2012年5月21日月曜日

ピス田助手の手記 20: 誰が誰を待っているのか?







ついさっきまで行き先も決めていなかったのに、決めたそばからもう向こうでお待ちかねとはまた、ずいぶん気の回るお友達だ。誰だか知らないがろくな用件じゃないことくらい、わたしにもわかる。知り合いならこんなやりかたをしなくても直接訪ねてくればいい。よく晴れたうららかな午後のドライブを決めこんだ悠長な一行にはもちろん突拍子もない話で、「やァ、それはそれは!」と手放しでよろこべるはずもない。とっぷり暮れた夜の帳みたいな沈黙の後で、しかたなくわたしが口火を切った。

「えーと」とわたしは言った。「約束なんかしてたかな、イゴール?」
「おそれながら」とイゴールはハンドルを握りながら答えた。「わたくしも記憶にございません」
「約束はしてないそうです」とブッチは説明した。「そりゃまァそうだろうとわっしもおもいますがね。そいつは確かです。ただ、これこれこういう御仁が来るようだったら知らせるようにとせがれに伝言したそうで」
「誰が?」
「さァ、そこがわっしにも胡乱です」
「誰を?」
それには答えず、ブッチは目線を該当する人物に向けた。
「イゴール?」
「はっきり聞いたわけじゃありませんが、察するにどうもそうらしいですな」
「イゴールって言ってるけど」
「はて……」とイゴールは心当たりの引き出しをあちこち探るような顔で言った。「わたくしにも見当がつきかねます」
「胡乱だとおもうなら知らせなきゃいいじゃないか」
「せがれにとっちゃ顔見知りのようで」
「店の常連てわけではない?」
「それならわっしの領分です。お買い上げがラスコー壁画に描かれたオーロックスのステーキ肉だろうとポークビッツを1個っきりだろうと、お客となったらせいぜい忘れないように脳みそができてます」
「そりゃそうか。で、何て伝えたんだ?」
「そういうことなら、くれぐれもよろしくと」
「のんきな奴だな!」
「何がです?」
「全体的に風向きがおもわしくないような口ぶりだったじゃないか」
「そうは仰いますがね、せがれの友だちとなったらそりゃ無碍にもできませんや」
「じゃあその謎めいた人物にはイゴールの来訪が伝わったと考えたほうがいいわけだ」
「そうでしょうな」とブッチは頷いた。「元来気の利かない奴ですから」
「気が利かないのは親父だよ、どう考えても」
「おっと。こいつは手厳しい」とブッチが大きな体をぐらぐら揺すりながら腹を抱えると、骨董的自動車もガタガタと上下に揺さぶられた。
「いずれにせよ息子にも帰ってこないほうがよさそうに見えたってことは、ものすごく楽しい話というわけじゃなさそうだ」とわたしは言った。「とちゅうでこの車、分解したりしないだろうな」
「心配ございません」とイゴールは言った。「賢いハンス号の頑丈さは折り紙つきです」
「いっそリボンはどうですね?」とブッチがすてきな思いつきを披露してみせた。「折り紙よりはぐっと魅力が引き立つってもんですよ」
「リボン!」とみふゆがまた顔を上げた。
「面倒を避けるだけなら話は簡単だ」わたしはぐるぐると考えを巡らせながら話をつづけた。「行かなければいいんだから。でもこのタイミングでイゴールに用があるってのはさすがにちょっと気になる」
ふと考えこむような様子をみせてから、イゴールが口をひらいた。「用向きはわかりませんが、わたくしがひとりで参るというのはいかがでしょう」
「用向きならはっきりしてるさ」とわたしは言った。「このタイミングなんだ。アンジェリカに関係してるとおもってまずまちがいないとおもう」
「でしたらなおさらそうすべきなのでは?」
「どうだろうな……。ただ、何が何だかこっちにはいまだにちっともわかってない以上、向こうだっていろいろ曖昧なことがあるはずなんだ」
「そうでしょうか」
「『来たら知らせを』ってことは、来るかどうか確信がなかったってことじゃないか」
「たしかに、仰るとおりです」
「それに、そうだ肉屋を張ってたってことは、確信とまではいかないまでもある程度可能性を読んでたってことになる」
「と言いますと?」
「スナークにアンジェリカの留守を教えたのはそいつかもしれない」
「冴えてますな!」とブッチは感心するように言った。「まるで捕り物じゃありませんか」
実際のとこ何も起きてないんだけどね
「その待ち人がスナークなのではありませんか?」
「さっきまで屋敷にいたんだぜ」
「なにか事情があるとか……」
「ハムを返せとかね。それならそれで話が早くて助かるけど、でもどうかな。息子のくれた忠告からしても考えづらい気がする」
「では、いかがいたしましょう?」
「むむ」
「やはりわたくしが参りましょうか」
「いや」とわたしは腹を決めた。「みんなで行こう。こっちには剣客もいるんだ。何があろうと、心丈夫さ」
「かしこまりました。ではまっすぐに」

4人と1羽の奇妙な道連れを乗せた賢いハンス号は肉屋に向けて、唸りを上げながら猛スピードで駆け出した。





<ピス田助手の手記 21: スピーディ・ゴンザレス登場>につづく!

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