2016年12月2日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その256


生麦生米なめた孫さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がなんとなくつけています)


Q: 地球最後の日に食べたいものはなんですか?


人生最後の日に何を食べるかというのは、いつの世もなかなか由々しい個人的命題のひとつです。いわゆる最後の晩餐問題ですね。摂食とは本来生命活動を維持するための行動のはずですが、これ以上維持もへったくれもない今際の際でなぜまだ食うのか、ヒトとはつくづく、妙ちきりんな生きものです。

ここではひとまず、待ち受けるのは死であると仮定しましょう。ひょっとすると火星への移住とその生活基盤がすっかり整っていて、テレビ中継かなんかで地球の最期を見届けるわりとフランクなお別れ会という可能性も考えられなくはないですが、そんなのは地球の形を模したケーキでも食べればいい話なので、考慮には入れません。

最期の最期で何を食べたいか、言い換えればこれはじぶんにとって最も幸福度の高い食べ物は何か、ということでもありましょう。たしか昔は迷わず豆腐を挙げていたとおもいますが、今はどちらかというともっとほかに美味いものがありそうなもんじゃないか、何で豆腐なんだというきもちのほうがつよいです。移り気ですね。かつてこれを話した誰かがたまたま僕の臨終のときそばにいて「そういえば豆腐って言ってたな……」とか思い出さずにいてくれることを今から祈るばかりです。豆腐じゃないなら書かなきゃいいのに、うっかり書いてしまったので念を押しておくと、今は豆腐じゃありません。後日運悪く僕の死に目に立ち会ってしまったとしても、豆腐のことは思い出さないでください。

それはまあそれとして、問題は「地球最期の日」です。もう明日はないという意味では個人的な死と大差ないですが、僕の場合はここに明確な境界線が存在します。なんとなればこれは外的な要因による強制終了であり、寿命とはちがって何かのまちがいかもしれないという可能性が最後の最後までゼロにならないからです。十中八九終わりのはずだけど、あるいは終わりじゃないかもしれない、それを終わりと決めてしまっていいものだろうか?

そしてこのケースの場合、僕の答えは昔からはっきりと決まっています。8年前に一度3年前にもう一度、都合二度ここに記したことのある会話を三たび引っぱり出すことにいたしましょう。

「今日で世界も終わりだね、お母さん」
「そうらしいね」
「もう明日はないんだよ」
「そうなのかね」
「だってもう決まったことなんだよ!」
「そう、じゃしかたないね」
「悠長に朝ゴハンなんか食べてる場合じゃないでしょう!」
「いいから食べなさい」

原因がじぶんでないのなら、終わりだろうとなんだろうと、明日もあることを前提に昨日とおなじ一日を保つこと。僕にとって地球最後の日は、折にふれては語ってきたキープレフトの問題でもあるのです。

A: いつもどおりの、具体的にはごはんと味噌汁、あとは冷蔵庫にある常備菜と果物です。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その257につづく!

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