2014年10月17日金曜日

ランプの精にお願いしようと試みること


「もし魔法のランプを手に入れたら」というのは僕が昔から好んで夢想する仮定のひとつです。ここで言う魔法のランプというのはもちろん、こすると精霊がでてきて願いを叶えてくれる、千夜一夜物語のアレですね。まさか中年になっても変わらずそんなことを考えているなんて少年時代の僕は想像もしてなかったけれど、いまだにふとした拍子に「あ、これランプの精のToDoリストに入れよう」と考えることがあります。

叶えてもらえる願いごとは3つです。「アラジンと魔法のランプ」ではたしか願いごとに制限がなかったはずだから、なぜそんなルールになっているのかは僕にもよくわからない。でも僕のなかでは昔からそういうことになっていて、だからリストの項目も際限なく増えたりはせず、その都度更新されることになっています。3つのうちいちばん優先度の低いものと置き換えられるわけですね。

ちいさいころは「お金もちになる」とか「願いごとを4つにする」とか「透明人間になる」とか「宙に浮く」とか、誰でも一度は考えそうなシンプルな欲望に忠実なことばかり考えていたけれど(「空を飛ぶ」ではなく「宙に浮く」なのは僕が高所恐怖症だからです)、長いこと検討しつづけているうちに、だんだん、何というかこう、「それをしたからといって特に何かを得られるわけではない」ような願いごとが増えてきました。「電気をパチンと消すように昼を夜にしてみたい」とか、「雨雲に棒をつっこんでぐるぐるかき回したい」とか、「地球を貫通する穴をあけてみたい」とか、「新聞の1面にどうでもいいニュース(「子猫、生まれる」みたいな)をでかでかと載せたい」とか、そういうのです。心境の変化というより、一度願ったことを除外しながらリストの更新を数十年つづければそりゃまあ自然とそうもなりましょう。何しろ大抵のことはすでに願い尽くしてしまっているのです。叶ったわけでもないのに「これは前にも願ったからなあ」と打ち消し線を引くのだから妙と言えば妙だけれど、それはもう言ってもしかたがありますまい。

いま現在リストに載っている3つの願いごとのうち、ひとつはここ数年ずっと不動の座を占めています。「交差点の名前を好きなときに好きに変えたい」というのがそれです。信号に表示された交差点のプレートを目にするといつも思い出します。土地そのものとちがって交差点はどちらかといえば車とバイクのための目印になればよいのだから、もっと自由につけたらいいじゃないかと個人的には思われてなりません。「銀木犀」とか「からたち」みたいに植物の名前もいいし、「ツグミ」とか「丹頂鶴」とか鳥の名前なんかもいいし、なんなら「リンパ球」とか「艦これ」とか「皐月賞」とか「魚の目」とか「今川焼」とか「3年B組」とか「猪口才な」とか「西高東低」とか「キャトル・ミューティレーション」とか「ちがうの!誤解なの!」とか「Wi-Fi」とか「2000円ポッキリ」とか「(*゚∀゚)=3」とか「鈴懸の木の道で『君の微笑みを夢に見る』と言ってしまったら僕たちの関係はどう変わっ てしまうのか、僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの」とかそんな交差点があったっていいじゃないですか?誰も困らないし、インパクトは絶大だし、味の素スタジアムみたいにネーミングライツ(施設命名権)をやりとりするくらいなら交差点こそその対象にしたほうがよっぽど費用対効果が大きそうじゃないか、いいことばっかりだ、なぜやらないんだ、ええい融通の利かないやつらめ、もういい、こうなったら魔法のランプで目に物見せてくれるわ、あとで吠え面かくなよこのすっとこどっこい、お願い出てきてランプの精!

ごしごし(ランプをこする)

ボワン

「出てきてやったぞ、のこる願いはあと2つだ」

ボワン


 ( ゚д゚) エ?


どうでもいいけど前回この話をするのになぜ住所表記の話から始めたのか、そこからここにどうつなげるつもりだったのか、ぜんぜん思い出せない。

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