2015年1月14日水曜日

デュシャンの「泉」が男子トイレに帰る日

1917年に発表されたマルセル・デュシャンの「」は、美術界のちゃぶ台を派手にひっくり返した歴史的作品であり、こう言ってよければ世界で一番有名な工業製品のひとつです。何しろどこからどう見てもただの便器だし、実際ただの便器だし、それ自体ある会社の既製品であってデュシャンがこしらえたものでは全然ありません。彼がしたのはこれを会社のショールームで見つけ、小脇に抱えて持ち帰り、すらすらと署名をし、作品としてのタイトルをつけたことくらいです。おまけに署名も架空の人物のものときています。人が鑑賞する作品に知らず求める創造性や独自性を爪のアカほども気に留めずにスルーするこの「泉」が当時どれほど多くの人の目を点にしたか、想像に難くありません。念には念を入れてもういちど申し上げますが、ただの男性用小便器です。100%拒絶するのも、100%賛美するのも、どちらも同じくらいバカバカしい。痛快にしてこれほど雄弁な便器はおそらくこの先二度と現れないだろうとおもう。

photograph by Alfred Stieglitz, 1917

便器を本来あるべき場所と用途から切り離して作品にしたのがデュシャンの「泉」ですが、これと同じ便器を本来あるべき場所と用途に戻した「作品」が東京にあるのをご存知ですか。

牛波(Niu-Bo)/泉水(1993)



東京都板橋区立美術館の男性用トイレにあります。もちろん、ふつうに使用可能です。ちょっと古めかしいだけでただの便器だとわかっていながら、用を足すのになんとなく二の足を踏んでしまうあたり、観念とはまったくおそろしいものだと思わずにはいられません。デュシャンの「泉」は量産された工業製品なのでこれまでにそれこそほいほい複製されたはずですが、その意味をふまえた上でトイレに設置した例って他にもあるんだろうか?

何より粋だと感服するのは、この作品が美術館のフックとして特に前面に打ち出されてはいない点です。じつにさりげなく、というか明らかにひとつだけ骨董みたいな便器があるから扉を開ければいやでも目につくんだけど、逆に言えばもよおさないと気づかないし、当然その性質上、女性は目にすることができません。人の目に触れることを前提にした「作品」なのに鑑賞者の1/2を強制的に排除してしまう奇妙なジレンマもさることながら、これを公立の美術館が施設の一部にしれっと組みこんで多くを語らずにいるというのは、それ自体デュシャンが投じた一石に対するひとつの誠実な返答だとおもうし、おそらくここには見た目以上の大きな意義があります。そしてまたそれゆえにこそ信頼に足る美術館であるとも申せましょう。美術に興味があっておしっこの近い男性諸君はぜひとも板橋区立美術館で小用を足してきていただきたい。かつてない排泄体験にふるえます。ぷるっと。

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