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2009年2月5日木曜日
ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その82
おとといの節分は、大豆が見当たらなかったのでガルバンゾ(ひよこ豆)で代用して豆まきを行いました。ただ撒いてから気がついたんだけど、硬すぎて食べられたもんじゃありません。ましてや年の数なんて、とてもとても。あんなに頑固なやつは見たことがない。
当てられた豆をポリポリ食べながら家路につく鬼たちの、そこはかとなく哀愁ただよう背中が目に浮かびます。手にした豆のいくつかがガルバンゾだと知ったら、さぞガッカリするでしょう。
でもチリビーンズをぶっかけられるよりはマシだろうとおもう。
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まじゃりんこシールさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)「まじゃりんこ」という語感にはなんとなく、バファリンと同じやさしさがふくまれているような気がしませんか?
Q: 自分は最近、なんとなく験担ぎでパンは2口で食べるというルールが出来上がってしまいましたが、小林さんは何か験担ぎとかジンクスはありますか?
いったいいつからそうなのか、またいかなる理由をもってそうなったのか、じぶんでもちっともわからないのだけど、「やかんは常に水でいっぱいにしておく」というルールがあります。たとえ火にかけていなくても、把手をつかんで持ち上げたときに残り少ないことがわかるとひどく不安になるのです。強迫観念に近いものがあります。
逆に言うとやかんが水でたっぷりと満たされているかぎり、何があろうと天下は泰平です。打ちのめされてしょげ返るようなことがあっても、「でもまあやかんにはこんなに水が入っているのだから」と前向きなきもちになることができます。ご神体みたいなものですね。
アンドロメダの向こうからやってきた乱暴な異星人の空襲によって町が徹底的に破壊されたとしても、その信頼は揺るぎません。ガレキの奥に水の入ったやかんがキラリと光ってくれるなら、何度でも立ち直って明日を見据えることができると僕は断言したい。何と言ってもやかんにはこんなに水が入っているのだから!もしそこでやかんが倒れていたらなんて野暮なことを言ってはいけない。
水で満たされたやかんというのはことほどさように僕の精神と密接なつながりをもっているのです。僕の平穏は、やかんとそれを満たす水によって保たれています。
言いすぎた。
それにしてもパンを2くちで食べるというのはいくらなんでも無茶をしすぎなんじゃないかとおもうんだけど、そんなことないですか?バゲットとか、ほっぺた突き破って出てきたりしない?
A: やかんは常に水でいっぱいにしておく
よくよく読み返すと冴えない話だな。
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それからまじゃりんこシールさんは「二度ふれる前に消えてなくなれ」に初めての1票を投じてくれました。飛躍するイメージと言葉それ自体のおもしろさという意味では僕もこれが断トツで好きです。どうもありがとう!
1 三角バミューダの大脱走 22.6% (ウゴウゴ含む)
2 手漕ぎボート 15.1%
2 蝸牛の憂鬱 15.1%
2 話咲く種をまく男 15.1%
5 饗宴 9.4%
6 アンジェリカ 7.5% (とコロッケひとつ)
6 女と紙屑 7.5%
8 腐草為蛍 5.7%
9 二度ふれる前に消えてなくなれ 1.9%
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dr.moule*gmail.com (*を@に替えてね)
その83につづく!
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