ロゴを微妙に間違える主任
以前からそういう意識がないではなかったけれど、ここ数年はとくに「こうあって然るべきだし、そうあって当たり前」を心からなるべく減らすように努めています。
たとえば眠ること、歩くこと、食べること、笑うこと。本を読んだり、熱い湯につかること。言ってしまえば何でもないようなことです。実際のところいちいち立ち止まるようなことでもない。その上で、あんまり当たり前だとおもわないようにしているのです。
減らすと言っても気づかないうちに長い年月をかけて蔓延ってきたものだから、火炎放射器で焼き払うようにはいきません。焼き払えたように思えてもたぶん根が残ります。本当に1本1本、地道に草むしりをするような向き合い方です。
最近やっとわかるようになってきたけれど、世界はいつもすこしずつ変わります。たまに激変するように見えても、基本的にはやっぱりすこしずつです。いっぺんに変わることはまずありません。気づかないだけで、確実に助走がある。跳躍が大きければ大きいほど、それに見合った長い助走がある。
「当たり前」という感覚は跳躍前のありとあらゆる助走から意識を遠ざけてしまいがちです。だから突然現れたようにしか見えない変化につい身構えてしまう。受け入れられないことに尤もらしい理由をつけて正当化してしまうこともある。
ご多分にもれず僕も変化にあまり敏感ではないので、ときどき意識的に立ち止まる必要があります。あれ、まだここにいていいんだっけ?というふうにです。心の草むしりはまた、そう自問することでもあります。
実際今年はパンデミック以上に、多くの人がそうあって当然と認識することを根底から揺さぶられるような、それでいて本当のところ何が揺さぶられたのかピンときていないような、そんな年だったと言えるかもしれません。良し悪しや正しさはさておき、僕の価値観もゆっくりと変わりつつある。
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一方で、こうしてささやかに発信することも、たとえば音源を発表することも、ライブをすることも、同じように草むしりの対象です。それでなくとも僕は昔から活動時の体温が異常に低いので、アクションを起こすときはいつも探り探りになります。明日が昨日と同じ世界とはかぎらないじゃないか?ということですね。
年賀状キャンペーンなんかはまさにその最たるもので、いつ静かに幕を引いてもいいような心算でいるのだけれど、どういうわけか今よりよっぽど活動していた時期よりもずっと多くの応募があって毎年ポロリと落涙しています。本当に本当にありがとう。
そして今年は去年の年末にも書いた音源をぶじ「アグロー案内」としてリリースすることができました。
手のひらで包めてしまうくらいささやかなこんな規模だからこそ、咲く花もあります。願わくばどうか来年も、地面すれすれの低空飛行にお付き合いくださいますように。
よいお年を!今年もありがとう!
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