2013年8月10日土曜日

人体の神秘と真夏の夜の夢であってほしい話



エアコンのない密室で半裸になりながら、死を覚悟でレコーディングしていたのです。僕はもともと汗をかきにくくて、あまり代謝が良くないほうなのだけれど、この日はさすがに大汗をかきました。頭のてっぺんから爪先まで、大げさでも何でもなくバケツの水をかぶったような状態で、腕を下ろすと指からぽとぽと滴る始末です。肉体労働に明け暮れていたころを思い返しても、これほどずぶ濡れになった記憶はないから、さすがにこれは尋常ならざる事態と言わねばなりますまい。ふだんの汗腺が森田童子の「ぼくたちの失敗」だとすると、この日の汗腺はスチャダラパーの「ジゴロ7」です。何もムリにそんなたとえかたをしなくたっていいようなものだけど、ギャップの大きさはわかってもらえるだろうか?

でもつらいかと言ったらこれが逆で、ぜんぜん暑くない。というのは言いすぎですが、でもどちらかといえばさわやかです。きもちがいい、と言ってもいい。何しろ全身ずぶ濡れだから、ただ動くだけでもずいぶんすずしく感じられます。たぶん、サウナみたいな状態になってたんだとおもう。人体の神秘ここに極まれりです。死ぬどころか、かえって生き返ってしまった。アルバムの進捗状況については目をそらしておきましょう。


それでおもいだした怖い話がひとつあります。つい最近のできごとです。

夜中の2時だか3時だったとおもうけど、マンションの屋上で一服していたのです。丑三つ時もとうにすぎて、街はしずまり返っています。睡魔もひと仕事終えて、ヒマになるような時間帯です。

そこへとつぜん、バフンバフンと何かをはたくような音がひびきます。座布団とか、そんなものかもしれません。昼間にベランダから聞こえるような、そんな音ですがしかし真夜中であることを考えるといささか胡散です。しかも遠慮がちというより、八つ当たりにちかいような激しさが感じられます。おまけに始まったとおもったら延々つづいて、一向にやむ気配がない。

夜にしか家事のできない人もいるから、多少の物音に首をかしげるつもりはありません。でもそれにしては長いし、聞いていてつい「大丈夫ですか?」と声をかけたくなるくらい、勢いというか雰囲気が剣呑です。すくなくとも夜中の3時というのは全力で布団をはたく時間帯ではない。

音はマンションの東側から聞こえてきます。東側にはベランダがあって、隣接したらせん状の外階段を降りると部分的にその様子をうかがえる角度があります。この階段をいけば音にも近づきそうだし、ひょっとしたら何かわかるかもしれない。

そうおもって外階段に通じる扉をあけると、いきなり音が大きくなりました。じっさいに大きくなったというより、音にぐっと近づいたらしい。疑う余地はありません。音の出所はひとつ階下のベランダです。しかし最初に気づいてからもうだいぶたつというのに、まだはたきつづけているのだから根気のいいことだとおもう。

そしてよくよく考えてみたら、この階の住人は顔を知っています。名前までは知らないけど、日ごろから挨拶を交わすことはある男性です。ああなんだ、あの人が座布団を、そうか、そんならべつに気にすることもないか。真夜中だけど。とそれまで何だかよくわからなかった不安の解消に胸を撫で下ろし、階段からなにげなくベランダのほうに目をやると、思いもよらない光景が目に飛びこんできて心臓が止まりそうになりました。一瞬気がゆるんだぶん、却ってダメージが大きくなったんだとおもう。あんまりびっくりして僕もいきおい階段に伏せるような格好になりました。

何しろ、彼は全裸だったのです。

たまたまこっちに尻を向けていたから鉢合わせという最悪の結果はまぬがれたけれども、それにしてもこんなにばつの悪い思いをしたのはかつて覚えがありません。トカゲのように這いつくばったまま、息を止めてこっそりと外階段からマンションの屋内へと逃げ戻るわたくしをよそに、バフンバフンという例の物音はまだあたりに響いています。はたいていたのが何だったのかも結局わからずじまいです。とにかく見てはいけないものを見てしまった後ろめたさと、情けなさと申し訳なさみたいなきもちが渾然としてそれどころではありません。

怖くない?

ふむ、たしかにおっしゃるとおりです。でもちょっと視点を切り替えてみてください。とっぷりと更けた夜中の3時、だれもいないと安心して全裸のままベランダに出ているとき、それをすぐそばで見ているふたつの目があったとしたら?


ギャアアア!


いや、そのふたつの目は僕なんですけども。

もし彼が気づいていたら叫び出さずにはいられないくらい怖かっただろう、という話です。


教訓:真夜中に布団をはたくときはなるべく控えめに、かつ短時間ですませましょう。そして全裸は部屋のなか限定でおねがいします。


それにしてもなんか全体的にいろいろとギリギリな話だとおもう。


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