2016年11月25日金曜日

声がにじんで染めていく、アクアリウムな夜のこと


6日もすぎて今さら何言ってやがるとお思いでしょうが、先週の土曜にあったMother Terecoとのライブセッション@あざみ野アートフォーラムにお越しくださったみなさま、どうもありがとう!

しかし考えてみれば結婚式だって挙げた翌日よりは何十年もたってからしみじみと振り返ったりするものだし、それでなくとも十数年ろくすっぽライブをしてこなかった男があろうことかセッションに参加する、半ばアクシデント的な機会でもあったわけだから、これくらいの時間をおいておもむろに浸り出すのがむしろ正道と申せましょう。あえて言い出すまでもない結論から申せばたいへん幸せなひとときでありました。観てもらえて本当に本当によかった。


ホールの中央にこしらえたステージを客席がぐるりと取り囲み、小粋なサウンドシステムによってどこからともなく音が浮かび上がる空間は、プレイヤーであると同時にマニピュレーターでもあり、奏でるというよりはむしろ音を紡いでいく電子音楽ユニットMother Terecoにとって、これ以上ないほどうってつけの舞台だったとおもいます。

それはさながら、巨大な水槽に身を沈めるような体験だったのです。じぶんの声と言葉が水槽を満たした音のなかで滲むように広がり、染めていく感覚を幸福と言わずに何と言おう。オントローロとはまたちがった視聴覚言語アミューズメントをお送りできて、僕としてはもう何も言うことはありません。こんな機会が、どうかもう一度くらい巡ってきますように。

セッションで披露したのは以下の4曲です。

1. 二度ふれる前に消えてなくなれ
2. 手漕ぎボート
3. 鉄工所の夜
4. 水茎と徒花

改めて見ても唖然とするほど渋いチョイスですね。でもこれ、タイトルから浮かびそうなイメージと実際のセッションでは天と地ほどの開きがあります。僕もこれをやりたいと言われて、まさかあんなひとつなぎの世界に結実するとは夢にも思いませなんだ。とりわけ「二度ふれる前に〜」の全知全能感たるや……。オリジナルの立つ瀬はもはやどこにもありません。

検索してもまだあまり情報の出てこないMother Terecoですが、2017年の前半には彼ら初のアルバムがリリースされるようです。きっとあちこちでその名を目にすることになりましょう。こんなおっさんでは添える花にもなりゃしないけれど、あの夜、あの空間、あの水槽でいっしょにすごしたひとときが、すこしでも何かの足しになっていることを心から願うばかりです。

そしてあのアクアリウムな一夜を糧に、わたくしはまたオントローロへとまいりましょう。


この日はまた、土浦からビリヤードの玉みたいなドライビングテクを駆使しながら猛スピードで駆けつけてくれたtotoさんと、声とその力について夜更けまでしんみりと語らった貴重な夜でもありました。差し向かいでゆっくり話せる機会もそうそうないから、うれしかった!

2016年11月20日日曜日

「オントローロ 11」予約受付のお知らせ


おそらく冥土の土産レベルの機会で次があるとすればおそらく来世になる、というのはもちろん僕がそもそもろくすっぽ活動をしていないからですが、前夜のライブセッション with Mother Tereco @あざみ野を終え、2016年もいよいよ大詰めを迎えようとしております。直に年の瀬がきて、どたどたと年も明け、春にはまた出会いと別れがあり、夏がきたとおもったらもう冬支度、またたく間に季節が飛び去って、気づけば黄泉路も目の前です。それほどの甲斐はない代わりに格別後悔もない人生であったと今から述懐しておきますが、それはさておきオントローロ、11でございます。生きろ!


オントローロ 11&12 @渋谷 Flying Books
11:2016/12/11(日)
12:2016/12/25(日)※12/04より受付
open: 19:00 start: 19:30
fee: ¥2,500(1ドリンク付) 各40名

12:00になるとお申し込みが可能になります。

※「12」の受付は12月04日(日)からです。

※「11」と「12」の内容は100パーセント同じです。できればどちらか1日をお選びくださいませ。

※仮に完売となっても、何らかの事情で撤回される場合があります(というか毎回かならずひとつふたつ空きが出ます)。その際はおそらくPassMarketの表示が「チケットを申し込む」に戻りますので、ときどきチェックしてみてください。


オントローロとは、読む(詠む)ことに主眼を置いた手のひらサイズの独演会です。またこれまで人前に出ることをひたすら避けつづけてきたKBDGがゴマ粒ほどしかないやる気を十数年かけてこつこつ絞って貯めた一瓶の特上ゴマ油でもあります。

ここでしか味わうことのできない豊潤な珍味をぜひ一度、ご賞味あそばせ!

