2012年6月25日月曜日

ピス田助手の手記 32: 正しい人質の使いかた







「意味がちがう?」とわたしは言った。
「チビの解放に条件があるように見えてるってことだろ、要するに?」
「話を聞けばそういう構図にしかならないね」
「そこがズレてんのさ。答えがイエスかノーかにかかわらず、アンジェリカが来た時点でチビは返される。それはもう初めっから決まってることだ。アンジェリカはだから、ただ迎えにいくようなもんだな」
「イエスとノーにかかわらず?」
「そうとも」
「アンジェリカがノーと言っても、スワロフスキは家に帰れる?」
「もちろん」
「イエスと言わせるためだと言ったじゃないか」
「言ったね、たしかに」
「意味がさっぱりわからない」わたしは眉間にしわを寄せた。「いったい何を言ってるんだ?」
「それはお前の視点がズレてるからだよ。誘拐だの何だのって物騒なことを勝手に思い描いてたのはそっちなんだぜ。オレはひとこともそんなこと言ってない。だろ?言葉に気をつけろってのはそういうわけだ。そもそも、交換条件なんかじゃないんだよ、別に」

スピーディ・ゴンザレスが何を言っているのか、わたしには理解できなかった。本当にわからなかったのだ。イエスと言わせるための計画なのに、ノーと言ってもスワロフスキが無事なのだとすれば、それはもうどう考えたって矛盾している。ただアンジェリカを苛立たせるだけで、何にもならないじゃないか?そんなボロ切れみたいな計画のどこにイエスと言わせる要素があるのだろう?

「やれやれ」とスピーディ・ゴンザレスは呆れたように肩をすくめた。「ユーモアのセンスもそうだけどな、もうちっと想像力ってものを養ったほうがいいぜ。あのアンジェリカが交換条件になんか応じるわけがないだろ。2羽のウサギを追って、3羽のウサギを持ち帰るようなやつだぞ」
「だから訊いてるんだ。何か他にべつの目的がないとすれば筋道が立たないじゃないか」
「いやァ、立つとも。これ以上ないくらいまっすぐな筋道だ。考えてもみろ、交換条件てことはつまり、断るならチビの安全は保証しないと宣言することになるんだぜ」
「そうしてるんだと思ってたよ、わたしは」
「その時点でアンジェリカの怒りを買っちまうじゃないか」
「当たり前だ」
「こっちとしてもチビに手をかけるのは本意じゃない。金とちがって、愛情はそれをすると二度と手に入らなくなるからな。相手が格下ならともかく、アンジェリカ相手にそんな交渉は事態を悪化させるだけだ。メリットどころか意味すらないね。だろ?」
「だからそう言ってるじゃないか」
「じゃあとっとと視点を切り替えるんだな。よく考えろ、アンジェリカの怒りは買いたくない。だから交換条件にはしない。チビは初めから安全が保証されている。だが……」
「何だ?」
「あのチビをアンジェリカの目の届かないところでそっと招待した、という事実がちょっとしたメッセージになる」
「メッセージ?」
「おいおい、手にかけようと思えばいつでもできるってことだよ」
わたしは頭に血が上るのを感じた。「何だと?」
「お前の察しがわるいせいで、こっちはジョークのおもしろさを解説するようなバカバカしさでいっぱいだってのに、めんどくさいやつだな!」
「聞き捨てならないことを言うからだ」
「ちゃんと理解しろよ。手にかけるとは言ってない。いいか?そうは言ってないんだ。それじゃ交換条件といっしょだろ。そう受け取れるってだけのことだ。そもそもそんなこと望んじゃいないってさっき言ったろ?アンジェリカだってそのへんのことはよくわかってるだろうさ。ただ……」
「ただ、何だ?」
「一度きりの交換条件とちがってこの場合は『いつ心変わりするかわからない』って不確定要素がつねにつきまとうんだ。ノーと断ってもチビがすんなり帰される以上、アンジェリカとしてはそれ以上どうにもできない。一方、帰ったら帰ったで一件落着かといえば、むしろ逆だ。わかるか?このやりとりの肝は、チビを安全に帰すことそれ自体が不安の種になるってところにあるんだよ」
「それはつまり……」わたしは絶句しながらゆっくりと言葉をしぼりだした。「いつかスワロフスキがイヤな思いをするかもしれない可能性だけをいつまでも残しておくってことか?」
「断定するなよ。そう解釈できる状態でフリーズドライにしとくのさ」
「もしそのへんのことをアンジェリカが理解してるとしたら、すでに交換条件と同じかそれ以上に怒りを買ってるんじゃないのか?」
「理解してんじゃないかな。でないとそれこそ意味がない。ただ交換条件とちがってこれは、ハッキリとした意志を表明したわけじゃない。だろ?『言ってはいないが、そう解釈することもできる』というくらいのことでしかないんだ。そんなふわふわしたものに対してあからさまに腹を立てるほど、アンジェリカは愚かじゃないとおもうね」
「何か起きる前にシュガーヒル・ギャングの殲滅を決意するかもしれない、とは考えないのか?」
「あのな、さっきも言ったがチビは今、丁重にもてなされてるんだぜ。チビからしたら悪い印象なんか持ちっこないんだ。不安だってだけで殲滅するなら、それをどう説明するんだ?」
「スワロフスキには黙っていればいい」
「秘密ってわけだ」とスピーディ・ゴンザレスは愉快そうに笑った。「あのアンジェリカがね!ま、それができるんならそれもいいだろうさ」


わたしは呆然とした。イエスとうなずく要素どころか、イエスとしか言えない謀(はかりごと)がそこにはあった。





<ピス田助手の手記 33: わたしたちにできること>につづく!

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