トロイの三角木馬さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q. 接客業をしていると、時折理不尽な「神様」が降臨するのですが、そんな時にじぶんのメンタルを保つお呪いを教えてください。(絶賛凹み中)
よくわかります。よくわかる理由をさんざん書き連ねた挙句思い直してぜんぶ削除しましたが、よくわかります。とりあえず僕の記憶にある接客は、アルスクモノイの店番を除けば、まだ10代だったころに確か天ぷら付きそうめんをコントよろしくお客さんの全身に丸ごとぶちまけてしまったうどん屋でのアルバイトが最後です。そんな僕がよく効くおまじないを知っていたら、今ごろスーパー店員としてTikTokあたりを賑わしていたに違いありません。
いつの世も、理不尽な人は一定数存在する、それは事実です。そしてなお悪いことに、下の世代の手本であるべき年代になってもまだ傍若無人であり続ける人がわりと普通にいる、これも事実です。中には子や孫のある人もいるし、いったいこれまでどうやって周囲と折り合いをつけてきたんだと絶句せずにはいられないけれども、はっきりしているのはどれだけ顰蹙を買いまくろうと、彼らは今もひとりの大人として生を全うしている、ということです。
もちろん、鉄面皮と言ってしまえばそれまでです。ただ、理不尽の権化でさえのびのびと暮らせてしまうのがこの世界なのだとしたら、実は僕らがふだん当たり前に受け止めていることこそ全然当たり前なんかではなく、むしろ奇跡にも近いように思われてくるのです。
唾を吐いたり、喚き散らしたり、身勝手な言動を繰り返しても、人は平気で生きていくことができます。にもかかわらずほぼすべての人々がそうしないのは、そう振る舞わないことの美しさと心地よさを知っているからです。ほぼすべての人々がですよ!それはもう本当に、ぜんぜん当たり前のことではない、すごいことだと今の僕はしんみり思います。
石ころにつまずいてしょんぼりしていたけれども、ふと顔を上げたら周囲に可憐な花がいっぱい咲いていることに気づいた、そんな心境ですね。
足を掬ってくる石ころは、この先もありとあらゆる道に落ちています。その代わり、世界が石ころで埋め尽くされることもありません。そしてよくよく見れば、誰も気づかないくらいの小さな花を植えてくれる人がたくさんいたことにも気づきます。花に気づいたら自分もそれに倣って小さいのを植えてみる、そんな日々です。
あと、おまじないで僕が昔から好きなのは、少なくとも2世紀から伝わっているという「アブラカダブラ(Abracadabra)」です。その語源や意味にも諸説あるらしいのだけれど、いちばん好きなのは「Disappear like this word(この言葉のように消えてなくなれ)」という解釈ですね。何と言っても詩的なのに峻烈でグッとくるものがあります。この言葉のように消えてなくなれ……とつぶやいて煙のように消え失せるのは心の傷か、はたまた理不尽な客そのものか、ためしにつぶやいてみる甲斐はありそうじゃないですか?
何の解決にもなってない気がするけれど、数多の客を代表して僕からもお礼を言わせてください。いつもありがとう!
A. 「アブラカダブラ」、おすすめです。
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その376につづく!
理不尽な神様の場合は、熟考した感じで「うーん」とかいいながら時間を食うと、案外、「こんなに考えてるからダメなのかな」と思うのか「時間かかるならいいや」って思うのかわからないけど
返信削除「あ、いいです。」と言ってくれる確率が高まります。
食い下がる方には調べたふりして「手を尽くしましたが…」というお医者さんみたいな素振りで乗り切るのがオススメです
> 匿名さん
返信削除ふふふ、百戦錬磨の処世術ですね。
僕もそれが最適解という気がします。