2016年11月13日日曜日

KBDGプレゼンツ「オントローロ 11 & 12」のお知らせ


もともとオントローロ限定(少なくとも先行)で披露するために用意した「コインランドリーの悪魔/tout va bien」ですが、これはアメリカ大統領選で民主党と共和党の指名候補が決定したそのすこし後に書いたものです。なのでたまたまではなく、初めから明確にこのことを念頭に置いています。タイムリーにおもわれるかもしれないけれど、世界の見方を根底から揺さぶられるという点では夏の時点ですでにはっきりしていたのです。

僕が絶句したのは品格とか思想うんぬんよりも、むしろ「対立する両者がどちらも白黒なら白の側にいると信じている」ことでした。どう考えても正反対の結果にしかならないように見えるのに、互いに相手のほうが黒だと思いこんでいるのです。そんなのちょっと考えたらわかりそうなもんじゃないかと言いたいところだけれど、向こうからしたら「それはこっちのせりふだよ」ということにおそらくなりましょう。驚きというなら、てっきり普遍的だとばかりおもっていたシンプルな価値観が呆気にとられるほど共有されていなかった事実ほど、驚かされることはありません。

僕は今、あちこちで見受けられる「衝撃」という表現にちいさな棘のような引っかかりを覚えます。過半数がAという結果を望んだわけだからむしろ一般的な結論と言ってもいいはずなのに、なぜ衝撃と表されるんだろう?それはいったいどんな人々にとって意外なことなのか?正しいとおもえないからこそ衝撃なわけだけど、だとしたらなぜその正しさが共有されていなかったんだろう?そもそもその価値観は本当に普遍的なものなのか?

そうあってほしい、と僕はもちろんおもいます。そうでないとはおもわない。でも頭ごなしに否定すれば、返ってくるのは同じ頭ごなしの否定だけです。だからまずはじぶんの立場が白であるという無意識の前提を手放して、グレーからまた始めたい。

「コインランドリーの悪魔/tout va bien」はそんな思いの元に書かれています。


そんな御託はまあさておくとして(よいしょ)、ビートに乗せたほうが断然すてきと巷で大評判(当社比)の「コインランドリーの悪魔/tout va bien」が聴ける、唯一にして今年最後の機会、オントローロ11&12のお知らせです。


オントローロ 11 & 12
@渋谷 Flying Books

11:  2016/12/11(日) 予約受付 11/20 12:00〜
12:  2016/12/25(日) 予約受付 12/04 12:00〜
以下、両日とも同じ
open:19:00 start:19:30
fee ¥2,500(1ドリンク付) 各40名

※「11」と「12」の内容は100パーセント同じです。

・予約の方法は、Passmarketになります。
・予約の受付開始は「11」が 11月20日(日)の正午から、「12」が 12月04日(日)の正午からです。
・受付開始日の当日、このブログの最新エントリにリンクを貼りますので、そちらからお申し込みくださいませ。


オントローロとは、読む(詠む)ことに主軸を置いたライブパフォーマンスに、あることないこと混ぜ込んでこねくり回したあげくドスンとひとつの固まりにまとめた餅みたいな独演会です。どちらかというと曲目よりもこのあることないことのほうにオントローロらしさが詰まっています。

参考までに、去年の年末にあった「06」終了時のエントリはこちら→「全裸はいいけど顔出しはNG的な線引きの話を歳末に」

何より今回は片方がよりによってクリスマスです。サンタとか聖夜とかきっと君は来ないとかまじどうでもいいという人にこそうってつけの過ごし方と申せましょう。

ぜひこの機会に押し合いへし合いしながら、つんのめるようにしておいでませ!

2016年11月10日木曜日

コインランドリーの悪魔/tout va bien


踏切の鐘が遠くからくぐもって聞こえる
終電が息をひそめて行き過ぎる
薄く張った静寂をやぶらないように
口に指をあててタタンタタンと遠ざかる

つい昨日
世界が変わった
それ以外は万事OK
いつもどおり
ごろつきは町角で
酔っぱらいの袖を引き
野良猫が大きく
伸びをして歩き去る

千年前と同じ月明かりの下で
無人の店が眠らずにぽつんと開いている
乾燥機がワンコインで15分と書いてある

24/7/365

男がひとり、ドブに落ちたような
困惑した顔つきで首をかしげながら
くたびれて見分けがつかなくなったあれとこれを
まるめてコインランドリーに放りこんでいる

壁に沿ってずらりと並んだ乾燥機は
バカでかいフルレンジスピーカーに似ている
見ていると腹にくる低音をひとつ、ボンと
今にも鳴らしてくれそうな気がしてくる

古い木のスツール
足もとには缶から
何しろ普段からあまり
使われてないから
テーブルの灰皿に
寝転がる吸い殻
舶来、てかハイカラな
見慣れない銘柄

つい昨日
世界が変わった
それ以外は万事OK
いつもどおり
例の店は変わらず
ぽつんと開いている

24/7/365

悪魔がひとり、ドブに落ちたような
困惑した顔つきで首をかしげながら
くたびれて見分けがつかなくなった善と悪を
まるめてコインランドリーに放りこんでいる

どっちがどっちだかわからなくなるなんて
これ以上悪魔としてやっていく甲斐はまだあるのか?

