2012年6月19日火曜日

ピス田助手の手記 30: スワロフスキの行方







「むむ」とスピーディ・ゴンザレスは初めて言い淀んだ。「そこを突かれるとオレも弱い。しかしまァ、楽しくやってんじゃないかな、今ごろ」
「知ってるんだな?」
「知ってるというかまァ……ことの次第はね」

どうやら話が核心に近づいてきたらしい。わたしは心の中で大きく伸びをしながら、ここでようやく腹をドシンと据えることができた。これまで控えめにみても長すぎる回り道をさせられてきたが、正念場があるとすればまちがいなくここだ。これ以上はぐらかされるわけにはいかなかった。

「ブッチ」とわたしは相変わらず膝を抱えてうなだれる肉屋を呼んだ。「ショックを受けてるとこわるいけど、たのみがあるんだ」
ブッチは顔を上げた。「なんですね?」
「コイツをもう1回ふんじばれ」
「待て待て待て!あちッ」とスピーディ・ゴンザレスは足に落ちたタバコの灰をパタパタはたきながら言った。「そう慌てなさんなよ」
「慌ててるのはそっちじゃないか」
「くそ、火傷した。あのチビが無事かってことなら、めちゃめちゃ無事だよ。心配ない」
「どうして言い切れる?」
「でないと意味がないからさ」
「シュガーヒルにいるってこと?」
「たぶん【Sweet Stuff】だ。危害どころか、ケーキ三昧だとおもうね。オレもこの件の中心にいるわけじゃないんだ。シルヴィアの姐御に、もし次郎吉が出張ってくるようなら足止めしといておくれ、と頼まれただけだからな。親心ってやつさ」
「シルヴィア?」
「シュガーヒル・ギャングの元締めです」とイゴールが言った。
「その元締めがどうしてスワロフスキを連れ去るんだ?」
「連れ去るというか、ほとんど接待みたいなもんだよ」
「どっちでもいい。それがアンジェリカとどう関係してくるんだ」
「姐御は気を揉んでるだけで、率先して動いてるわけじゃない。姐御にはバカ息子がひとりいるのさ」
「それで?」
「それで……つまり、オレが次郎吉を足止めする理由がここにあるんだよ。アンジェリカは何か言ってたか?」
「いや」とわたしは言った。「何も言わずに出て行ったから、首をかしげてるんだ」
「だろ?話せば黙っちゃいないとわかってたからさ。お前は主人の帰りを愚直に待ってるべきだったんだ、次郎吉」
「屋敷を出たのはイゴールの責任じゃないよ。どちらかといえばわたしの責任で、突き詰めていくとスナークがわるい」
「スナークか!」とスピーディ・ゴンザレスは忌々しげに言った。「アイツが余計なことをしなけりゃオレも肉屋を張るなんて仕事はしなくて済んだんだ。昔のよしみでアンジェリカの留守を教えてやったのに、恩を仇で返すような真似をするから困る」
「スワロフスキを連れ去ったのは誰なんだ?」
「さっきも言ったろ。バカ息子さ。というか実際にはまァ、三下だな」
「何のために?」
「そうでもしないと出てこないだろ、アンジェリカは」
「人質にしたんだな」
「その言い方が適切かどうかは議論の余地があるとおもうね。誰にも気づかれないようにそっとチビを招待して、下にも置かないもてなしぶりをアンジェリカに伝えただけとも言えるだろ?ことを大袈裟にしようとすんなよ。言葉遣いひとつで印象がくるっと反転することもあるんだぜ」
「用があるならじぶんで出向きゃいいじゃないか」
「奥手なんだろ」
「むしろ不遜に見えるよ」
「そうかもな。ただまァ、出向いたってどうにもならないことを知ってるのさ」
「だからって呼びつければそれで話がつくとはおもえないな」
「そのとおり。そこであのチビのお出ましってわけだ」
「どういう意味だ?」
「興味津々だな、おい」シュガーヒルの用心棒はこらえきれない様子で笑い出した。「こっから先は有料にしてもよさそうだ」
「いいとも。ムール貝博士につけといてくれるならね」
「ムール貝博士?仲が良いんだな」
「べつに良くはないとおもうけど」
「オレはわりと良いほうだぜ」
「ただ、わたしは博士の助手なんだ」
「おっと。そりゃ正気じゃないな」
「残念ながらね」
「お前の顔を博士のとこで見かけた記憶はないぜ」
「わたしもあんたがお得意様だってことをさっき電話で初めて知ったんだ」
「なるほど。そりゃたしかに分がわるい。博士に金を貸してもロードローラーで念入りに踏み倒されるのがオチだろうからな」
「わたしもなるべくならあんまり笠に着たくはないね」
「冗談だよ。気にするな。チビをもてなしてるのは呼びつけるためじゃない。イエスと言わせるためなんだ」
「誰に?」
「アンジェリカに決まってるだろ。他に誰がいる?」
「何を?」
「そろそろ察しても良さそうなもんなのに、お前もたいがい鈍いな。話してもいいけど、次郎吉の神経に障るのはまちがいないぜ。アンジェリカが黙って出て行ったってんならそりゃ、心配ないってメッセージの裏返しでもあるんだ。だろ?オレがこうしてここにいるのもそうだ。オレの忠告を聞き入れる余地はまだ全然あるとおもうね」
「忠告というのはつまり……」
「ほっとけってこと。付け加えて良ければ……」
「それはさっき聞いたよ」
「そう?聞いてなさそうにみえたけどな」
「どうする、イゴール?」
「構いません」とイゴールは即答した。「お嬢さまの意に沿うことがわたくしの仕事なら、同じようにお嬢さまにたかるハエを追い払うのもわたくしの仕事です」
「ハエか」とスピーディ・ゴンザレスは笑った。「言い得て妙だな。だがその忠誠心が却ってことをややこしくする場合もあるんだぜ。わかってるのか?」
「構わないって言ってるだろ」とわたしは言った。「そんなにややこしい話なのか?」
「いやいや、話はいたってシンプルだ。実際のとこ、もったいぶるような話でもない。アンジェリカは求婚されてるのさ」





<ピス田助手の手記 31: アンジェリカの結婚>につづく!

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