2023年12月31日日曜日

あるいは腐れ縁としての冷え性のように


シーラとプリンセス戦士(She-Ra and the Princesses of Power)」という、ベタにもほどがあってなんならちょっと萎えるタイトルのアニメがあります。主要なキャラクターに明確な男子が一人二人しかいないので、男児よりは女児向けです。それでいてある星を舞台にした戦争を描いています。バランス感覚が妙な気もするけど、それはそれでまあよろしい。


作画がチープでどうも感情移入しづらいという唯一にして致命的な点を除けば、これはまちがいなく価値ある作品です。とにかくストーリーとキャラクター造形と関係性がめちゃめちゃいい。まさか終盤で号泣することになるとは思わなかったし、回を重ねるごとに敵と味方が入れ替わったり、区別が曖昧になっていくところもいい。ヒーローの一人だったキャラがいつの間にか敵の参謀になってるのなんか最高です。

物語は主人公であるアドーラが、敵の侵攻を防ぐべく母国の兵士として初陣に臨むところから始まります。正義感がつよく、幼いころから訓練に勤しんできたのでやる気満々です。しかし悪だと信じていた敵がどうもそうではないらしいこと、善だと信じていた自分たちの立場がどうもそうではなかったらしいことに、わりと早々で気づくことになります。そしてアドーラはかつての敵側に寝返り、葛藤を抱えながらも戦士としてかつての味方たちと戦う、全体としてはそういう流れです。

何と言ってもこの作品の肝は敵対することになる大親友との関係性にあり、その他キャラも魅力的でその動向にいちいち目が離せないのですが、それはひとまず傍に置いておきましょう。僕が今も考えさせられるのは、それぞれがその立場にあるのにはそれぞれ理由がある、という点です。

よくよく考えたらそりゃそうだし当たり前なんだけれど、そもそも「自分が間違っている」という認識はわりとストレートにアイデンティティの崩壊につながります。誰もがそれを克服して乗り越えられるわけではない。だとすれば否定に抵抗するのはごく自然なことだし、自らを守るためにこそ争いは続きます。そしてその際に拠り所となるのは間違っていないという認識、つまり正しさです。おまけに正しさは対立するものをただ打ちのめすだけで、浄化してくれるわけでは全然ない

ひょっとしてことの大小を問わず平和を阻害しているのは他ならぬ「正義」なんじゃないのか…?

ごくごく個人的な、理不尽としか感じられない現在進行形の困った事態も考え合わせながら、川面に石を投げる年の瀬です。


それはまあさておくとして、今年もまたアグロー案内シリーズをVOL.4VOL.6までぶじリリースすることができました。それもこれもご愛顧くださるみなさまと御大タケウチカズタケのおかげです。音源にしてもライブにしてもあまりにおんぶに抱っこすぎて、僕の役割が一体なんだったのかいまいち思い出せないくらいです。しかし自分の名前が連なっているのはたしかだし、何かしらの寄与はしたと信じたい。


そしてライブです。今年はさらに珍しく愛知、大阪、兵庫を巡るツアーもありました。最後の東京と合わせて4回、これがどれも掛け値なく楽しかった。僕がというよりその場にいたみんなで楽しんだという印象がいつになく大きくて、いまだにふとした折に思い出しては頭のなかでもぐもぐと反芻しています。


遠方からとか、数年ぶりとか、1度ならず何度も足を運んでもらったりと、これほど冥利に尽きることはありません。本当に本当にありがとう。

そういえば今年のライブでは、スタンドを使わずにハンドマイクでのパフォーマンスになりました。

そもそもはやむを得ない事情からで、まともに使ったことないしぜったいムリだと駄々をこねていたのだけれど、何しろやむを得ない事情なのでどうにもならず、それならこの機会に思いきって慣れてしまおうと切り替えた結果、4つのライブすべてがハンドマイクになりました。細々とはいえ20年やってきてやっとマイクを手に握るなんて、われながらちょっとすごい話です。何かこう、生物として進化したような趣さえあります。個人的には今年のかなり大きな変化のひとつです。マイクって意外と重いんだなあとかそういう微レ存レベルの発見を人生の転換点として自分史に刻む人はそうそういないのではありますまいか。

