では今年もはりきって一昨年あたりの質問からお答えしていきましょう。
ポメラニアン・ラプソディさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q. 仕事上の結構大事な話合いをしている時に、相手が論点のずれた発言をしてくることが良くあります。自分は論点を修正して、ささっと話を進めたいのですが、上手くいきません修正して、ズレて、修正してというのが続くと前に進まず辛いモノがあります。話合いの必要性は理解していても、徒労感に襲われてしまうのです。相手を変えるのは難しいと思うので、自分を襲ってくる徒労感を飼いならしたいと思っています。どうすればなついてくれるんでしょうか?
徒労ならおまかせ、かつては神奈川県大和市南林間3丁目界隈で屈指のトロワーと呼ばれ、その後は変わらぬ愛を誓い合った糟糠の徒労と結婚、多くの子や孫に恵まれて幸せな家庭を築き、山のような徒労に惜しまれながらもしずかにその生涯を閉じた夢をみて今も夜中にハッと汗びっしょりで目をさますことがある僕にはまさしくうってつけの質問です。
まず対話におけるこの手の徒労は日常のありとあらゆるレベルで散見されるものであって、ぜんぜん珍しいことではない、というよりむしろ一般的である事実を真正面から受け止めましょう。ここにミットを構えているのになぜボールを拾いにいかなくちゃいけないんだ、と脱力してしまうきもちはとてもよくわかりますが、それが本当に印象どおり簡単なことならば、というのはつまり論点が常にキープされるのがふつうだとすれば、いま世界のありとあらゆるレベルで起きているすべての問題の少なくとも半分くらいは起きていません。対話には多かれ少なかれエラーがつきものであり、エラーなくスムーズに事がはこぶケースのほうがラッキーでありがたいと、わかっていながら未だにちょいちょい暴投を繰り返している僕なんかはおもいます。
対話において人は話の流れに喚起された別の話を持ち出す傾向があります。はじまりはごくごく些細なことだったはずのケンカで収拾がつかなくなるのはこれが二重三重と上書きされていくからです。
これがずれでありエラーであるのはもちろんですが、一方でだからこそ会話がつづくというもうひとつの側面を忘れることはできません。何時間も会話がつづくのは、つねに構えたミットを外さない美しいキャッチボールが成立しているからではなく、話と話の継ぎ目でほどよくエラーが発生しているからです。
イライラするケンカとたのしい雑談の、いつまでも終わらない理由がじつは同じである、というのはなかなか興味深い話だとおもいませんか?
仕事で斜め上のとんちんかんな発言を連発する連中がいなければ、これといって実のない話が延々とつづく無為でたのしい雑談もありえません。
雨が降るからこそ青空が愛おしいのだし、憂鬱な雨もやがて恵みに変わります。雨がそうなんだから徒労感だってそうだろう、というのがイカロスよろしく華麗に飛躍する僕の結論です。
さっきからずっと、「あれ、これ論点ずれてんじゃないの」とびくびくしながら書き連ねていますが、何しろトロワーというのは人として徒労であることを意味する称号なので、そうかそれじゃしかたないよなとここはひとつ大らかに割り切ってください。
A. すくなくとも徒労感は噛みついたりしないので、やさしく撫でたりしていればそのうちなつきます。
*
質問は10年たった今でも24時間無責任に受け付けています。
dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)
その293につづく!