ボロは着ててもそぼろは2色さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q: 今までで一番「最悪」だった年越しについて教えて下さい。
年越しと言っていいのかどうかちょっと迷うところですが、最悪の正月なら記憶にあります。
僕はホンダのリトルカブに「水駒(みずこま)」と名付けてかれこれ十数年ぶいぶいと乗り回していますが、その前はヤマハのYB-1という50ccのバイクを愛車にしていました。スクーターともカブともちがう、普通のバイクと同じまたがって乗るネイキッドタイプの縮小版で、とても原付には見えないその立派な風采といい、デザインといい、僕はこれがすごくすごく好きでした。
そのころのお話です。
といっても元旦のことなので、活写できるようなことは何ひとつありません。アパートの部屋でひとり、実家にも帰らず、初詣にも行かず、こたつにもぐりこみ、テレビをつけっぱなしにして(このころはまだテレビがありました)、お腹が空いたら餅でも焼いて食いたいところだけれど買ってないから餅もない、のでしかたなしに源氏パイをかじったりしていただけです。部屋の隅にカメラを取り付けて朝から晩まで観察したとしても、トイレに立ったりコーヒーを淹れたりする以外はほぼ静止画のように見えたことでしょう。
しかしその年はすこし様子がちがいました。例年なら正月は水を打ったように静まり返っているのに、珍しく往来からわいわいと賑やかな声が聞こえてきます。中学生以上成人未満とおもわれる5、6人の少年がアパートの前でたむろしているような印象です。何だ何だうるさいやつらがいるなまったく、と眉間にしわを寄せたことを今でもよくおぼえています。
実際に彼らの姿を見たわけではありません。後になってから、そういえばそんなかんじだったと思い出しただけです。ひょっとしたら全然ちがうのかもしれない。というかそれ以前に、そもそも彼らはこの話に何の関係もないのかもしれない。僕に言えるのはただ、例年とはちょっと異なるこの小さなざわつきと、そのあとじぶんの身に降りかかったこととが、僕のなかで分かちがたく結びついているということだけです。
賑々しさはしばらくつづき、さすがに煩わしいな、と思い始めたころピタリとやみました。時間にするとたぶん15分くらいです。遠ざかっていくというよりはいきなり沈黙が訪れたようで、またわいわいとやりだす気配もありません。
とくに何かが気になったわけでもないけれど、なんとなくこたつから這い出して部屋の外に出てみました。部屋は2階で、目の前にはすっきりとしたきもちのよい青空が広がっています。アパートには隣接して車3台分の駐車場があり、階段の真下が駐輪スペースです。まだ午前中の清々しい空気を吸いこみながら階段を下りてみると、あたりは何ごともなかったようにしんとしています。
はて、と首をかしげながら階段のほうを振り返ったとき、あることに気づいて凍りつきました。
駐輪スペースにあるはずのバイクがないのです。
( ゚д゚)・・・
(つд⊂)ゴシゴシゴシ
( ゚д゚)
ここから先の記憶は、僕のなかでふっつりと途切れています。探し回ったのか、盗難届を出したのか、廃車手続きはしたのか、呆然と立ちすくんだ瞬間以降のことは何ひとつおぼえていません。そしてもちろん、と言っていいのかどうか、大好きだったYB-1の姿を見ることは二度とありませんでした。
A: 元旦にバイクが忽然と消え失せたことがあります。
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その239につづく!
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