2022年7月22日金曜日

まだ始まっていない祭りの後みたいな先取り精神の話


それでまあ、煽るだけ煽っておいて何だけれど、「アグロー案内 VOL.1」についてこれ以上申し上げられることがあるかと言ったら、別にもうないのです。僕としてはむしろすでにすべてを出し尽くした充足感と心地よい疲労感に満たされており、何なら始まってもいないのにぜんぶ終わって静まり返る祭りのあと、誰もいなくなった広場で夜空を見上げながら、楽しかったなあと甘いため息をつくような印象すらあります。

人間、成し遂げなくとも成し遂げた気にはなれる……胸を張って堂々と言えば名言に聞こえなくもないけど実際のところ名言でも何でもないことをぼんやり考える夏です。

しかし一方で考えようによっては、終わったあとのしんみりを始まる前から先取りしておくのも悪くない気がしています。ありもしない時間をさもあったかのように振り返り、しみじみと感謝の念を述べ、ちょっとさみしそうな笑顔でまたねと手を振る、その後に振り返ったはずの楽しい時間がタイムマシンよろしく訪れるのです。しかも現実に終わったあとの寂寥感はもう済ませてしまっているわけだから、それを改めて追体験する必要もありません。しんみりしかけたらそれはもう味わったことを思い出せばよろしい。実際ここまで書いて、早くも音源の配信日が先週であったような錯覚に陥りかけています。

ひょっとすると僕は心理的なタイムリープとそのやり方を発見してしまったのではないだろうか?


思えば僕は昔からこれといってアピールできることもなく、豆つぶみたいなお知らせがあるたび、それをさらに細かく切り分け、粉末状にし、薬物みたいな分量でちまちまと発信してはその粉末が鼻に入ってくしゃみが止まらなくなる男です。

ほかの多くの表現者とちがって第一には自分自身のためということもあり、こうなりたいとか作るのをやめるとかは考えたこともないけれど、それでもまだこうして時々ぽつりとお知らせすることがあるのはしあわせの一言に尽きます。その結果、たとえ時速1kmでも、歩きつづけていればそれまで見たことのない景色を目にすることになるという当たり前すぎる事実を、改めて噛みしめずにはいられません。

詩にしてもグラフィックにしても、もちろん音楽にしても、伝えたいとか、多くの人に届けたいとか、共感してほしいとかよりもただただ、こんな形があってもいいよなと、今も昔もそれだけを考えています。それでいて1人でも2人でも、誰かと共有することができるんだからこんなにありがたいことはありません。

本当にいつもありがとう。「アグロー案内 VOL.2」も着々と進んでいます。まだ配信もされていないVOL.1も楽しかったな…と今のうちにしんみりしておいてください。仮に完全な期待はずれだったとしても、視点が未来にあればすぐに気持ちを切り替えて次へと進むことができるはずです。

何しろ始まると見せかけてその前に終わる姿勢は、「アグロー案内 VOL.1」で描かれることそのままでもあるのです。

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