2008年12月12日金曜日

僕らはいったい何を眺めているのか?



うわァ!

ちかごろは絵の展覧会に足を運んでも、図録を買わずに帰ってくることがままあります。いちばん大きな理由はもちろん、色がちがいすぎるからです。人物や歴史的背景についての記述が豊富だからできればやっぱり購入して帰りたいんだけれど、実物はもうすこし青みがかった印象だったのに、図録には乳白色で再現されていたら、そっちで記憶してしまいそうな気がするのです。より再現性の高い印刷物と、図録とを並べたら迷わず図録のほうを指差してしまう気がする。それがこわいし、そうだとしたら本物を目にした意味がない。知ることよりも観ることのほうがずっとだいじだとおもうから、ひどく惜しいとは思いつつも、けっきょく手ぶらで帰ります。


しかし図録は目の前でばしばしと飛ぶように売れていくのです。


もちろん、あとで眺めるというよりも記念としてとりあえず買っておくという人もあるだろうし、図録ってそもそもそういう意味合いのつよい不思議な刊行物だけど、それにしてもなんというかこう、腑に落ちないものがあります。


僕らはいったい、何を眺めているのか?


 *


展覧会の規模が大きくなればなるほど、多くの人が足を運んで、1枚あたりの鑑賞時間はいやでも短縮されることになります。美術館のスタッフも「どうぞ、すこしずつ移動しながらご鑑賞ください」と声をかけるし、だれもが等しく愛でることができるように、混雑をすこしでも軽減しようとしたらそれはごくごく当然のさばきかたといえましょう。

でも、10分眺めつづけて初めて気づくこともあるのです。眺めれば眺めるほど、見えなかったものが少しずつ見えてくるのだし、そして何よりそれこそが、絵の愉しみじゃないか!と僕はつよくおもう。エヴァレット・ミレイの「マリアナ」で、画面右下の隅っこにいたネズミの、ぎょっとするほど異様なリアリティについて思いを馳せた人がいったいどれくらいいるんだろう?

ベルトコンベア式に押し流されていったら、それもかなわない。展示されている絵なり画家なりが世界的に有名であればあるほど、その傾向はつよくなるし、あたりまえだけど、立ち止まるとものすごくイヤな顔を向けられることになります。(そういう意味で、僕はとても迷惑な鑑賞者です)


僕らはいったい、何を眺めているのか?


 *


ベルトコンベア式の鑑賞スタイルと、再現性の低い図録。それでも会場を出れば、「ああ、ひと目でも観ることができて本当によかった!」としみじみおもうのです。



僕らは絵画に、なにを求めているのか?



とはいえ現代美術とかデザイン、あるいは絵本とか、そういうのになるとまた話はガラリと変わるんだから、


ふしぎなことです、それはまったく。

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