変化で思い出したけど、リーディングのフェーズが変わったのも、たしか今年です。一貫して変わらなかった言葉の乗せ方が、新たなフェーズでは最終的にどう乗るのか自分でも予測不能になった点で、僕としては目からウロコどころか目ん玉が転がり落ちるほど革命的なことだったとおもいます。歩いてきた道の先にまさかこんな開けた草原があるなんて、想像もしてなかった。そのきっかけが新しい「ジョシュア2023/fishing ghost revamped」で、その結実が「前日譚/no news is good news」と「ローラ・コスタ嬢の罠/aaugh!」です。

そして改めて、タケウチカズタケなくしてこれらの劇的な変化は訪れなかった、と声を大にして申しましょう。僕にできるのは、他所ではできない音楽的な実験を存分にしていただくべく、アグロー案内を捧げることだけです。こんなことくらいしかできなくてほんとすみません。

そう考えると今年のライブで感じたあの全体的な雰囲気の良さには、こういうちょっとした僕自身の変化も影響していたのかもしれません。何がどこでどうつながるか、わからないもんですね。

といってライブをすることにならないのがKBDGなわけですけれども、それはまあいつものことだし、またないとも限りません。仮に来年はなくとも、再来年があります。再来年がなくともやっぱり年は明けるし、季節も巡ります。それが人生というものです。ひきつづき、冷え性のようにお付き合いいただけたらとおもいます。

今年もありがとう!良いお年を!

2023年12月26日火曜日

2024年末における安田タイル工業の現状について


さて、実際のところ僕にも全然わかっていないのですけれども、社内でいざこざがあったように思われてもいけないので、お話ししておかなくてはなりますまい。例年ならこの時期、必ず何かしらの動きがあった安田タイル工業ですが、今年はありません。

なぜないのかというと、専務が不在だからです。そしてなぜ専務が不在なのかというと、これが僕にもよくわかりません。何しろ専務からの消息が今年の2月末からパタリと途絶えたままだからです。


このやりとりを最後に、専務からの連絡は今に至るまで一切ありません。

彼の身に何か起きたのは確かです。そしてかなり逼迫したのっぴきならない状況であったことも、間違いありません。なぜそれがわかるかというと、最後の連絡から数日後に大川隆法が亡くなったにもかかわらず完全に無反応だったからです。

これはあまり公にはしていなかったかもしれませんが、専務は彼の大ファンです。というとあまりに語弊がありすぎるので釘を差しておくと、信者ではもちろん全然なく、ある種のタレントとして時々その動向を気にするくらいには心を寄せていた、というのが正しい。町でポスターなり関係する印刷物を見かければそれを撮って一方的に送りつけてくる、そういうスタンスです。この例にかぎらず専務はアウトローであればそれが誰であれふらふらと吸い寄せられる習性があります

したがって、その逝去に対して何ひとつ反応がないとすればこれは明らかに尋常ならざる事態であると申せましょう。それでなくとも専務は根っからの根無草なのでいつものようにしばらく放置していたものの、ここに至ってさすがに僕も専務に何かが起きていることを明確に認識した次第です。

その後の回りくどい調査によって、生存は確認されています。おそらくそうだろうと考えていたことのひとつが実際にそうであったこともはっきりしたし、その上でどうにかこうにかやっているらしいこともわかっています。しかし直接的なコンタクトは今もってありません。

また、とくに仲違いをしたわけでもありません。もちろん僕がそう思っているだけの可能性もないではないけれども、消息を絶つ直前までふつうにやりとりがあったことを考えると、想定外の何かが起き、その影響でそれまでの日々をリセットしようとしている可能性のほうが高いと個人的には感じられます。

そしてそれ以外のことは、主任である僕にも何ひとつわかりません。僕の手元にあるのは間接的に得た情報とそこからのささやかな推測にすぎないのです。

僕にできるのは専務の席を空けたまま、今までと同じように保ち、待つことだけです。しれっと帰ってくるかもしれないし、あるいは二度と帰ってこないかもしれない。神のみぞ知ると言うほかありません。

