。ただ、せめてその代わりに、好きなモモ肉の話をしてほしい。モモ肉とムネ肉が並んでいたらムネ肉に舌打ちをするのではなく、モモ肉を殊更に讃えてほしい。それだけで僕らムネ肉は救われるものがあるのです。

ここにはおそらく、鶏肉だけにとどまらない、重要な教訓があります。なんとなれば何かを讃えるために、別の何かを否定する必要などないからです。

好きなものが尊いのは、そうではない比較対象があるからだろうか?いいえ、そうではないはずです。愛する人が愛おしいのは、嫌いな人がいるからでは絶対にない。ですよね?

だとすれば必要なのはひたすらモモ肉を讃えること、ただそれだけです。食べてみたらムネ肉でガッカリするかもしれないけれども、そこでムネ肉を叩くのではなく、改めてモモ肉の偉大さを文字どおり五臓六腑で実感すること。世界がハッピーであるために求められるのはまさしくこういう姿勢であると、ムネ肉の代理人たる僕は声を大にして訴える所存です。


A. むしろモモ肉の偉大さを讃えましょう。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その409につづく!

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