「知ったことか、くそくらえだ、好きにしたらいい
こっちのテリトリーまでグレーに塗りやがって」

夜は今日も規律を重んじるマフィアの
ボスみたいな態度で昏々とふける

宵の雨で冷えたアスファルトにやわらかな
苔が絨毯を転がすように敷かれていく

つい昨日
世界が変わった
それ以外は万事OK
いつもどおり

これは録音された音声ガイダンス
子守唄代わりになる気の利いたサービス

男がひとり、ドブに落ちたような
困惑した顔つきで首をかしげながら
くたびれて見分けがつかなくなったあれとこれを
まるめてコインランドリーに放りこんでいる


2016年11月7日月曜日

形からみるテレビの歴史とその未来予想図


かつてテレビはブラウン管という一抱えもある大仰な装置が必要だったので、その形はほぼ箱でした。今は液晶だから、言ってみれば板です。僕は地デジを機にテレビを観なくなってしまったので最近の事情にはそれほど明るくない、というか率直に言って全然知りませんが、その厚みが日に日に薄くなっているだろうことは容易に想像がつきます。そのうち部屋の壁の好きな位置にぺたりと貼れるようになるのはまちがいありません。

スマホやタブレットでディスプレイをひとり1枚ずつ所有する現代にあっては、形状どころかテレビという概念そのものが薄くなりつつあるような気がしないでもないですが、それはまあともかくテレビの形とその変遷をざっくり図にするとこうなります。


療養中の友人にお見舞いとして千羽テレビを折る日もそう遠くないはずです。

2016年11月4日金曜日

タマフル缶バッジ@ラジフェス2016のこと


つい先日のこと、とあるライブハウスに「小数点花手鑑」の特装版を持っているという、たいへん貴重な青年がいたのです。

注意:スターウォーズ的に言うと「A long time ago in a galaxy far, far away……」くらい古い話なので、ひょっとするとご存じないかもわかりませんが「小数点花手鑑」というのは、小林大吾というこれまた検索してもろくにひっかかりもしない地味な中年男性が世界に向けてほそぼそとリリースした4枚目に当たる音楽アルバムです。歌は入っていません。


そんなレアアイテムをお持ちだなんて、それはさすがにちょっとしたことだとおもうし、四葉のクローバーをみつけたようなよろこびもあってあれこれお話をしていたところ

「ツイッターとかやってないんですか」
「一応、やってるんだけど、でも……」
「えー!まじですか!検索します!」
「ごめん、検索しても出てこないかも……」
「ライブとかやらないんですか」
「あ、えーと去年からちょこちょこ……」
「まじすか!どっかで告知してます?」
「うん、ブログで……」

これはまあ、このブログが普段いかに情報の発信地としての用を成していないか、やんなるほど如実に表している格好の例といえましょう。実際、2007年まで遡ってみても、それらしい活動履歴を記してあることのほうがよほど少ないのです。「需要はあるのか?」と問われれば「そのへんの石ころだって需要があるから転がってるわけじゃないだろ!」と論点を若干ずらしながら逆ギレするほかありません。

詩人を名乗る男が詩人らしい活動をせずに何をするかというのはもちろん、考え出すとキリがない難しい問題です。しかししいていえば毎週土曜日にTBSラジオで絶賛オンエア中である「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」、通称タマフルが今週末の「ラジフェス2016」@赤坂サカスにて販売する缶バッジをデザインしたりしています。

なぜだかは僕もよくわかりません。

ちょうどオントローロの「09」と「10」の間の時期だったとおもいますが、経緯はどうあれこのときほどタマフルリスナーのことを恋い焦がれんばかりに考えまくっていた男は僕を置いてほかになかったはずです。

最初にポンと思い浮かんだのはこれだったのですが



冷静に考えてみるとこれはタマフル愛というより宇多丸さんに対する僕の個人的な愛情表現にすぎません。これではダメだ……身につけるのはリスナーなのだから、リスナー同士がお互いに一目で通じ合うような、そしてできれば連帯感をより高めてくれるようなものでなくてはダメだ……!とひたすらリスナー視点を突き詰めた結果、12種類の図案をこしらえ、そこからさらに厳選された5種類がぶじ、缶バッジと相成ったのです。


図案は当日のお楽しみということなので、ここで流出するような野暮はいたしますまい。でもタマフルリスナーであればきっとご満足いただける仕上がりになっているはずです。問題はタマフルリスナーがこのブログを訪れることはたぶんないということですが、そんな身もふたもない現実はこの際脇にうっちゃっておきましょう。どうかリスナーのみなさまがほくそ笑んでくれますように。

使われなかったラフ図案