心配は無用です。少なくとも僕はもう心配していません。いずれまた何ごともなかったようにかつての日々がのそのそと動き出すときをぼんやりと夢想するばかりです。時が止まったと受け止めるのが一番いいかもしれない。

これが現状であり、現時点での結論とその報告になります。読みかけの本に栞を挟んで閉じるように、パタンと胸にしまってもらえたらうれしい。

まさか年末まで完全に無沙汰とは思ってなかったですけど。




2023年12月23日土曜日

マサキ香油より龍涎香の供給再開のご案内


平素は格別のご愛顧を賜り誠にありがとうございます。

長らくお待たせしております弊店の龍涎香について、このたび数十年ぶりに龍1体との第3種接近遭遇および唾液の採取に成功、精製に一定の目処が立ちましたのでご案内いたします。

龍涎香とは龍の唾液が自然に凝固した、きわめて特殊な神秘の結晶です。龍ほどではないにせよやはり希少なマッコウクジラの腸内結石を意味するようになった現在でも、弊店では元来の成分と無二の香りを未来へと引き継ぐべく意固地に伝統を守り続けております。

その香気には心身にかかる重力を緩和する作用があり、ひとたび身にまとえばふわりと浮き立ち、物理的にも地に足がつかないこと請け合いです。また今季遭遇した龍は健康状態も良好で、いつになく格別の香水に仕上がりました。古代の東洋を代表する極上の香りを、この機会にぜひお楽しみください。


マサキ香油の創業は、扇谷上杉家の忠臣であった河鯉佐太郎孝嗣がいろいろあって一から出直すためにその名を政木大全と改めた文明15年(1483)に遡ります。政木とは孝嗣を育てた乳母の名であり(一説には九尾の狐であったとも言われています)、紆余曲折の生を送った彼女が最晩年に宿願叶って美しい白龍と化した際、こぼれ落ちたひと掬いの唾液(龍涎)を孝嗣が形見として身にふりかけ、日々のおしゃれに活用したことが始まりです。またその類まれにして芳潤たる香気は世間にも広く知れ渡り、中でも当時人気絶頂だった8人組ボーイズグループのメンバー犬江親兵衛と犬坂毛野がこれを生涯愛用したと伝えられています。



今回は龍涎香のかつてない上出来を記念いたしまして、わずかではございますが若干名にこの逸品をお贈りすべくご用意しております。

ご希望のかたは件名に「マサキ香油の龍涎香」係と入れ、

1. 氏名
2. 住所
3. わりとどうでもいい質問をひとつ

上記の3点をもれなくお書き添えの上、dr.moulegmail.com(*を@に替えてね)までメールでご応募くださいませ。

ただし今年は!わりとどうでもいい質問にNG項目を設けます「二択」は禁止です。それくらいの希望は許されるとわれながら思います。

締切は12月29日金曜です。(仮に抽選となった場合でも、いただいたメールには必ず返信しています)

応募多数の場合は抽選となりますが、そう言っておかないと立つ瀬がない認知度とささやかな虚栄心をお汲みいただければ幸いです。

今年もありがとうー! 

2023年12月15日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その410


鼻もげたさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)

Q. 今までやってこなかったことにもスッとチャレンジできるような行動力ある人間になりたいものですが、なぜ人は新しいことを始めるのにあれほどエネルギーを使うのでしょうか?


なぜ人は新しいことを始めるのにあれほどエネルギーを必要とするのか…それはヒトにかぎらずおよそすべての生物がそれまで経験していないことにエネルギーを費やすようにはできていないからです。得られるエネルギーはもっぱら生存戦略と生殖に消費されます。美味しいと評判の店で並んだり街中でフラッシュモブを始めたりすることはそこに含まれていません。

個体の役割が高度に分化された超社会性生物として知られるアリでさえ、M-1の勝者を予測したりはしません。なんとなれば生存と繁栄に何ひとつ寄与するものではないからです。仮に予測どころかM-1に参加する強気なアリがいたとしても、これが例外中の例外であることに異論の余地はないでしょう。

また中には桃から生まれた少年の供をして鬼退治に参加する危篤な動物もいますが、それは生存を脅かす極めて高いリスクと美味しい団子が釣り合うと考えるちょっとバカな例外であって、ふつうはやはり付き合いません。僕がサルなら群れにおけるボスとしての地位を見返りとして要求します。

