2020年5月26日火曜日

数年ぶりに音源を公開した話、あるいは専務ではないタカツキについて



そんなわけで、ものすごく久しぶりとなる新しい一遍が公開になりました。

どうも2016年の「ジョシュア」が最後だったっぽいので、小林大吾の音源としてはじつに4年ぶりということになります。まさかこんな活動をしているとは夢にもおもわずにどこからか流れ着いたフォロワーのみなさまが異常を感知してばたばたとフォローを外していく、そんな年月です。

このタイミングにとくに意味はありません。あったような気もしますが、今となっては思い出せません。だいたい意味のあるタイミングで発信できるような抜け目のないタイプなら、そんなタイミングは今までにいくらでもあったはずなので、仮にあったとしても大した意味はありますまい。

何しろビートができたのは、確認したら2017年の前半です。詩を書いて乗せたのは、2018年の後半です。今が2020年の初夏なので、公開までにかれこれ3年以上を要していることになります。そりゃ「小林大吾を知ってから初めての新曲」という強烈なブローを、腹にも食らおうというものです。まことに面目ありません。見つけてくれてありがとう……!


もともと数少ないライブで披露はしていたものの、あらためて音源として整えるにあたり、新たにタカツキのラップをがっつりフィーチャーしています。言わずと知れた安田タイル工業の専務です。ただ、「小林大吾」の作品に「タカツキ」がラップで参加、というのはおそらく初めてのことであり、僕としてはかつてない大きな事件のひとつであると申せましょう。

聴いてもらえるとわかりますが、凡百のラッパーをしのぐスキルがイヤというほど堪能できます。語彙の選び方、声の使い方、言葉の乗せ方、グルーヴ、どれをとっても無二のスタイルで比較できる人が思い浮かびません。あまり知られていない、もしくはだんだん忘れられつつありますが、そもそもかつてひとりで西陣レコーズ(nrecords)という音楽レーベルを立ち上げ、曲を作るだけでなく当時それほど当たり前ではなかったCDのプレスを自ら手がけ、流通にも関わり、多くの仲間を集めて何枚ものアルバムを世に送り出してきた人です。

アドレスがHotmailだ……

余技ではなくこれこそが本領だとずっと言いたかった、まさにそのラップがここにあります。(ちなみに安田タイル工業は本領とか余技とかそういうアウトプットではなく、むしろ土台となる生き方の問題です)

また、曲中のラップでは陽気なゾンビを演じてくれていますが、これはタカツキ自らの判断で、僕はラップが上がってくるまでまったく知らなかった、ということも書き加えておきましょう。満額回答どころか倍額回答を受け取ったときの驚きは言葉にできません。

おかげで、数年ぶりに公開する音源としては本当に胸を張れる、そしてしみじみ、だいぶ遠くまできたなあとおもえる感慨深い出来映えになりました。

本当にごくごくささやかなものではあるけれど、日々を彩るあれこれの、ちょっとした足しになることを心から願って。

ていうかほとんどタカツキのことしか書いてないな。


2020年5月11日月曜日

化野/ADASHINO of the dead



1
はじまりは古い

ある日ぽとりとひとつそこに落ちて
しずかに降り積もり、ひとつまたひとつ
それが山になった

飴細工みたいにきれいで、骨みたいに軽い
踏みしめるとざりざりと苦い音を立てる
放り入れる籠を背負ってざりざりと歩く

飴細工みたいにきれいで、骨みたいに軽い
それはかつて人が耳を貸したり傾けたりしたもの

昼も陽は当たらず、ただ荒涼として広い
ここはでかい声にかき消された志の半ば
砕け散ってばらまかれた形なきものの墓場


2
墓場ではゾンビがしけもくを吹かしている
その足元で三つ足の猫がまるくなって眠る

魂をもつと昔きかされた文字と音が
フェイクや美辞麗句として捨てられていく
行き着く先がここなら、そのなれの果てがゾンビだ

飴細工みたいにきれいで、骨みたいに軽い
それはかつて人が耳を貸したり傾けたりしたもの

凹んでるとゾンビはポンと肩を叩いて
「生きてりゃいいことがある」と慰めてくる
お前が言うのかよって返すのがお約束
世界はこんなにもグロテスクでやさしい


3
そのうちまた甦る日がくるだろう
歌をうたい、詩をよむときがくるだろう
それは絶やさずにきた埋み火のように
冷えきった朝を温めるだろう

飴細工みたいにきれいで、骨みたいに軽い
それはかつて人が耳を貸したり傾けたりしたもの

スコップで掬い、平らにならし
そこへまた今日もぱらぱらと降る
砕け散ってばらまかれた形なきものの墓場で
その日を待っている

ひどく前向きなあのゾンビが笑いすぎてむせる

その足元で三つ足の猫が、大きく伸びをする