2008年1月18日金曜日

キリキリとねじを巻く仕事


ところで、からくり人形に負けるとも劣らぬ繊細にして緻密な技巧がめいっぱい詰めこまれているばかりか、せっせと量産(!)までされていたにもかかわらず、マニア以外には見向きもされない不遇な機械がひとつ、ここにあります。こないだ書きたかったのはじつはこのことなんだけれど、とちゅうでくたびれちゃったんだ。

振り子時計です。

重力とぜんまいというあまりにもシンプルかつ原始的な動力で正確な時をきざむだけならまだしも、どうしたら12時に鐘を12回鳴らすなんて高等なアクションを、電気も使わずに同時進行で達成できるのだ?からくり人形もイルだけど、このコの持つ複雑怪奇なムーヴメントだって相当なモノです。だいたい何をするにも電気を食らうこのご時世においては、非電化製品というだけでなんだか潔いものがあるし、この純然たる驚異にはもっと正当な評価が与えられてしかるべきだとわたくしはおもうのであります(ここで、腕時計はどうなの、とかそんな至極もっともな疑義をはさんではいけません)。20年くらい前は電話線の微弱な電気だけでりんりん鳴らしていたアイツでさえ、気づけばコンセントがくっついて四六時中エレキをちゅうちゅう吸っているありさまだし、そりゃ電力も足りなくなるよとおもう。配線もタコ足まっしぐらです。

ああ、たしかに時計は電池で事足ります。いちど与えたらかなり長いことそれだけで生き延びてくれると、検察側も主張するかもしれません。しかしですね、数年分のエサを一度にどさっと渡されたのち、エサがなくなるまで一切かまってもらえないとすれば、犬だってやり手の弁護士を雇わないともかぎらない。でしょう?そう思えば定期的にきりきりとねじを巻く仕事も愛情溢るるスキンシップの一環というか、ゴメンそういう話ではなかった。

だいいち、振り子時計って、可愛くない。生まれながらにして白いヒゲがもさもさと伸びているようなオジイチャン的黒光りデザインも渋くていいんだけれど、どうも哀愁が先に立ってため息まじりなところもある。ちょっとでいいから、サラリとした明るさがほしい。ボーンと物憂げにひびく鐘も毎日付き合うにはおごそかすぎる。精工舎(かつてのSEIKO)をはじめとして、時計会社(?)は当時山ほどあったとおもうんだけれど、生まれた時計はどいつもこいつも貴族的な風貌をしていて、いまいち気持ちになじまない。

だから例によってまあいいや、と振り子時計のことなんてスッカリ忘れていたある昼下がりに思いがけず出会い、雷で打たれたみたいに鮮烈なショックを受けたのが、美的開拓精神をもった唯一にして無二のクロックファクトリー、「栄計舎」の振り子時計でありました。


この奇妙にしてモダン、かつ爛漫なデザインはなにごとだ!


わかりづらいかもしれないけれど、本体はグレーで、文字盤の中央が合板の地肌、真鍮製の針と数字がグリーン、さらに数字が黄色でフチ取りしてあるという、大胆きわまりないスーパークールな彩色がほどこされているのです。だって昭和の前半ですよ!星マークに「AK」の文字、という企業ロゴからもう洒脱なセンスがにじみでているし、なにより遊び心にみちてて可愛い。振り子にもキュートな装飾がほどこしてあります(栄計舎の有名な特徴のひとつ)。わざわざ「ダイヤ振り子」と名前をつけているくらい、他社にはあまりない独特のつくりです。イイぞ!とおもう。キンコンと鳴る鐘の音もかろやかで明るい。

木とプラスチックとガラス、という素っ頓狂な組み合わせも、いまとなっては新鮮です。当時はプラスチックが今みたいにあふれているわけでもなかったから、それだけで売りになったのだと、そういえば売り主がポロッと申しておりました。

性質も趣きも異なる3つの素材が渾然となじむというよりも、むしろ互いにちょっとずつ主張しているところが良いのです。いったいどこの何を見習うとこんなにポップなふてぶてしさを持ち合わせることになるんだろう?他の振り子時計にはないおもしろさ、可笑しさ、かわいらしさと、かっこよさ!というのがつまりこのへんにあるわけですね。当時あったほかの時計とくらべて明らかに異端児だし、なんというか他人とはおもえない愛着をおぼえてしまう。

ああ、こいつときたら、変わり者だな!つくづくうれしい。

そういうわけで、ウチでは掃除や洗濯といったもろもろの家事に、きりきりとねじを巻く仕事もふくまれているのです。

なんでこんなこと一所懸命書いてんだという気もするけど。

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