そう考えると、むしろ桃から生まれた少年の依頼を断るほうが生存戦略的に高リスクであると判断した可能性のほうがよほど高いと言わざるを得ません。団子をもらえるだけましだというわけですね。

ただヒトの場合は他の生物とちがってとにかくいろいろ複雑なので、純粋に生物としての戦略も多岐にわたります。とりわけ自身の価値を高めることは、生存と生殖に大きく寄与すると言ってよいでしょう。学歴を高めたり、容姿を磨いたり、社会的地位を獲得したり、スキルを身につけたり、ジムに通うことなんかはもちろん、推しに誰よりも課金することさえ究極的には生存戦略の一部であると見做せます。考え始めると切なくなってきますが、しかたがありません。

生物としての天敵が存在せず、生命の維持が他の生物に比べて圧倒的に保証されている以上、本来であれば危険回避のために消費されるはずのエネルギーは当然、他の生物ならエネルギーを振り分けるはずのない行動に回されます。そこで初めて、「今までやってこなかったことにチャレンジする」という姿勢が意味をもってくるのです。

しかし実際のところ、これは魅力を高めることにはなっても、生命の維持に直結するわけではありません。チャレンジしなくても生きることそのものに支障はないという状況においては、必要性がそこまで高くないのです。

新しいことにチャレンジするよりもすでに経験済みのことを強化する、具体的には例えば推しにさらなる課金をすることと比較できてしまうくらいには、必要性が低い。腰が重くなるのも無理はありません。

何でもそうですが、個人的にはまずごく小さなことからチャレンジするのがよいと思います。具体的にはうな重を並から特上へランクアップするようなことです。何にもならないと言えば何にもなりませんが、今までしたことがないなら条件はクリアしているし、経験値も上がります。そしてその経験値がいずれ、エアギター選手権に出場することにつながっていかないとも限りません。千里の道も一歩からです。まずはうな重あたりから始めてみてください。

もしすでに特上がデフォルトだったらすみません。


A. ヒトにかぎらずおよそすべての生物がそれまで経験していない新しいことにエネルギーを費やすようにはできていないからです。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その411につづく! 

2023年12月8日金曜日

小さなネジの職場放棄は何を意味していたのか


そのとき、ぽろりと眼鏡が落ちたのです。

目がいい人にはわかりづらいかもしれませんが、眼鏡はふつう、ぽろりと落ちることはありません。足首をつかまれてブンブン振り回されたとしても、頭に血がのぼるだけで眼鏡が飛んでいくことはおそらくないでしょう。ましてやただ立っているだけでぽろりと落ちることはまずありません。

それが落ちたのです。拾い上げて見るとレンズとつるが別々のパーツに分離してしまっています。そしてその両者をつなぐはずのネジがない。なぜいきなりネジが消失するのかさっぱりわかりませんが、とにかくない。損傷しているわけではないけれど、ネジがなければどのみち使えません。

そしてこれまた目がいい人にはわかりづらいと思いますが、このネジは異様にサイズが小さく、全長5ミリもありません。指でつまむにも苦労するほどの小ささです。ピンセットの方が圧倒的につまみやすい。日常生活で使われるネジとしてこれが最小なんじゃないだろうか。


それが今、床のどこかに転がっている…これはもう…見つけ出すのはムリだ…とあきらめかけたとき、タケウチカズタケが「あった」と指に乗せたネジを差し出すのです。その場にいた人々の尽力と奇跡にも似た幸運によって、眼鏡はすぐに修復されました。見つけてもまたすぐ落として失くしそうなほど小さなネジですよ!

