2013年7月5日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その159b



愛という名のモツ煮さんからの質問のつづきです。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: 聞き方が失礼かも知れませんが、ダイゴさんは褒められて伸びるタイプですか?ぼくは褒められると、これでいいんだ、と手を抜いてしまいます。


いかにも、僕はほめられて伸びるたちです。でも手を抜く云々というのはまたちょっとべつの話ですね。手を抜いている自覚があるのだとすれば、それはまだ先があるとわかっているにもかかわらず手を止めるということだし、はっきり言ってしまえばそこには主体性がないようにも見受けられます。与えられた課題を望まれるかたちで事務的にこなすような印象です。厳しく叱咤されたほうが伸びる、とは書いてありませんがもしそういうことなのだとしたらそれも、ひょっとしたらただ相手が納得しないから手を止めないだけのことなのかもしれません。そうなるとこれはもうほめられたらとか叩かれたらという話ではなくて、100%じぶんの問題になってきますよね。「彼は絶賛した。で、君自身はどうなんだ?ということです。

くりかえしになりますが、僕はほめられて伸びるたちです。またそれゆえに、ほめられて伸びない人なんてどこにもいない、と固く信じる男でもあります。

でもおだてられてのぼせることはあんまりありません。おだてるというのはこの場合「高純度の肯定」を意味していますが、これは実際のところ本心とは切り離して使うことのできるジョーカーみたいなカードだからです。ほめることが不得手な人はここをごっちゃにしていることが多くて、しかも本人はほめてるつもりだから、時として妙なすれちがいを生むことがあります。「いいね」とか「すごいね」というのは対象を問わない点からして、むしろ「承認」に近い。好意的な、と付け加えてもいいけれど、いずれにせよ似て非なるものです。

また、ほめる、というのはそれ自体が報酬ではありません。たとえて言うならそれは、マラソンにおける給水所のドリンクみたいなものです。さらに先へ進むためのブースター的な意味を持っている必要があります。したがって、もし相手のモチベーションがぴくりとも反応しなかったり、「これでいいのか」とペースダウンするような結果を招くとしたら、それはそもそもほめたことにはならないのです。

そしてそうならないためにはまず大前提として、どちらも信頼に応えようとする姿勢がなくてはいけません。あるいは面識のない人同士なら、信頼されていると仮定してそれに応える姿勢です。それは「応える」ものであって、「与える」ものではない。「承認」と大きく異なる点があるとすればここです。与えられたらそれで終わってしまうかもしれないけれど、応えてもらえたらまたそれに応えたくなるでしょう?なりませんか?ほめられて伸びない人なんてどこにもいない、と僕が信じる所以もここにあります。剃れば濃くなる体毛みたいな例も否定できないですけど。

要は応えたいとおもえるかどうかだとおもうんですよね。見返してやりたい、とかではなくて。ネガティブよりはポジティブのほうが、どうしたってよい結果を生むとおもうし、すくなくとも前を向いて歩く以上はそうおもいたい、というのが僕のスタンスです。自戒もこめて。


A: とはいえ実際のところ僕が伸びてるかどうかは僕も自信がありません。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その160につづく!


2 件のコメント:

  1. 他人を素直にほめる人って意外といないですよね。
    減るもんでもなし、ほめりゃいいのに、と思うので、僕は感心したら素直にほめるようにはしています。
    しかし僕はほめるのが下手かもしれません。
    なにをほめるときも、「かっこいい」「おしゃれ」しか言わないし。

    返信削除
  2. > 赤舌さん

    しかしまあ
    究極的には、ほめられたいですよね。

    返信削除