キューティーハニーローストピーナッツさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q. 案外大多数の人が経験済みなんではないかと思うんですけど、桃なんですけど、可愛らしい容姿と気持ちいい触り心地に、つい、ほおずりしてしまった事がありました。後の惨事については、桃、と始めに出た時点で想像が付く事だとは思われますが、 ちくちくしてとても痛くて、後処理が大変でした。あの産毛は、何故あるんですか。桃の産毛は、毛虫の毛的な感じですか、バラの棘的な感じですか。
旬ですね。水菓子といったら、とりわけ夏は真っ先に桃が思い浮かびます。みずみずしく甘やか、繊細かつやわらか、木に生る月とでもいうような肌の白さは目もあやで、いとけないなりとうらはらの色っぽさにも品があり、おまけにすこし冷やしたのをつるりとすべりこませるあののどごしときたら死んでもないのによみがえる涼しさ、いやまったく、他に比べるものがありません。
むかし読んだ西遊記で、溺れた人を助けるために八戒が人工呼吸をしようとしたら三蔵に「いけない」と止められる場面がありました。「おまえは肉を食うから息が穢れている。悟空は桃や木の実を食うから息が清らかだ。悟空にやらせなさい」と言うのです。
桃や木の実がどうこうというより、肉を食わないから清らかといういかにも坊さんらしい言い草なんだけれど、以来ずっと僕の脳裏には「桃は清らか」というイメージが刻みこまれています。
そんな個人的な印象はさておき、桃の産毛によるごくごく小規模な惨事については、たしかに大多数の人が一度は必ず通る道といってよいでしょう。もちろん僕にもおぼえがあります。ともすると今もうっかりためいきまじりに「ういやつじゃ」と頬を寄せそうになるくらいです。
しかしこれがたとえば似て非なる果実であるスモモだったりすると、こうはなりません。初孫に対する祖父母のようにメロメロのデレデレでいないいないばあ的なことはまずないし、どちらかといえば毅然とした態度で「うむ、そうか。精進するがいい」ときっぱり一線を引くことができます。桃とちがってスモモにはつい多めにお小遣いをあげてしまうこともないでしょう。
桃とスモモでは大きさがだいぶちがいますが、仮にスモモが桃と同じサイズに育ったとしたらどうだろうか?態度は変わるだろうか?
いや、変わりますまい。中島みゆきの言葉を借りるなら、カモメはカモメであり、スモモはスモモです。桃にはなれない。
してみると桃を桃たらしめているところのものは、やはりあの産毛ということに相成りましょう。無垢な愛らしさを演出するのが産毛なら、人心を惑わし、メロメロに堕せしめるのも、産毛です。裏を返せば、この産毛にこそ僕らの目は眩まされているのです。
バラとはこの点ではっきりと異なります。かの花においてトゲはあくまで花を引き立てるものであり、抜いてもその美しさが劇的に損なわれることはありません。しかし桃から産毛をとりのぞけばその愛らしさが半減するのは誰の目にも明らかです。またバラのトゲとはちがい、ほおずり程度であっさり抜けてしまうことにも注意してください。
もうおわかりですね?僕らの心を鷲掴みにしながら、甘くみると痛い目に遭い、はがれてしまえばそれまでの熱もさめる……秘め事を引ん剥くようでどうも気が引けますが、言うなれば
A. あれは化けの皮なのです。
ちくちくして後処理が大変なのもむべなるかなと言わねばなりますまい。
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その172につづく!
ふと、あのうぶげは髭剃りで剃れるのかな、と思いました。
返信削除> 赤舌さん
返信削除いまやカミソリも5枚刃ですからねえ。
でも剃ると濃くなるかもしれないですよ。