なぜタケウチカズタケがいるかというと、そこが晴れたら空に豆まいてのステージ上であり、もう目前に迫るライブのリハ真っ最中だったからです。

なぜ貴重なリハの時間を極小のネジのために数人がかりで浪費しなくてはならないのか、見つかったからいいものの見つからなかったら十数分後にオープンが迫るライブをどうしのぐつもりだったのか、というかそもそも一体なぜこのタイミングで自然に分解などするはずもない眼鏡がいきなりぽろりと分解するのか、近々によくないことが起きる前ぶれとしか考えられません。まさかライブ中に何か…

相変わらず写真がリハのしかない

と、じつは人知れず戦々恐々としていた アグローと夜 2023@代官山 晴れたら空に豆まいてびっくりするほど何ごともなく、大盛況のうちにぶじ幕を下ろすことができました。ありがとうありがとう。

平日のわりと早い時間スタートにもかかわらず、思いのほか多くのみなさまにご来場いただいたばかりか、近年稀に見る雰囲気の良さで、終演後はまるで披露宴のようでした。ライスシャワーが降り注いでいたような気がするくらいです。

今回も一人一人お話させてもらったけど(お待たせして申し訳ない…)、いつになく初めましての人が多かったのもうれしい驚きです。思いきってやることにして本当によかった。

印象的だったのは、キッチンがてんてこまいになるほど、フードの注文がたくさんあったことです。この事実ひとつとっても、イベントそのものを丸ごと楽しんでもらえたことがすごく良くわかります。終演後に食べたいとお願いしていた僕の分が危うくなくなるところだったそうなので、尋常ではない。スタッフのみなさんもよろこんでくれて、僕とタケウチカズタケが何かこう善行を施したかのような、終始温かい空気に包まれておりました。


それもこれもすべて、本当に何もかも常に低体温のわたくしを支えてくれるみなさまと、御大タケウチカズタケのおかげです。この夜の温かさは、カズタケさんと晴れ豆スタッフが古くからの付き合いで言わずとも通じるものがあったこととも大いに関係があります。そりゃごはんも食べたくなるし、美味しいわけだし、楽しくなるというものです。とにかく大団円だったと拡声器で叫びたい。

本当にありがとう。そしておつかれKBDG。またお目にかかる機会が巡ってきますように。

唯一気になるとすれば開演直前にぽろりと落ちたあの小さなネジのことです。あいつの突然の職務放棄は何を意味していたんだろう?

2023年12月1日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その409


はいからさんが盗塁さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 新しいノートの1ページ目で失敗したとき、自暴自棄にならないために、気持ちのザワつきをやり過す良い方法はありますか?


これまた深みのある質問ですね。人生とちがってやり直そうと思えば数百円でやり直せてしまうあたり、人としての本質的な何かを試されているようです。

目を閉じれば堆く積まれて聳え立つノートの山がありありと脳裏に浮かびます。これまでにいったい何冊分の1ページ目を失敗してきたのか、今さら数えてみる気にもなれません。実際にノートがあろうとなかろうと、僕らの日々には常に「新しいノートの1ページ目」がついて回るのです。

何しろ1ページ目というのは、ページだけでなくそもそもノート全体が無垢です。それは言ってみれば白く光り輝いている天使に初めての刺青を彫るみたいなことでもあります。全身が刺青まみれの天使なら僕だって気にせずひとつ彫ってやろうと腕まくりをするでしょうが、最初となるとさすがに二の足を踏まざるを得ません。1ページ目を失敗するというのはつまり、これまで一度も刺青を入れたことのない天使の腕に PEACE と彫るつもりがまちがえて PIECE と彫ってしまうようなことなのです。これがいったいどれほど重い罪になるのか、想像してみていただきたい。ちょっと手を加えて ONE PIECE にしてしまえば単なる欠片からひとつなぎの大秘宝にランクアップできるので多少は緩和される気がしないでもないですが、いずれにしても何でだよという誹りを免れることはできません。というか天使って怒るんだろうか…。

幸いノートは天使ではないので、仮に失敗しても地獄の懲役3兆年みたいなことにはなりません。がっかりするだけです。こうなると天使の腕に初めての刺青を彫ってミスるよりましだと考えるだけでもかなり有効な気がしてきます。

本当は人生の教訓になりそうとかしゃらくさいことをあれこれ考えてたはずだったんだけれど、気づいたらこんな結論になっていたので、これはもうこれでいいということにしましょう。温めた他のアイデアがどうでもよくなるくらいだし、ひょっとするとこれが最適解なのかもしれません。


A. 天使の腕に初めての刺青を彫ってミスるよりましだと考えてください。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その410につづく!