2016年6月19日日曜日

トマトに砂糖をかけて異端審問にかけられる話


常識とはいつ、どの時点で常識になるのか、具体的には何人で共有したら常識になるのか、考えているのです。

ここで言う常識とは、厳密にどうこうと規定されるものではなく、「ふつうならこうする、あるいはしない」とか「みんな知ってる」とかそれくらいのふわっとした認識のことです。

たとえば僕はちいさいころ、トマトに砂糖をかけて食べるのが大好きだったけれども、これはあまり一般的ではないばかりか、下手をすると正気を疑われる、もしくは異端審問で魔女として糾弾されるレベルの食べ方であるらしいことを、かなり大きくなってから知りました。

今は砂糖をかけません。非常識だからではなく、とくに食べたいとおもわないからです。でも今でもおいしく食べることはできます。ぜんぜん抵抗はありません。ただ、言われてみれば胡瓜とかレタスに砂糖をかけて食べたりはしないから、みんなが眉をひそめるきもちもわかる。

「ははあ、それはたしかに珍しい」とおもいましたか?よろしい、では「ふつうはトマトに砂糖をかけて食べたりしない」を一般的な認識だとしましょう。もちろん僕も今では、どうやらそうらしいという認識で異存ありません。

しかし待てよ、と僕が立ち止まるのはここです。厳密に検証したわけでもないのに、なぜ僕はそれを「ふつう」だと考えてるんだろう?そしてなぜみんなそれを「珍しい」と考えるんだろう?

僕がじぶんの嗜好を異端であるらしいと考えるようになったのはたぶん、何かの折に「えー、変わってるね」と指摘されたからです。ぜんぜんおぼえてないけど、ひょっとしたらその場に数人がいて、満場一致で「それはない」と認定されたのかもしれない。そういう状況であれば「あ、変だったのか」と認識を改めたとしてもふしぎではない。

でも、考えてみればたかだか数人での話です。さらにその根拠と言ったら、「我が家ではやらない」という程度のことにすぎません。一般的な家庭の人数と言ったらそれもまた数人が関の山です。

だとすればここで言う「ふつう」とか「常識」は個々の家庭における習慣とかあり方が基準になっていることになります。それはまあ、そうだろうなと僕もおもう。しかし大抵の人がそんな、統計的に有意とはとても言えない少人数での共通認識を根拠にふつうとか常識とか言い切っているのだとしたら、これほど乱暴で雑な話はないんじゃないのかという気がしてきます。そして(ここがいちばん声を大にして言いたいところですが)、なぜみんな我が家のほうがふつうであると盲目的に考えてしまうのか?

僕が言いたいのは、ふつうとか常識が、僕らが何となく考えるよりもはるかに当てにならない根拠に基づいている、ということです。それはただ、「じぶんの属するごくごく小規模なコミュニティで問題になったことはない」というだけのことにすぎません。ある事柄をなぜふつうと捉えるのか具体的に突っ込んで考えたとき、「え、だってそうでしょ」とか「絶対みんなそう言うよ」とか、まったく理由になっていない理由で済まさずにきちんと考えている人が果たしているだろうか?

ビジネスとかテーブルマナーなんかにしても同じです。こういう場合はこうすべきというひとつの指針があるとき、それが常識であることを「そう教わったから」とか「昔からそう決まってる」といったぜんぜん頼りにならない印象を抜きに万人が納得できるかたちで、だからこうしなくてはいけないと説明できる人がどれくらいいるだろう?

礼を失することがないように気を配る姿勢は、どうあれ全力で支持したいし、仮にちょっとおかしなところがあったとしても基本的にはそれがすべてです。でもそこに「こうあるべきであって、そうでないのは非常識」という強いバイアスがかかると、途端にちょっと待てと言いたくなります。なんとなれば、実際に相手がどう受け止めるかよりも、杓子定規の理屈が先にくることになるからです。常識とはみんながきもちよく過ごすための、こう言ってよければ輪郭のぼんやりした、ひとつの大らかな目安でしかないのに、それが本末転倒でなくて何だというのか?

要は「そのふつうは、じっさいに何人の同意を得たわけ?」ということですね。

常識なんてくそくらえだと目の敵にしていた時期もあるけれど、実のところそんな意気軒昂に吠え立てる甲斐もないというか、人にたとえたらむしろ好々爺に近いことに気づいて、今さらながらに「あら〜」と脱力しつつ、せんべいをぱりぱりかじる日曜の夜です。

なんでもそうだけど、「果たしてそうかな……?(ニヤリ)」とするくらいの余裕と視点は持っていたいとおもう。

4 件のコメント:

  1. いつも楽しく読ませてもらってます(^ ^)多数決が多い世の中で、常識=正解ではないと私も思えるようになってきました。一歩引いて物事をみれる余裕が常に欲しいですね〜。

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  2. もしくは、自分の中の常識を「新常識だよ!」と言えるくらいの図太い神経も、たまには欲しいかな〜。

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  3. 私も子どもの頃トマトに砂糖かけてました!
    母に教わった食べ方だったのですが、大きくなってから母にそのことを話したら、
    「そんな食べ方教えた覚えないわよ!」と言われてしまいました。

    何でもかんでも多数派が正しいとされてしまう世の中は面白くないですよね。

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  4. > チムチムチェリーさん

    そうですね、すくなくとも少数派のことを
    忘れずにはいたいよなと僕もおもいます。
    じぶんが多数派に与することもいっぱいあるし。


    > 匿名さん

    僕も、と言っていいのかわかりませんが
    母から教わったはずのサラダのレシピを
    知らないと言われて教えたことがあります。
    そしてまるで初めて食べたかのように
    「へー、おいしいね」と言われました。

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